刺繍やマークのプリントを主に、まちに根付いたものづくりをしてきた長崎県西海市にある『山﨑マーク』。ものづくりの範疇を超えて、2020年に『HOGET』という名前の地域拠点をオープンさせたその背景には、「ほしいものは、つくる。」という企業と地域のスピリットがありました。
辿り着いたのは、 大切にしていた ものづくりの根幹でした。
『HOGET』という名前は西海市の山中で石鍋をつくっていた「ホゲット石鍋製作遺跡」(以下、ホゲット遺跡)からとったもの。「ホゲット遺跡はあまり知られていない西海市の魅力を感じられる、ものづくりの原点ともいえる場所だと思うんです」と『山﨑マーク』代表の山﨑秀平さんはいう。「『HOGET』は、ふらりとやってきた人に西海の魅力をそっと伝える場所になったらと思っています」。
オープンはコロナ禍の2020年12月。どうしてこの時期に、どうしてものづくり企業が「地域の拠点」をオープンさせたのか。それをひもとく前に、まずは『山﨑マーク』がどういう会社かを見てみよう。
1978年創業、従業員は約40名。本社社屋は『HOGET』の道を挟んだ向かい側にある。主な事業は刺繍、プリント、転写の3つ。スポーツのユニフォームや学生服、作業服に名前を刺繍したり、ゼッケンやロゴをプリントし、熱と圧力で転写したり。マークを付ける作業の全般を行っている。
「強みは顧客ニーズに合わせてカスタマイズができること。複数の技術を掛け合わせることもできるし、1点からでもお受け可能です」と山﨑さん。「還暦のおじいちゃんのためにロゴをつくりたい」なんていう、お客さんが描いたラフ画を基にロゴを起こすことはよくあること。プリントの前段階の”淡い相談“も受け止め、つくりたい人と”伴走“する。『山﨑マーク』は社のキャッチコピーである「ほしいものは、つくる。」の精神で、地域のつくりたい人たちを応援してきた。
自分の特性は、人の思いを 形に変えることだと気づいた。
スポーツが盛んに行われる時代がやってくると、マークの受注も増えていった。一方、秀平さんは将来、家業よりもかっこいい仕事がしたいと漠然と思い、長崎県内の高校と福岡県内の大学でデザインを学んだ。卒業したら広告代理店に就職する予定だったが、地元の議員になるという父親に代わって『山﨑マーク』で働くことに。葛藤はあったが自分で決めた。
『山﨑マーク』で働き始めた2001年から10年くらいの間は本人曰く「くすぶっていた時代」。仕事は少しずつ増えていったが、目の前の仕事を淡々とこなしている日々だった。仕事に対する姿勢が変わったのは、友人たちの仕事を受けるようになってから。高校や大学の同級生たちはクリエイターの卵ばかり。そんな彼らに「おまえの会社、なんでもできるね。おもしろい」と言われたことによる。「今考えれば当たり前なのですが、うちの仕事って、表現したい人のアシストができる会社なんだとようやく思うようになれました。自分の適性は、誰かの思いを形に変えることだとわかったのもこの頃でした」。一度、そう思うとがぜん仕事が楽しくなった。そして「自分の周りにはこんなにも表現したい人、つくりたい人がいたんだ」と目を見開いた。
そこで考えたのが「ものづくりの敷居を下げる」こと。相談しやすい雰囲気にすべく社名のロゴを愛らしいピンク色で作成し、さらには「ほしいものは、つくる。」というキャッチコピーも新しく取り入れた。2016年には、『山﨑マーク』から車で30分の佐世保市万津町・万津6区に、女性でも気軽に相談ができ、地域のものづくりの窓口となるようなお店『Manto』をオープン。すると、カフェを開くためにロゴ入りのエプロンをつくりたい人、自分の絵をグッズにしたい人など、これまでにない人たちが訪れた。
納得いくまで話し合い、 やりたいことのコアを発見。
このとき秀平さんが相談したのが、地域おこし協力隊で2017年、長崎市から西海市に移住していた編集者のはしもとゆうきさんだった。「西海市で暮らす人々は必要なものは自分たちでつくる。そんな半自給自足の生活に惹かれたんです」というはしもとさん。山﨑さんから地域の拠点をつくりたいと相談されたとき、「そりゃせんば(やらなきゃ)でしょう!」と喜んで協力を申し出た。
はしもとさんは、建築家の佐々木翔さん・千鶴さん夫妻、長崎市で斜面地活用をしているコミュニティデザイナーの岩本論さんに声を掛け、さらには地元大工の村岡渉さんも加わって「なにに使うかは決まってないけど、この場所でなにかをしたい」という山﨑さんの淡い思いに対して、メンバーたちは何度も話し合いを重ねた。コロナ禍だから見合わせないかという議題も出た。「このチームで話し合いを重ねてきたことで、今この”熱さ“がある。彼らが集まることは二度とないかもしれない。絶対に今だ」と、秀平さんは決意を表明。その姿を見て、建築家の佐々木さんは腹をくくった。「これはもうやるしかないなと。建築の依頼って通常は用途が決まってお願いされるのですが、なにをするのかまで一緒に考えていくことは初めての経験で、僕にとっても大きな学びでした」。
流れを変えたのは「ほしいものは、つくる。」というキャッチコピーの再発見だった。「それってつまりは、西海に根付くスピリットでもある。ホゲット遺跡も、ここで暮らす生活者にもいえる。この言葉こそ西海の強み。生きる力やクリエイティビティの力を伝えられるし、つくる楽しみとして『山﨑マーク』も表現できる」と岩本さん。その言葉が出たことで、場所の姿形が見えてきた。季節に即した西海の暮らしを体験できるイベントをしよう、DIYスペースをつくろう、建築はつくり込みすぎずに自由度が高いようにしようと、いろいろなことが決まっていった。
オープン以降、コロナ禍の様子を見ながら、3か月に1度はイベントを行った。地域のおじいちゃんやおばあちゃん、若い人、子どもたちが参加し熱気にあふれた。そして地域の人から「こんなことをやってみたい」という相談事も増えてきた。そういう人たちに寄り添って”伴走“する方法も知っている。「企業として『もの』も『こと』もつくれるって最強ですよね」と秀平さんは笑う。今年は地域のファッションをテーマにイベントをするという新しいアイデアも生まれている。
通り過ぎるだけだった地域に『山﨑マーク』がつくる色とりどりのマークが、今年もたくさん”縫い付け“られていく。
text by Kaya Okada
記事は雑誌ソトコト2022年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。