写真だからこそ、伝えられることがある。それぞれの写真家にとって、大切に撮り続けている日本のとある地域を、写真と文章で紹介していく連載です。
歩くことが好きだ。ただ黙々と歩き続けていると次第に心が落ち着きやがて空っぽになる。ふと気づくと自分と世界の境界線が淡くなり、周囲の風景に溶け込むような心地さを感じるようになる。
いつからだろう、無宗教のぼくは特定の信仰をもっていないにもかかわらず「巡礼」をテーマに撮影を続けるようになっていた。何者でもなく悶々とていた学生時代、当たり前に続くと思っていた日常の生活が突然別の世界に感じられるようになった親族や友達の「死」が、向き合わなくてはいけない道を教えてくれたのではないかと、今なら思う。あらためて見つめ直すこともおざなりにしていた「生」の不思議さとそこから生まれた素朴な問いかけがあった。
「人はなぜ祈るのか?」
アニミズム、古神道、修験道、山岳信仰、そして仏教、キリスト教……。数ある霊場に赴いてはその地の来歴を知り、そこから何が見え、どう感じるのかを身を以て体験しようと、「今」しか撮ることのできないカメラを携えて繰り返し各地に足を運んできた。Webや机上で得られる膨大な情報や知識といった観念的なものより、旅という具体的な行為がもたらしてくれる土地の気配や五感に響く経験を強く求めていたからだ。
そんな個人的な想いをあらゆる意味で丸ごと包んでくれた場所が世界遺産であり日本有数の聖地「紀伊山地の霊場と参詣道」だった。通称「熊野・KUMANO」。なかでも口熊野と呼ばれる紀伊半島の玄関口・和歌山県田辺市は熊野本宮大社に至る数ある熊野古道のなかで、最も有名な参詣道「中辺路」がある。初めて訪れてから16年。仕事でもプライベートでも節目には必ず訪れてきた大切な場所になっている。
まさに「神仏一体であり、貴賎男女の隔てなく、信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず……」。縄文から現代、神も仏も、渡来も土着も玉石混淆、すべてを受け入れる母なる森のごとく。ただ単に史実をなぞるような平面的な歴史ではなく、多様で多層な歴史の息吹が混在した土地であり、半島の地層に刻まれた無数の祈りの痕跡がそれぞれの時代の人々の営みを雄弁に語ってくれる。日本人としてだけではなく人類の起源にまで思いを馳せることができる広く世界に開かれた稀有な場所であることに、訪れるたびに驚かされてきた。
穢れを禊ぐ浄化と再生の円環のなかで「蘇りの聖地」と呼ばれるこの地を歩き撮影することで、語るべき重要なエピソードがあったかと言われると、ぼくはすっかり言い澱んでしまう。何かひとつを選びとることができないほど、すべてが網状につながり合っているからだ。
黒潮に乗って稲作や革新的な文明を伝えた徐福伝説からは大陸とのつながりを。神武東征を阻んだとされる女酋長・畔の墓前では歴史の不条理を。日本人の可能性の極限とまでいれた博物学者・南方熊楠や合気道の開祖・植芝盛平の眠る高山寺では生命と身体を宇宙化する曼陀羅的視点を。それぞれひとつひとつの物語が伝える壮大なスケールには、まさに幾重にも折り重なる紀伊山地の山並みそのままに、しばし立ち止まって呆然とするしかないほど計り知れない叡智が満ちている。己の小ささを感じるこの清々しい空虚感は、翻って途絶えることなく太古から今日もつながる悠久の生命潮流を旅しているという大きな歓びを与えてくれる。
『古事記』『日本書紀』が記されたおよそ1300年というその長大な時間をまるで最近の出来事のように相対化してしまう熊野がぼくに教えてくれたことは、「過去」を振り返り、「今」を理解することで自ずと進むべき「未来」が観えてくる、ということなのかもしれない。
生きながらにして蘇ることができる場所。ぼくにとって熊野はそういう場所だ。