太平洋や日本海に比べ穏やかで、また海に浮かぶ島々の姿が美しい瀬戸内海。
我が国初の国立公園に指定された、本州西部と四国、九州に囲まれた日本最大の内海です。
ところでその瀬戸内海の頭に「南」を付けた「南瀬戸内海」という言葉を耳にしたことはありますか。
額面通りに受け取ると、瀬戸内海の南よりの海域、となるでしょうか。
しかしどんなに地図を広げてみても、南瀬戸内海らしき海域の記載は無いのです。
瀬戸内海の南であるならば、それは四国沖のことでしょうか。
しかし四国沖をそのように呼ぶことも、例は無いようです。
一体どういうことでしょうか。
君は南瀬戸内海を知っているか
実はこの南瀬戸内海、その存在を知っているのは山口県、愛媛県にゆかりのある人たちに限られるのです。
幻の海、南瀬戸内海とは・・。
答えは、シティポップと呼ぶにふさわしい、とあるCMソングにありました。
シティポップ「南瀬戸内海」
それが山口県柳井市(柳井港)と愛媛県松山市(三津浜港)とを結ぶ航路を持つ防予フェリー株式会社(山口県柳井市)のCMソングです。
南瀬戸内海 光る風 走る波
人さまざま 愛を見つめてる
夢さまざま 巡り巡る
思い出に 揺れながら
輝く明日を探そう
冒頭に早速「南瀬戸内海」が登場します。地図には無い「南瀬戸内海」が伸び伸びとした男性の声で歌い上げられます。ここでの紹介は憚れますが、楽曲が気になる方は動画共有サービスなどで探してみてください。
現在もなおテレビやラジオCM、そしてフェリー船内で聞くことができるこの曲のタイトルこそが「南瀬戸内海」なのです。
冒頭の「み、な、み、せとーないーかいー」のフレーズは非常に印象的で、楽曲が使用されたCMは筆者が物心ついていた1980年代には間違いなくテレビ等で流れていました。
しかし一体なぜ「南瀬戸内海」なのか。この曲はどんな経緯で作られたのか。今回CMソングの主である、防予フェリーさんに話を聞きました。
南瀬戸内海の謎を追って
防予フェリーの前身である防予汽船株式会社は、1959年に山口県にて創業しました。名前の防予とは、本社のある柳井市沖の瀬戸内海に浮かぶ島々、防予諸島にもあるように、山口県の旧国名「周防」と愛媛県の旧国名「伊予」の一字ずつとったものです。
柳井・松山航路は瀬戸内のハワイの異名を持つ周防大島を含む防予諸島を眺めながら海の旅を楽しむことができます。また周防大島を経由する航路もあります。運がよければスナメリが泳ぐ姿に出会えることもあるとか。
さて防予汽船は創業後松山市内にホテルを経営するなど多角化を図りましたが、やがて経営難に陥り、2010年には親会社の瀬戸内海汽船株式会社が設立した新会社、防予フェリーが事業を受け継ぐこととなったのです。
2010年以前、防予汽船のホームページには「南瀬戸内海」をダウンロードできるサービスがありましたが、防予フェリーに引き継がれる際、サービスは無くなってしまったとのこと。
残念ながら現在の防予フェリーには当時を知る方がいなくなっていましたが、ならばCM制作の関係者はどうかと、先程の担当者さんに山口県内の広告会社を紹介してもらいました。
電話をかけ取材を申し込むと、現在62歳だというAさん(仮名)にお話を聞くことができました。
CMソング「南瀬戸内海」はいつ頃作られたのでしょうか。Aさんは、はっきりとはしないとしつつ、こう答えてくれました。
Aさん「この曲は40年近く流れていると思いますよ。ですから1980年代からでしょうか」
実は防予汽船(当時)のイメージソングは「南瀬戸内海」だけではありませんでした。創業後「夢のオレンジライン」(作詞:星野哲郎 作曲:中川博之 唄:黒沢明とロス・プリモス)という曲が作られ、1968年にクラウンレコードからレコードが出版されています。この曲が「南瀬戸内海」以前のイメージソングだったのです。
1968年頃からイメージソングとして存在した「夢のオレンジライン」。後にCMソングとして「南瀬戸内海」が作られたとのこと。1970年代は「夢のオレンジライン」が使用され、「南瀬戸内海」は1980年代頃から使用されだしたと推測されます。
Aさん「当時このCMの制作に関わっていた広告会社がどこになるのか、こちらではわかりかねます」
やはり当時を知る方にたどり着くのは一筋縄では行きません。Aさんに「南瀬戸内海」という海域名は無いことを聞いてみました。
南に広がるのは、瀬戸内海
なるほど、とつい膝を打ちました。筆者のように四国・愛媛県に住んでいると、海、つまり瀬戸内海は「北」に、そして山、四国山地は「南」にある、と幼少から刷り込まれています。しかし山口県、本州側から見ると瀬戸内海は「南」。つまりこの「南瀬戸内海」は山口県側から見た瀬戸内海の姿だとするのが妥当に思えます。改めて歌詞を振り返ると
南瀬戸内海 光る風 走る波
人さまざま 愛を見つめてる
特に前半部分、山口県柳井市から南に広がる瀬戸内海に向けて出港し、人々が愛を見つめている様子が描かれています。山口目線で読むと、ここでいう「愛」とは「愛媛」のことにも思えてきます。
"SOUTHERN SETO" サザンセト
一方で「サザンセト」という、ズバリ「南瀬戸内海」を意味するとされる呼び名があることが判明しました。
農林水産省中四国農政局のWEBサイトにあるコラムによると、
南周防地域に面する、南瀬戸内海には大小さまざまな島が点在し、その美しい姿は、多島美と評されています。(略)サザンセトとは、Southern Seto(=南瀬戸内海)という意味で、山口県の東部にある、柳井市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町の瀬戸内海に面したエリアの総称です。
恐らくは先のシティポップ「南瀬戸内海」においてもこれら地域を指していたのでしょう。
いずれにせよこの「南瀬戸内海」は「瀬戸内海の南」ではなくやはり「山口県から見た南にある瀬戸内海」を意味するようです。あるいは、緯度軽度的に淡路島付近を北瀬戸内海とするなら、山口県付近は南瀬戸内海と言えなくもないかも知れませんが・・。
現在ではこの「SOUTHERN SETO(サザンセト)」という言葉が、山口県東部の瀬戸内海沿岸の1市4町(柳井市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町)のエリアブランディングを目的に様々に使用されています。
また年に一度は国内のサイクリストを集める大きなイベント「サザンセト・ロングライドinやまぐち」も開催されています。(ただし2020年および2021年については新型コロナウィルス感染拡大防止を目的に中止)
この他リゾートホテルや、道の駅にもサザンセトの名のつくものがあります。
サザンセト自体は、昭和の終わり頃、周防大島町出身の作詞家・星野哲郎さんによる「サザン瀬戸ブルース(作詞:星野哲郎、作曲:中村典正 唄:瀬川瑛子)」という曲が誕生していたり、平成の初め頃にはいわゆるミスコンである「ミス・サザンセト」を選出した記録があるなど、1市4町(柳井市・周防大島町・上関町・田布施町・平生町)を指し示す呼称として「南瀬戸内海」と同じく1980年代に広まったと考えられます。
南瀬戸内海は確かに存在した
そしてそれは、決して幻ではなく、島々の美しい瀬戸内海を思い起こさせる、確かに存在する魅力的な海なのでした。
愛媛県民として「南瀬戸内海」とはどこか、何を意味するか、長年のモヤモヤが解消した瞬間でした。
そしていつか機会があれば、防予フェリーさんのCMソング、愛媛側から見た瀬戸内海「北瀬戸内海」版、松山出港編のCMソングを聞いてみたい、とそっと願うのでした。
文:皆尾裕
写真・取材協力:
防予フェリー株式会社 http://www.boyoferry.co.jp/index.html
柳井の魅力伝え隊(柳井商工会議所) http://www.yanaicci.or.jp/ssc/
柳井市観光協会 http://www.kanko-yanai.com/