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山と里、農と技がつながる茶畑の里を走る鉄道と芸術祭。

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静岡県島田市は、SLが茶畑を走る光景で知られています。全国各地の公園に眠っていたSLを部品一つ一つていねいに再整備して走行可能にしてきたという知る人ぞ知るローカル線・大井川鐵道。この大井川鐵道の無人駅で「UNMANNED無人駅の芸術祭」が2月22日より始まっています。芸術祭を主催するのは、地域情報誌『cocogane』を発行している『クロスメディアしまだ』の大石歩真さんと兒玉絵美さん。
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木村健世『無人駅文庫』。駅の記憶を小説の断片にみたて、無人駅のホームに文庫として佇む作品だ。
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と箱根の馬子唄にもあるとおり、江戸時代には大井川には橋が架けられることが許されておらず、川が天然の障壁として東海道に立ちはだかっていました。雨が続くと渡れなくなり、宿場町は足留めされた旅人でずいぶんと賑わったようです。東海道は近代には新幹線や高速道路のバイパスとなり、静岡県中央部は工業地帯としての機能を果たしてきました。そんなこの地域をよく見てみると、もう一つの側面が見えてきます。
 
東海道では大井川のほかにも富士川、天竜川などの大きな河川を渡ることになりますが、その源流を辿るとそれらが長野県・諏訪湖周辺から流れていることに気づきます。東側(旧・駿河)の富士川は八ヶ岳山麓を通って、西(旧・遠江)の天竜川は木曽や伊那地域を経由して、静岡県は古くから川を通して信州と関わりの深い地域だったのです。特に天竜川流域には実に古い時代の民族や芸能が残り、民俗学的に早くから注目されてきた地域でした。こうした民俗の数々は実に信州の諏訪文化圏と下流域との交流の中で育まれたものだったのです。
 
そして大井川は駿河の西と遠州の東の境界にあたり、豊富な鉱山資源によって製鉄民や金鉱山の技術者が中世から活躍していた地域でした。このことは「金谷」という地名にも表れています。
 
もう一つこの地域を特徴づけるのが「川根茶」の茶畑。大井川鐵道で山に向かうと山裾に印象的な茶畑が広がってきますが、この地域では江戸時代からすでにお茶を商品作物として流通まで農家が手掛けていた歴史が書状や覚書に残っています。安定した生産量や高級茶を生み出すための製法の記録からは、つくる技術、売る技術、技術や商業という農業にとどまらない分野に江戸時代から自覚的だった土地柄が見えてきます。
 
もしかしたら静岡県の産業を支える工業地帯もこうした「技術」へのまなざしが育んだ地層の上に成り立っているのかもしれません。そうした視点でこの大井川鐵道に走る機関車たちを見てみると、鉄と技術というテーマが実に見事に体現された路線であることもまた見えてくるのです。そして21世紀にはその路線上に芸術祭の作品が繰り広げられます。「地元の人たちにも、ここに住んでいてよかったと心から思ってもらいたい」と兒玉さん。新幹線や東海道の横のバイパスから、縦に走る別の流れと繋がりを辿ってゆくと、茶畑から日本列島自体の見え方まで変わってくるかもしれません。
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各地で眠っていたSLを修理し走行させてきた大井川鐵道。週末は満席になることも。
もしかしたら静岡県の産業を支える工業地帯もこうした「技術」へのまなざしが育んだ地層の上に成り立っているのかもしれません。そうした視点でこの大井川鐵道に走る機関車たちを見てみると、鉄と技術というテーマが実に見事に体現された路線であることもまた見えてくるのです。そして21世紀にはその路線上に芸術祭の作品が繰り広げられます。「地元の人たちにも、ここに住んでいてよかったと心から思ってもらいたい」と兒玉さん。新幹線や東海道の横のバイパスから、縦に走る別の流れと繋がりを辿ってゆくと、茶畑から日本列島自体の見え方まで変わってくるかもしれません。
text by Kenichiro Hoshi
記事は雑誌ソトコト2022月3号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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