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特集 | ローカルヒーロー、ローカルヒロインU30

思いを継ぎながら、新しい価値も生む。 『スナック水中』が紡ぐもの。

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業界ではめずらしい事業承継という形で、スナックのママになった坂根千里さん。「バリキャリ」を目指していた24歳という若さの彼女がママになった理由と、リニューアルオープンして半年が過ぎた『スナック水中』の今と未来について。

ある土曜の夜7時。『スナック水中』と書かれた青い看板に明かりが灯ると、早くもお客さんがぽつりぽつりと訪れ、吸い込まれるようにカウンターに腰を据えていく。常連さんはもちろん、この日が初めての客もいるようだ。30分を経過する頃には、10席ほどのカウンターはいっぱいになり、8時を回ると2つあるテーブル席も埋め尽くされた。スナックの定番であるカラオケがいつしか始まり、曲が終わればみんなで拍手。不思議なグルーブ感に満たされた店内で、全体に目を配りながら、ひときわテキパキと動いている女性がいる。『スナック水中』の若きママ・坂根千里さんだ。
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右上・中央/東京・国立市の谷保駅からすぐの商店街の静かな一角に『スナック水中』はある。左下/半地下にある『スナック水中』。左上/この日は1時間もせずに店内が満席に。
2022年の春に大学を卒業したばかりの坂根さんは、東京・国立市で長年地元住民に愛されてきた『すなっく・せつこ』の後を継ぎ、4月に『スナック水中』をリニューアルオープンさせた。「もともとは、丸の内OLのようなバリキャリ(バリバリ働くキャリアウーマン)を目指していた」と話す坂根さんは、なぜスナックのママになったのだろう。
大学2年生のときに学生団体を立ち上げ、キャンパスがある国立市でゲストハウスを運営していた坂根さん。きっかけは、大学1年の夏休みに行政が協賛しているインターン制度を利用して訪れた鹿児島県の奄美大島と島根県雲南市での体験だった。「そこで大学だけでは得られなかった地域との関わりを体験しました。キャンパスライフと両立させて、大学のある地域とも関わっていきたいと思いゲストハウスを始めました」と、坂根さんは振り返る。
ゲストハウスの運営にあたっては、地域のNPO法人にも協力してもらっていた。そこのメンバーと月に一度の反省会という名の飲み会をしていたある日、連れて行ってもらったのが『すなっく・せつこ』だった。「でも、入店直後の居心地はあまりよくなかったです」と、笑う坂根さん。それもそのはず、70代のせつこママや、ママと同年代のお客さんたちがいる店内に20代の女性がひとり。お酒の飲み方も作法もわからなかった。「お客さんも私に対してぐいぐい来るし、ママも『あの子は何しに来たのかしら』と品定めしているように受け止めてしまって。でも、その空間にいるうちに緊張していた気持ちがどんどん解けていったんです。持ちつ持たれつの人間臭い関係性は、地方にしかないと思っていたけど、こんな身近にあったんだって」。
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坂根さんがチーママ時代の写真(右)。中央がせつこママ。
すっかり『すなっく・せつこ』の虜になった坂根さんの心の変化を、せつこママは鋭く察知したのかもしれない。なんとその場で「来週からうちで働かない?」と、アルバイトのスカウトをしたのだ。驚きつつも、「ぜひお願いします!」と坂根さんは即答した。
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『すなっく・せつこ』から受け継いだ棚には、キープボトルがずらり。
目次

憧れのバリキャリか、 スナックのママか。

働きはじめてから、坂根さんは『すなっく・せつこ』とせつこママのことがますます好きになり、“スナック沼”にはまっていった。だが、せつこママの年齢やコロナ禍の影響で2021年12月をもって『すなっく・せつこ』は閉業することに。それが決まる1年ほど前から坂根さんはせつこママに、後を継がないかと何度か打診を受けていた。最初はせつこママも冗談めかしていたため軽く受け流したが、心のどこかでおもしろそうだなと思っている自分にも気づいていた。「でも大学選びの時から、絶対にバリキャリになるつもりだったので、ママの申し出には興味があったものの、私には会社員としてのキャリアの道もあるからと思っていました。でも、その後ママが本気で継いでほしいと思っていることを伝えてくれて。継ぐのも悪くないのかもと現実的に考えるようになったんです」。
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今の接客スタイルは、せつこママの背中を見て身につけたもの。
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チーママならぬ「チーパパ」の姿も。
そのことを信頼している人たちに話すと、おもしろそうとみんなが賛同してくれた。それは坂根さんの背中を押したが、キャリア志向を捨てるのは簡単なことではなかった。自分が昔から思い描いてきたバリキャリの道と、いまや心の拠り所になっているスナックの承継、どちらを選ぶべきか。葛藤の末に決意をもって選んだのはスナックだった。せつこママは、坂根さんに「好きなようにやりなさい」と伝えたという。
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右/国立市で栽培しているミントを使った「とれたてミントを使ったモヒート」。ノンアルコールにもできる。左上/日替わりの惣菜をいくつか盛り合わせたワンプレートもある。どこか懐かしさを感じるやさしい味。左下/スナックといえばカラオケ!

スナック文化を紡ぎ、 「強がり女子」も憩える場に。

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あっというまに満席になった店内だが、『スナック水中』の夜はまだ始まったばかり。
『スナック水中』を開店するにあたり、坂根さんは2つのミッションを掲げた。1つめは、『すなっく・せつこ』の常連さんのような地域の先輩も、若者も集まれるような場所をつくり、スナック文化を未来に紡いでいくこと。そのために全国にあるスナックの事業承継をしていきたいと考えている。現在、坂根さんは『スナック水中』のかたわら、M&Aのアシストをしている先輩の会社にも関わっている。その目的は社会人としての基本的なマナーを学ぶためと、今後の事業で生かせる知識を得るためだ。「『すなっく・せつこ』の事業承継はほんとうにスムーズでしたが、それは奇跡的なことだと思っています。ですが、2、3年後には2店舗目を、5年後には10店舗まで増やす意気込みでいます」と、力強く話す坂根さん。
2つめのミッションは、他者に弱音を吐けない「強がり女子」がほっと一息つける場所にすることだ。「この『強がり女子』は、自分のことでもあるんです。周りを気にして心情を吐露するのが苦手。そんな私のような女性たちが、仕事や家庭で身につけている鎧を脱げるようなスナックにもしていきたいです」。
女性が入りやすい店にするために『スナック水中』では、チーママだけでなく男性にも「チーパパ」として働いてもらったり、おしゃれなカクテルや食事のメニューをつくったり、外からでも中の様子が見えるように扉を特注してつくり付けたりと、さまざまな工夫をこらしている。今後はさらに「裏・水中」として、女性が主役になれるようなオンラインサロンもつくりたいという。
オープンして半年以上が経った『スナック水中』には、『すなっく・せつこ』時代の常連さんと新規のお客さんが入り交じり、チーママ、チーパパとなるスタッフも13人まで増えた。いまの『スナック水中』には、それぞれの時間を楽しみながらも、みんなで居心地のよさをつくる共有意識のようなものがある。それは、坂根さんが『すなっく・せつこ』に初めて訪れたときに感じた感覚でもある。ここまで来るのは決して平坦な道ではなかった。正直に言うと夜型の生活にもまだ慣れてはいない。たくさん悩み、辛い日だってある。でもそれ以上に目の前の光景が、確かな自信を与えてくれる。
明日も『スナック水中』の看板に明かりが灯る。坂根さんは笑顔を携えて、この場所に「潜り」に来るすべての人たちを待っている。
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右/スナック初心者でも安心して楽しめるようスナックでの基本的なマナーをイラスト付きで紹介。左/一般的なスナックよりも豊富なメニュー。
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右/開閉式扉の側面はホワイトボードになっていて、坂根さんのメッセージが書かれている。左/オリジナルのコースターにも、『スナック水中』らしさがあふれている。

スタッフの声

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満席でもお客さま一人ひとりに満足してもらえるような価値を届ける意識でカウンターに立っています。僕はまだ大学生なのですが、人生の先輩でもある常連のお客さまからいろいろ学ばせてもらっています。
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千里ママとは、もともと大学の先輩後輩の関係。話を聞いてくれて、厳しいことも言ってくれる特別な存在です。ここで働くのは楽しく、毎回発見があります。「強がり女性」の部分は私にもあり、ママの思いに共感!

お客さんの声

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Instagramで『スナック水中』のことを知り、以前から興味があったので初めて来てみました。普段は3児の母をしているのですが、また羽を伸ばすために来たいですね。
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『すなっく・せつこ』の時代から千里さんのことを知っていますが、彼女はいつも仕事熱心。『スナック水中』になった今も、ここは昔と変わらず居心地がいい場所です。

『スナック水中』・坂根千里さんが今、気になるコンテンツ。

Book 東京スナック飲みある記|都築響一著、ミリオン出版刊

編集者の都築響一さんが、東京のスナックについて写真とともに紹介している一冊。スナック文化が写真を見るだけで伝わってきます。お守りみたいに読み返している本です。

YouTube ちゃぴさんです。

同世代の女性のチャンネルなのですが、彼女自信も魅力的で発信も上手なのでつい見ちゃいます。『スナック水中』でも動画での発信を企画中で、動画を発信してくなかで、サロンのような場にしたいと思っています。https://www.youtube.com/channel/UCeu0G1rICr5H41aBte2Sdgw

Radio Tokyo Highway Radio(DJみの)|Apple music

Apple music内のラジオ番組で、ミュージシャンで動画クリエイターのみのさんが、さまざまな曲の解説をしています。私が曲を知っていると、お客さんがカラオケで歌いやすくなるので、勉強のためにも聴いています。
photographs by Hiroshi Takaoka text by Ikumi Tsubone

記事は雑誌ソトコト2023年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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