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多様性

連載 | 標本バカ

アンタッチャブル

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「山」ほど、というよりは「深海」のように果てしなく広がり、僕を困惑させる。

 標本を作るのも大切であるが、収蔵庫の中にある既存の標本を登録・整理し、何が、どこに、どれくらいあるのかを明確にしておくことはもっと大切である。明治時代からの蓄積がギュッと詰った収蔵庫には、「禁断のスペース」と僕が勝手に呼称するエリアが何か所かあり、ここにある恐ろしい数の未登録標本に手を付け始めたら他の仕事どころではなくなる。だが、中には非常に貴重なものが含まれているという可能性がなきにしもあらず。かつて寄贈を受けたネズミの標本が未整理のまま骨の禁断スペースにあって、興味を持った来館者が調べたところ、1900年代初頭に論文が掲載されている沖縄県のケナガネズミの、なんとタイプ標本だったことがあった。ほどなくして、同じ個体の本剥製標本をアシスタントの下稲葉さやかさんが毛皮の禁断スペースから発見してくれた。いずれの標本も過去の論文に写真が掲載されていて、標本の破損具合がそれと一致しているために、タイプ標本であることが判明したものである。毛皮や骨の禁断スペースはこれまでの標本整理作業によって、その全貌とまでいかないが、ある程度は整理できた。

 僕は以前、このコラムに「液浸標本は苦手だ」と書いた。液浸の禁断スペースは「山」ほど、というよりは「深海」のように果てしなく広がり、僕を困惑させる。液体の中でさまよう大量の小哺乳類たちが、いつになったら“表舞台”に立てるのやらと、出番を待ち続けている。できれば見て見ぬふりをしたいところだが、ここを克服しなくては哺乳類標本の全体像は見えない。コロナ禍でじっくり標本と向き合える今こそ、その時。ある日1つずつ標本瓶を確認しながら、登録済みと未登録を仕分けし始めた。この作業を分類群ごとに行い、収蔵棚に整然と配置する。やり始めると続々見つかる小発見に、一人、収蔵庫で歓喜の声を上げながら、割と楽しい作業である。超かわいいヒメアリクイの全身を見つけた時は大喜びで、汚れた液体を交換し、透き通ったアルコールの中で長い舌を出して眠る姿がよく見えるようにし、登録番号を付けて戻してやった。ある埃まみれの小瓶にはM8812の番号が記されていた。中身は小型コウモリの胴の部分のようである。もしかしたらと思って調べてみたところ、以前このコラムにも書いたこの世に一つだけしかないクチバテングコウモリの標本の一部だった。これは素晴らしい。当時の研究者はこの個体を標本にした時に、研究に重要な毛皮を仮剥製とし、頭部を外して頭骨標本を作製し、残りの胴の中身はとりあえず液浸標本にして番号だけつけておいたのであろう。液浸標本はやはり苦手だったと見える。ちゃんと整理されることなく禁断のスペースに保管されていたに違いない。

 ところで問題は大量のネズミの未登録標本である。ありがたいことに、採集地と日付を添付するところまでは終わっているものが多い。ただし普通種のアカネズミだけで、その量はドラム缶1杯分くらいありそうだ。もしかしたら、未登録を含めた哺乳類標本は僕が目標としている10万点を超えているのかもしれない。

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