訪ねる場所には何かしら目的や用事を伴うことが多い。その中でも都市での暮らしは、とりわけ必要に駆られて特定の場所へ赴く。しかし何ら目的を持たない場所があり、そこでのんびりと佇むことや慌ただしさから逃れて体内時計のリズムを整えることができるのであるならば、それはなんて素敵なことなのだろうと思う。私にとって東京都世田谷区にある、『世田谷八幡宮』境内の土俵のある場所はそんなかけがえのない場所なのだ。
さて、5年は前のことになるが、地方での撮影を終えて自宅の最寄りである世田谷線宮の坂駅にたどり着いた時、長蛇の列が駅から『世田谷八幡宮』へとつながっていた。野次馬根性が荷物の重さに勝り最後尾に並ぶ。しばらくして、奉納相撲がこれから行われるのだということを知る。どうもずいぶん歴史があるものらしく、900年ほど前、八幡太郎で知られる源義家が陸奥国の鎮守府将軍として戦いに赴いた折、天候の回復を待って世田谷の里に半月ほどとどまり、その結果勝利したという。信心深い義家は再び世田谷の里を訪れ、戦勝御礼として八幡宮で兵士に奉納相撲を取らせた。これが「江戸郊外三大相撲」と呼ばれる『世田谷八幡宮』の奉納相撲の始まりである。いまは近隣の大学の相撲部員がその土俵において秋の頃、日頃の修練の成果を披露している。
ほどなくして土俵を見渡せる場所に佇み、学生力士の取り組みを見た。「バッチーン、バッチーン」と巨体がぶつかり合う音がなかなかの迫力。そして清々しい、真剣さとどこかユーモラスなこの奉納相撲。撮影帰りの疲れも忘れたまま見入ってしまった。にわか相撲ファンである。あたりが暗くなる頃、相撲は終わった。そしてなんと盆踊りが土俵上で行われ始めた。思わず笑いが込み上げる。なんとユニークな土俵なのだ。私は結局、ご近所の方が土俵で演歌を歌い上げるのを聞き終え、上機嫌のまま帰宅した。
奉納相撲の日から1週間ののち、ふと思い立ち土俵を再訪。一変して、そこには土俵の日常の時間が存在した。子どもたちは土俵にあがり相撲を取り、またあるものは筋トレをして汗を流す。そしてまたあるものは土俵の見えるベンチで読書にふけり、時を過ごす。さまざまな過ごし方があるようだ。そして私は徐に土俵に上がり四股を踏んで見た。これはなかなか気持ちがいい。そう、なんというか力が湧いてくる感じ。考えてみると、文系男子の私としては人生初の土俵入りだ。今度は調子に乗り、行司の真似をして右に左に視線を配ってみる、おお! 土俵からの眺めのなんと気持ちのよいことか。と、これが私の“初土俵入り”の感想だ。今度は土俵を見渡せる場所に佇んでみる。誰もいない土俵を眺めて小一時間すごす。周りにある木々は大木が多く包み込まれる安心感がある、風が通りサワサワと、そして時折ザワザワと。光が差し土俵を白く照らす、まるで土俵が光っているようだ……。
そして3度目の訪問の際、肩にヒョイと標準レンズをつけた一眼レフを引っ掛けて訪れた。この土俵、言ってみればコロッセオのように観客席のような段差が造られていて、そこがまたおもしろく、時代の流れと共に仕様が変わってきたのだろうと推察できる。段差の一番高い所に座り、カメラを覗いてみる。しばらくしてフレームに子どもが突然入ってきた。そして消え、また入ってきた。土俵の周りをくるくる走り回っているのだ。今度はカップルがやってきて土俵上で激しい口論を繰り広げた末、クルリとひるがえり、彼氏を残して彼女は去っていった。この勝負、彼女の勝ちのようで。しばらくして打ちひしがれた彼が土俵を下りる。
いろいろのことがこの空間では起こる。この一番高い段差から観測撮影を始めようと、その日心に決めたのである。それからというもの時間ができると土俵に通い撮影をするようになり、土俵の真ん中で画面を破り左右2枚で1組の写真を作り上げることにした。土俵の円をつなぎ合わせる気持ちで、緩やかに左に右にカメラを振り撮影を続けた。
コロナ禍で昨年(2020年)の奉納相撲は中止、静かすぎる秋を迎えた土俵は、落ち葉を払われることもなく心なしか寂しそうに見えた。いや、来年こそはと静かに息を潜めているようにも見えた。気がつけば、4年目の土俵撮影のこの場所が後世に残ってほしいという気持ちを今は込めながら、左に右にカメラを振りながら撮影を続けている。この土俵の約900年超えの歴史から見れば“撮影の取組”はまだ始まったばかりである。