映画『痛くない死に方』の原作者であり、『長尾クリニック』院長の長尾和宏さんは、長年、がん患者などの終末医療・在宅医療に取り組んできました。“尼崎の町医者”を自称する長尾さんに、誰もが必ず経験することになる「最期の迎え方」について伺いました。
2021年2月に全国劇場公開となった映画『痛くない死に方』。柄本佑さん演じる主人公の男性医師が、終末期における在宅医療のあるべきカタチを模索しながら葛藤する姿を描きつつ、理想的とも言える人生の最期を提案する。映画の中で、熟練の在宅医を奥田瑛二さんが演じているのだが、そのモデルこそ、医師・長尾和宏さんだ。
日本では、病院などの医療機関で最期を迎える人の数が圧倒的に多く、その数は全体の約8割にも上るという。病院医療の加速度的な進歩により、延命治療も高度化。一方で人としての自然な死に方からは遠ざかっているとも言える。やはり、映画で描かれている世界は理想なのだろうか。宇崎竜童さん演じる末期がん患者は、病院から自宅に戻り、最期のほんの少し前まで自分で食べ、話し、穏やかに逝ったが……。
「たしかに病院勤務の先生には、映画はつくり話のように思われている方も多いようですが……。でも、僕らにとっては日常。ちゃんと吟味しながらになりますが、必要のない管を外したり、食べられると判断したら、少しずつでも食べてもらう。すると、1日、2日で、別人のように元気になって、安らかな最期、いわゆる平穏死、自然死を迎えられるようになるんです。昨日も、今日だって、そんな現場に立ち会ってきました」
長尾さんは、これまで四半世紀にわたり在宅医療に関わり、1500人以上を看取ってきた。経験に裏打ちされた言葉には説得力がある。人生の最期をどう迎えたいか。不治の病いを患っていたとしても、いや、だからこそむしろ安らかに、自宅で穏やかに死んでいきたいのではないか。理解のある医療機関、医師を見つけることが重要だが、そのための第一歩として考えたいのが、映画にも登場する「リビング・ウィル」だ。一言で説明すると、回復の見込みがない状態において延命治療を望まないという本人の意思表示のこと。ちなみに死期を意図的に早める安楽死とはまったく異なる考え方である。「リビング・ウィルの日本語訳は『命の遺言状』。遺書は遺産相続など、死後のことを決めるものですが、こちらはどのように人生の最期を遂げるかを、本人が意思表示するものです。アドバンス・ケア・プランニング(人生会議)という、家族や医師などとの話し合いもありますが、あくまでリビング・ウィルがコア。ただ日本は先進国で唯一、リビング・ウィルが法的に担保されていない国。それくらいまだ議論が深まっていないことも現実ではあります」。
患者さんの元へ“出向く”ことが医療の原点である。
交通事故や災害、心筋梗塞など、突然死の人以外、およそ95パーセントの人には死に至るまでに時間があるという。ゆえにどのような死を迎えるのかを考えるべきであり、そこで重要なのが前述のリビング・ウィルとなる。が、長尾さんはその前にまず、「死ぬ」という当たり前のことを人はイメージすべきだと諭す。「今の60代、70代の人でも、死を目の当たりにしたことがない人がほとんど。死が日常ではない循環器科や眼科などの医師もそうだし、ある高校で『人は生き返るか』というアンケートを取ったら5パーセントがイエスと答えたくらい(苦笑)。そのくらい人が死ぬってことを知らないし、イメージが湧かない。でも、人は絶対に死にます。『ソトコト』の主な読者層である30代、40代もいつか死にますし、生まれたばかりの赤ちゃんだって例外ではありません。命の長い短いは神様が決めるものだし、運命。だから、ウェルビーイングの観点で見ると、今日一日を楽しく、幸せに生きることが、まずは大事だと思います。刹那主義って言われてもいいから、『やっぱり明日はない』って思って生きていくことが大切じゃないでしょうか」。
まずは人が死を受け止め、日々を生きること。それは自然の摂理を受け入れるのと同義。一方で、医療のあるべき姿、自然な形での最期が在宅医療にはある。話題が少し逸れるが、ここで長尾さんの原点の無医地区活動について触れたい。医学生時代、長尾さんは無医地区研究会に所属し、南信州の山中にある無医村、長野県下伊那郡浪合村(現在の阿智村)で年に3回、村民の元へ訪問する活動をしていた。「まだ、医者じゃないから血圧を測ったりするくらい。健康状態を確認するんですね。でも、この時の経験、話を聞いたり、生活の様子を観察したりするという、現在の在宅医療の原点になっていますし、暮らしを見れば、その人の習慣や状況なども把握できます。病院は患者さんにとってアウェイ。ホームグラウンドであるご自宅に行ってあげることがウェルビーイングな医療です」。映画の中で、「病気ではなく、人を見ろ」という熟練在宅医の印象的な言葉がある。これはまさに長尾さんの長い経験に基づくものだろう。
「だから僕は地域の人しか診ません。行けるのはせいぜい車で20分ほどの距離まで。やっぱり、直接会ったり、触れたり、頻繁にコミュニケーションをとることが、僕は医療だと思うんです。遠隔診療とかもあるにはあるけど、あくまで補完的なもの。みんな持ち場がある。医療は地縁です」
町医者を探し育てることがウェルビーイングにつながる。
長尾さんは、「僕のような町医者を地域で探し、育ててほしい」と訴える。「国内では『かかりつけ医』という言葉を日本医師会が推奨しています。『発熱したら、まずはかかりつけ医に電話して』と、図らずもコロナ禍によって、その言葉は知られるようになりました。大きな病院で難しい医療を受ける必要がある場合だけでなく、ちょっとした不調を相談できるところを持つべき。だから、病院と、かかりつけ医の二本立てが、これからの医療の基本形なんですね。でも、地域に必要なのは昔ながらの町医者だと思っています。身近な感じのする町医者ですが、簡単にはなれない。さまざまな知識や経験が必要だし、夜中に往診に行くことだってあるし、看取りもする。けれど、地域では当たり前だった町医者は、今では少なくなっている。だから、もし、あなたの地域に町医者候補がいたら、大事に育ててあげてほしい。これからの地域医療のあり方を、一緒に話し合ったりするのがいいんじゃないかなって。医療とは医者が勝手に上から施すものではなく、共につくっていくもの。地域におけるウェルビーイング、さらには穏やかな最期を迎えるには、心ある町医者の存在が不可欠です」。