物や情報が簡単に手に入りやすくなった今、便利になっているはずなのに心が満たされず、どこか物足りなさを感じている人が多いように感じます。モノ消費からコト消費へと変わって行く中で、どんな体験をするかによって人生の豊かさや経験値が大きく変わっていくのではないでしょうか。今回は北海道勇払郡(ゆうふつぐん)占冠村(しむかっぷむら)ニニウで、羊飼い/ハンターとして活動しているNiNiu farm代表の黒井宏諭(ひろつぐ)さんとの対談記事をお届けします。
村面積の9割以上が山林。2世帯4人だけの自然豊かな環境で暮らす羊飼い
中屋 黒井さんとの出会いは2018年。イベントのトークゲストとして黒井さんを紹介してもらい、NiNiu farmに訪れたのが最初の出会いだったと思います。その後もジビエイベントのゲストとして登壇していただきましたね。黒井さんは普段、どのような活動を行っているのかお伺いしたいです。
黒井 もともとは札幌で飲食店を経営していたのですが、自然の中で生活をしたいと考えるようになり、7年前に移住してきました。現在は、めん羊牧場・NiNiu farmを営みながら羊毛・ムートン販売のほか、ハンターとして狩猟も行い、鹿と羊の肉を飲食店へ提供しています。
中屋 黒井さんが住んでいるニニウという地域はどのような場所ですか?
黒井 ニニウは、北海道勇払郡占冠村の一角にある小さな地域で、村面積の9割以上が山林です。この地域に住んでいるのはたった2世帯4人だけ、自然環境がとても豊かです。冬は最低気温がマイナス32℃近くになります。
都市から地方へ。自然や動物と共生する暮らしの中で気付けたこと
中屋 2世帯4人だけしかいない地域と聞くと、とてもインパクトがありますが、ニニウに移住しようと思ったきっかけは何かあったんですか?
黒井 飲食店を経営する傍ら、ハンターとして占冠村で狩猟を行っていたのですが、足を運ぶ度に自然の中で生活したいと考えるようになって。狩猟を行いながら物件を探して、月3,000円の山小屋を借りたのをきっかけに札幌との二拠点生活を行っていました。けれども、借りていた小屋のオーナーさんが亡くなってしまい、家を出て行くように言われたんです。
飲食店は10年目の節目を迎えていましたが、移住する上での必要最低限の収入は確保できていたので、今やりたいことをやろうと思い、ニニウに移住する決断をしました。
中屋 移住する前は、飲食店でお客さんとたくさんコミュニケーションを取っていたと思いますが、今は人と接することが少ないんですよね。
黒井 人がいないので、たまに会うとテンションが上がります(笑)。無意識に動物たちへ「おはよう、今日も元気か」と話し掛けていることが増えました。いろいろな動物に毎日会えるので楽しいですよ。
中屋 暮らす環境が劇的に変化したと思いますが、価値観や考え方が変わったなと思うところはありますか?
黒井 二拠点生活だったので徐々に変化していきましたが、電気や水道などのライフラインが止まってしまった場合も自分で全てやらなければいけないので、いろんなスキルが身に付きました。自力で生きていくためのスキルを身に付けることは楽しいですよ。
この感覚は、都会の中でさまざまな遊びを経験してきた僕にとってはとても新鮮で。天気が良いだけで気持ちが良いなと感じるし、些細なことに幸せを感じられる瞬間があるんです。
中屋 僕も地方で暮らしていたことがあるので、都会のアクセスの良さや、近くに何でもある環境に憧れを抱いたことがあって。反対に、都会で生活してきて十分遊んだ方は、自分の力で生きていく楽しさを求めて田舎に移る人が増えている実感もあります。
黒井 年代によっても、考え方や価値観は変わりますよね。ファッションや音楽など、TVやインターネットで流行っているものが簡単に手に入るところに若者は行きたくなると思いますし、若い頃からハンターをやって山の中で暮らす人はなかなかいないですよね。
未経験から羊飼いに挑戦!羊農家の現状と苦悩とは
中屋 今では羊飼いとしての一面も取り上げられることもあると思いますが、知識や経験がないまま羊飼いになる選択は思い切ったものがありましたね。
黒井 ニュージーランドにシェアラー(※プロの毛刈り職人)がいるんですが、北海道で毛刈りの講習会をしてくれるという噂を聞きつけて参加したのが始まりです。そのあと講習会に参加していた羊飼いの先輩たちに協力してもらって羊を購入できました。
最初は母羊6頭、全部で10頭からスタートしましたが、今は90頭くらいに増えています。羊は農業、畜産としては認められるのですが、国としてはマイナーな扱いになってしまい、補助金も他の畜産業界と比較すると少ないんです。そもそも羊の薬が日本にはないですし、羊を診察できる獣医がほとんどいない。
羊の販売先を探すことも含めて自分でやらなければいけないので、羊農家自体も少ないですし、これから羊飼いになりたい人が羊を成体で導入することもかなり厳しいと思います。
中屋 羊飼いを育成するとなっても、獣医もいない、薬もない環境の中で仕事として行っていくのは相当厳しいですね。
黒井 トータルで考えるとバックアップは皆無に等しいです。北海道では本当に好きな人だけが仕事として行っていると思います。 羊の怪我、病気、骨折の治療、出産も全部自分の力で対応できないと、羊飼いとして生計を立てていくのは厳しいですね。
自然界で生きる中での命との向き合い方
中屋 以前、出産時期は小屋で羊に付き添っているとお話をされていましたが、どのように羊たちと向き合っているのかお伺いしたいです。
黒井 今年は2月中旬頃から出産が始まりますが、通常、産まれてくるまでには1ヶ月〜2ヶ月くらいの期間がかかります。羊農家によって考え方は違いますが、難産になると母羊も死んでしまうので、子羊の生存率を上げるため、母羊の事故を少しでも減らすために、家に帰らず24時間宿舎に泊まりながら付き添いをしています。
中屋 羊に対する愛情や愛着はもちろんあると思いますが、出荷するときに自分が育ててきた羊が旅立っていく場面や、 出産の瞬間を毎回見ていると死生観も変わっていきますか?
黒井 もちろん変わります。命を助けたり奪ったり、常に生と死と向き合っているわけですが、食べるためや生活のためとはいえ、動物たちの死に慣れてしまっていることは決してなく、悲しみや苦しみを抱えることはたくさんあります。その気持ちは忘れないようにしようと心掛けていて。羊や鹿、自然の動植物たち、自分(人間)も含め、命や死はとても身近なものといった感覚を持っていますね。
中屋 自然界と都会で生活しているときの死生観は全然違いますよね。 自然の中で暮らすといっても、ただ楽しいだけではなく、厳しい側面もあるかと思います。
黒井 都会で暮らす中でのストレスでいうと、仕事の大変さや、人付き合いの難しさなどもあるかと思います。どこで暮らしていようが、どんな環境だろうと本気でやっていない人、やったことがない人は、都会も田舎も仕事の種類も関係ない気がします。
中屋 都市部でも地方であっても、普段から楽しみながらも真剣に向き合って挑戦する姿勢を持っていないと、どこに行ってもストレスは変わらないですよね。
黒井 都会でも田舎でもどこの国でも、「これは楽しそう、これをやってみたい」など、楽しさを発見出来る人は成長が早いですよね。大切なのは継続力と、継続することを楽しみ続ける気持ち。辛いこともたくさんありますが、自分の技術を高めていくことやシンプルな作業が楽しいと思えるなら、自然とスキルアップができると思います。
自分が楽しく生きることで地域がもっと面白くなる
中屋 黒井さんの今後の展望や行っていきたい取り組みについてお伺いしたいです。
黒井 自然や動物たちと共生する暮らしの中で新しい気付きや発見、生きていくスキルも身に付いていくので、この生活を体験してもらう機会を作れたら良いなと考えています。具体的なイメージはまだ付いていませんが、野生動物や自然保護について学べる場作り、宿泊施設も作れたらなと。そういった機会を通じて知り合う人、出会う人が自分にとって新しいきっかけを与えてくれるのかなと思っています。
また、今はハンターとしての収入が比率として多い状態なので、羊飼いとして生計を立てていくために、今後は羊の頭数を増やしていきたいと思います。
中屋 黒井さんのお話を伺っていると、感覚がとても研ぎ澄まされているんだと思いました。羊を飼っていないものの、羊飼いになるために毛刈りの講習に行くなど、直感に従って動いていますよね。ですが、その反面、今後のビジョンに向けて情報を整理しつつ、計画を立てて進めて生活している部分もあり、上手くバランスがとれているなと感じました。
黒井 直感に従って行動するときと計画的に動くときと、使い分けています。瞬間的なパワーが必要なときもある一方で、命に関しては、ゆっくりと向き合う気持ちを持つようにしているので、絶対に獲らなければならない状況だとしても、無理に獲ることはしていません。
中屋 黒井さんがニニウでの生活を通して、一番伝えたいことは何ですか?
黒井 移住したい人や田舎で暮らしたい人に向けて伝えたいこととして、街を面白くしようと熱い想いをもって行動したり、頑張りすぎたりすることは素晴らしいけれど、それを第一の目的にすることはやめたほうがいいかなと思っていて。その前に、まずは自分が生活していくための仕事や知恵を身につけてほしいですね。
経験を積んでプロ意識をもつこと。そうすることで自分の提供価値が上がり、村を活性化させるための力となって、より良い循環が生まれていく気がしていて。シンプルに「自分はこれがやりたくてやる」という気持ちで、楽しく暮らせるようになると、新しいものが生まれるのではないかと思います。まずは自分が楽しく暮らすこと。それを意識することがシンプルだけど一番大切です。
体験には何があった?
札幌で飲食店を経営していた黒井さんが移住をすることになったきっかけは、二拠点生活を行う中で自然と寄り添う生活をしたいという想いがあったから。さまざまなタイミングが重なり、羊飼いを目指し新しい環境で生活する決意を固めます。
今まで積み上げてきた関係性、住んでいた環境を大幅に変え、ニニウでの生活をスタートすることは大きな決断だったと思います。それでも自分の直感に従いながら、一直線に突き進んでいく黒井さんは、ワクワクや楽しさの方が勝っていたのでしょう。
羊農家ゆえの課題や葛藤を抱えながらも、黒井さんが動物たちにたくさんの愛情を注いでいるのは、自然や動物たちと共生する中で常に命と向き合って生きているからかもしれません。どんな環境に身を置いても、プラスに捉えて、日々の楽しさや面白さを発見していく黒井さん。「自分が楽しむことが1番」という心持ちは、忙しなく日々を生きている私たちへの問いを投げかけてくれるような気がしました。
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文・木村紗奈江
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