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連載 | 写真で見る日本

魂の故郷|齋藤陽道×熊本県阿蘇市

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写真だからこそ、伝えられることがある。それぞれの写真家にとって、大切に撮り続けている日本のとある地域を、写真と文章で紹介していく連載です。

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2020年の年の暮れに、東京都から熊本県へと住まいを移した。ほかにも惹かれる土地はあったけれど、そのなかでなぜ熊本かというと、阿蘇市にある「草千里ヶ浜」という場所に惚れたことが決め手になった。
およそ3万年前にできたといわれる二重の火口跡に広がる、約78万平方メートルの大草原。放牧された牛や馬がゆるりゆるり草を食む中、見える範囲のほぼほぼどこまでも歩くことができる。
季節ごとにまったく違った表情を見せるため、いつ行っても飽きることがない。
春は野焼きで真っ黒く、初夏は新しく芽吹いた緑で満ち、雨が降れば濃厚な霧が立ち込め一寸先も見えない白い闇が広がり、夏は宇宙につらなる深い青空を実感でき、秋は黄金色のススキが揺れてさんざめき、冬は夢のような白銀の世界へと変貌する。
こう書くといかにもステキなところのようにも思えるが、でも要は、なんにもない草っぱらである。遊具とか、看板とか、観光地めいたものがなんにもない。そのなにもなさこそが、かけがえなく貴重なのだ。そのことを教えてくれたのは、子どもたちである。
草千里ヶ浜に立つと、子どもは、とにかく走る。走る。走って、走って、駆け抜けていく。水たまりがあれば跳び越える。ススキをかき分けて走る。駒立山をあっという間に登り、山頂で風を堪能する。
遮るものがなく、禁ずる制限もない。アスファルトに固められていない大地を、文字どおり、まっすぐ走ることができる。カーブしたり、だれかに遠慮したりするなどの気遣いがいっさい無用で、存分に走ることができる。そんな自由を許された場所が、いま、どこにあるだろう。
子どもたちは、そのことを直感している。普段、制限を強いられて遊んでいる子どもだからこそ、なにもないはずの草千里ヶ浜で、いつまでも、いつまでも、幸せそうに駆けていくのだ。
子どもたちに感化されてぼくも走る。本当に、いつまでも走っていられるのだ。山もあっという間に登っていける。それがただただ愉しい。なぜこんなに愉しいのかわからないまま、子どもたちを追いかけて走っていく。撮っていく。
走ることの喜びを想い出す。ランニングだとか消費カロリーだとか、何キロとかそうした情報がぶっ飛ぶ。ひたむきないのちで走る幸福が、大地を通じて足元からゾクゾクしのび上がってくる。
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なにもない。そのかけがえのなさを草千里ヶ浜に子どもたちと行くたび、まざまざと思い知らされる。草千里ヶ浜は、ぼくの魂の故郷だとすら感じている。鳥取砂丘の写真家というと植田正治がイメージされるように、草千里ヶ浜は齋藤陽道と言われるくらい、草千里ヶ浜でたくさんの写真作品を撮ろうと思っている。
さいとう・はるみち●1983年、東京都生まれ。2020年から熊本県在住。都立石神井ろう学校卒業。2010年、写真新世紀優秀賞。写真集に『感動』『感動、』(赤々舎刊)、『宝箱』(ぴあ刊)。エッセイ集に『それでも それでも それでも』(ナナロク社刊)、『声めぐり』(晶文社刊)、『異なり記念日』(医学書院刊)などがある。2022年には『育児まんが日記 せかいはことば』を発行。同年、Eテレ「おかあさんといっしょ」のエンディング曲「きんらきらぽん」の作詞を担当。写真家、文筆家としてだけでなく、活動の幅を広げている。
記事は雑誌ソトコト2023年8月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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