「未来を変えるプロジェクト」を続けてきたEARTH MALLでは、日常の中でその人らしく、小さくても地道に続けていけるサステナビリティに繋がるアクションを「サス活」と定義しました。会話の中から、誰もが始められる「サス活」アクションのヒントを探していきます。
子どもに沢山愛を育ててあげることが大切であるように、豚を豚らしく愛情をもって育て、飼育から出荷まで全て見通せる豚肉を食卓に届けることが、高橋さんが考えるアニマルウェルフェア※。
※動物が動物らしく生きるために必要な5つの自由を保障する飼育のこと。
「希望」という名前を持つ高橋さんが、家業だった養豚を自分らしく続けようと決意したきっかけはタイの児童養護施設「希望の家」との関わりや、2011年東日本大震災での被災経験まで遡ります。「豚らしい豚が食べたい」という消費者の想いに生産者が応える。高橋さんの養豚業と「サス活」に編集部が迫ります。(聞き手・取材:EARTH MALL編集部 小田部巧/腰塚安菜)
EM 小田部: 高橋さんの豚は今のところ、直売オンリー。有難くいただいていますが、コロナの影響を大きく受けて大変だということで、僕も何かできることはないかと胸を痛めているところです。
高橋さん: ありがとうございます。小田部さんをはじめ、ご縁でつながっている方、知人・友人、その紹介の方が、有難豚を食べてくださっています。被災して9年間、自分の農場がない状態で豚を残すため、飼育から流通販売までの多様なラインづくりをしてきました。今は、コロナ禍に加えて豚熱等の対策もあり、深刻な人手不足も続いていますが、これまで感じてきたお客様の願いや気持ちを大切に、豚の世話をするのは楽しいです。うちは、大量生産型の工場養豚とは異なる飼育方法をとっているので、最大の強みは、消費者の求めと変化に柔軟に対応できることです。今後も飼育法の選択肢を増やしていきたいと思います。
EM 小田部:SNSを介して拝見していると、餌づくりのこだわりもすごいんです。
高橋さん:豚たちと「対話」している感じなので、餌で喜びの反応が大きく変わるのも分かりますね。個々の好みや栄養バランス、成長速度から肉質まで全て見ます。豚の健全な成長の先に、お客様の顔が浮かぶので責任を感じますし「良い豚肉を届けたい」という思いが生まれます。餌を一新し、配合飼料のみでないため、豚肉の食味の評価も上がっています。季節ごとにも餌のブレンドを変えているんです。
津波で農場も豚も流されてしまった環境から再スタート
3.11をバネに、生き残った豚たちとともに再生
高橋さん:祖父母、両親ともに其々に養豚を営んでいたので、私は3代目になります。小さい時から生き物の行動観察や、世話をすることが好きでした。弱い子豚のケアをすることもありましたが、助けられる時とそうでない時があり、育てる立場として役割や責任を考えるようになりました。大学では保育士・幼稚園・小学校教諭の勉強をして、最終的に社会福祉を学びました。その後視野を広げるため、農場の仕事をしながら国内外の人材業界で7年働きました。その時に東日本大震災があって、津波で農場も豚も流されてしまったんです。
EM 腰塚:いわゆる津波の惨状は想像できますが、高橋さんは本当に辛いお気持ちだったはずです。
高橋さん:はい。それはもう。豚達が心配でたまりませんでしたが、九死に一生を得た父が現場を見ていて「もう駄目だ、無理だ、諦めろ」と言いました。両親の農場は、地域一帯が津波にのまれた沿岸部で、状況からして絶望しかありませんでした。
数日が経ち、驚くことに数頭の母豚が農場跡に帰ってきました。嬉しかったですが、道路もトラックも流され、ガソリンや餌や水も電気もなく、寒さから豚を守る場所もない状態です。震災下で、既に両親と兄は行政の全頭殺処分の方針に合意していて、最初に津波で屋根に打ち上げられていた2頭が薬殺処分されていました。父と寒い夜を共にし、鳴き声を聞きながら励ましあった豚達です。
私はどうしても助けたかったのですが、周囲からは「無理だ、諦めろ」「助けてこの先どうする」といった言葉しか返ってこなかったのです・・・。地域で当たり前のように行われていた養豚の機能がなくなった時、全壊した農場で人が豚にしてやれることは少なく、自分の無力さを嫌というほど感じました。
EM 腰塚:そんな高橋さん一家の壮絶な状況の中でも、助かった豚はしっかり生きていたんですね。
高橋さん:全く動じることなく生きていました。でも、両親や兄は絶望感で一杯でした。その時「生きている豚を助けよう」「生きているものは生かさないと」という声が周囲の人たちから上がりもう半ば強引にでもやるしかないと思いました。そこから様々な方の協力を得て、すべての豚の保護が終わるまで1ヵ月程かかりました。最も私の背中を押してくれたのは「今は大変な時だけど、出荷可能な状態になったら、みんなで感謝して食べよう」という声です。養豚はいのちを育てて人に元気を届ける仕事です。あの絶望的な状況下で、豚を助けるために沢山の方々と交わした言葉は、今でも私の心に残っています。豚達には「有ることが難しい」中で生き残った奇跡と感謝の意味を込めて「有難豚(ありがとん)」と名付けました。
アニマルウェルフェアは「食べる責任、育てる責任」
EM 腰塚:改めて、養豚業界の基本も教えていただきたいです。
高橋さん:現代の大量生産型の工場畜産は役割分業が進んでいて、個々が独立しています。育てる人は育てる、加工する人は加工する、運ぶ人は運ぶ、売る人は売るだけという具合に進みます。また、個体識別番号のある牛と違い、豚は「この肉はどういう扱われ方をしていたのか」というところまで追いきれないのが現状です。なので、市場には個体差のない平均的な豚の生産を求められます。
また、国内や海外の大企業が行っている工場畜産は、把握しきれないくらいかなりの頭数を飼うことで成り立っているグループ業界です。当然、環境への負荷も高く、その対策は必須です。
EM 小田部:工場畜産の養豚の実態動画を見せてもらったのですが、とてもショッキングでした。
高橋さん:そう、そんな現場で豚たちは一生狭い場所で飼われ、走ることもできず、土を踏むこともできず、目は血走り・・・ストレスフルで豚同士のいじめもよく起きています。工場畜産は、豚一頭あたりの単価が非常に安く、例えば飼育者の利益は一頭あたり1日30円程です。信じられますか。
EM 腰塚:はじめて聞いた価格ですが、そんなに安価とは知らず。本当に痛ましい現実ですね。
高橋さん:3ヶ月休みなく世話をしても、一頭僅か2,800円ほどです。その中から光熱費や施設費などの諸経費をさらに引かれます。
豚は一度に10頭ほど子を産み、年2回ほど出産があります。そのため回転率を重視すれば、どうしても低価格での提供を求められます。豚肉の他に、例えば「原皮※」は一頭2円、頭は20円ほどです。
※食肉を生産する時に出る副産物を総称。ここでは豚の皮。
そうした大量生産の仕組みが国内で作られたのは、戦後肉需要が高まった高度経済成長期あたりからですが、需要が飽和し、スーパーの肉価格が野菜より低価格になるような“異常事態”が起こっても、消費者の多くは、その安さの理由、豚の飼育背景には無関心です。日頃の生活ではあまり家畜を深く知る機会もないですしね。
今の世界のトレンドでは、大量食肉生産型の工場畜産と、オーガニック農家などが適正な規模で行う環境保全型畜産の二極化が進んでいるように思います。
EM 腰塚:大量生産の仕組みを聞けば「かわいそう」「食べたくない」という方向性にいく生活者もいる一方で、適正規模の育て方には希望が持てますね。高橋さんは、現実からも目をそらさずに、ご自身の養豚を続けていらっしゃる。
高橋さん:家畜と人間の歴史を辿っていくと、家畜というのは元々人と暮らす能力を備えた選ばれた動物です。家畜と人は、恩恵を享受し合える関係。世界に目を広げると、標高が高い山や砂漠など、どんな過酷な状況で飼われても適応するので、飼養場所によって違いがあってもいい動物なのです。環境が異なれば、家畜の特徴も味も違う。古来の人々は、根底に家畜に対するリスペクトがあったのだと、畜産や動物福祉に関する様々な本、映像から独学する中で学びました。
現代は大量の家畜を同じ型にはめようとするので、海外と国内の飼い方に差がなくなり、環境汚染や薬剤耐性菌などの課題が噴出しています。現状を何も変えなければ、解決策は出てこないのではないでしょうか。
豚とのふれあい、育てる機会を学生たちへ提供
「温かった」「目がキラキラしてる」生身の豚を見て感動する大学生たち
EM 腰塚:この写真は大学生が豚と遊ぶ様子ですね。途中まで教育の道に進もうとされていたという高橋さんなので、やはり「教えたい」思いから大学のゼミ生との共同も始まったんでしょうか。
高橋さん:そうかもしれませんね。慶應義塾大学の牛島利明研究会と、早稲田大学の大隈塾のみなさんと有志プロジェクトを行っています。東京に数頭の有難豚を送ってからプロジェクトを始めたので、7年目になります。学生たちには、豚との交流を通して自分で考える力と行動力を培ってほしいです。意外に思われるかもしれませんが、生き生きと走り回る豚を見て「食べるのがかわいそうになってしまった」という声があがる事はありません。もちろん、先ほどお話ししたような工場養豚の現場を見ると「かわいそうだ、嫌だ」という言葉を聞きますね。
私のカリキュラムでは、豚たちが「生きている時」「肉になった時」「食べられる時」の計3回にわたり「生きる」というテーマ、「自分は大切な誰と食卓を囲みたいか」について話し合ってもらいます。その中で「アニマルウェルフェア」というのは「家畜の幸せを実現することだ」と、メンバー自らの言葉で話していたのも印象的です。ゆくゆく社会人になって食を選ぶ際に、自ら選択する力をつけてほしいと願って、取り組みを続けています。
EM 腰塚:半年かけて育ててから、食べるところまで。高橋さんがこのゼミ生たちの“先生”として、カリキュラムで一番重きを置いているのは、やっぱり食べるところでしょうか。
高橋さん:もちろん、最終的に食べることも大事にしていますが、毎年ゼミ生たちが言うのは「豚の姿を見れて感動した」ということですかね。「触ったら温かかった」と生身の豚の様子に感動して「こんな目をキラキラさせて走っているのに、なぜ自由に遊ばせて、運動させてやることがダメなのかわからない」とも言っていますね。「人間の都合で、食肉生産効率が悪いからと檻に閉じ込めて、(人間のように)食べ物も仲間も選べず、豚が生き生き遊ぶことが許されないなんておかしい」と。やっぱり、生身の姿が見えないと「いのちを大切に」と言われても難しいと思いますよ。豚がどんな速さで走るのかとか、何を食べるのかとか、何をしたら喜び、どんなことが不安なのかも知らないで評価する側には、まわってほしくない。でも、そういった基礎知識を得る場がないですものね。
EM 腰塚:体験の場、交流の場を作ることの大事さを実感します。
「異文化交流」で得た、生けとし生ける食べものとの共存
高橋さん:震災の前に、タイの養護施設「希望の家」で養豚支援をさせてもらっていたんですね。そういえば当時のソトコトを見て、豚を育てる少しのコツや、子豚代を送らせて頂いたことがキッカケです。そこでは、子供が豚を育てて食べるところまで、全部自分たちで行います。タイの山岳民族にはもともと豚を大事に飼って、特別な日にいただくという文化があるそうなんですが、様々な事情で親元を離れざるを得ない子供たちは、そういった経験がなかなかできないと伺いました。
EM 腰塚:「豚を食べるありがたさ」の発見は、震災前のタイにもあったのですね。
高橋さん:動物を「かわいそうだから食べない」という見方もありますが、タイでは祝賀の席などで食べる御馳走。そんなこともあり豚は「人と人をつなぐ動物」と言われています。一つの命を特別な日に大切な人と分け合うことで、コミュニティを支え、その国の食文化をつくっています。
EM 腰塚:動物の命を頂くことには「有り難い」という言葉がぴったりですね。
高橋さん:はい。被災後、途方に暮れていた時「希望の家」のお便りに書かれた、養豚担当の男の子からの「僕は今、養豚ができて嬉しい、楽しい!」という言葉に支えられました。また彼に何か力になれるように再生したいという気持ちで。帰ってきた豚とともに次の養豚や新しい暮らし方を考え、復興を諦めない力になりました。
EM 小田部:そんな経験があって、高橋さんが大事にしていることは「異文化交流」で、海外に限定せず広義に定義して、豚の暮らしも文化と捉えれば、異文化交流なのでは。
高橋さん:そうかもしれません。20代の頃に社会起業塾に通った時に提案した「1頭オーナー制度」は、今も続けているんです。例えば、3か月に一度、1年に一度という定期的なサイクルで自分の豚を食べてもらうためのシステムです。「有難豚」は東京でも2か所で飼育されたことがあるのですが、宮城と気候風土と暮らし方が違うことで、肉質や個性も異なってきます。「有難豚」は育った地域によって個性があればある分、評価が高まります。
EM 腰塚:「1頭オーナー制度」、生活者の豚肉の買い方の発想からアップデートしてくれそうな、素敵なアイデアですね。野菜は「この農家を支援する」という買い方をしている人もいますが、お肉もそうなるといいな。
高橋さん:そうですね。それと実は今「リモート養豚場」というのをオープンさせていて・・・ 豚舎が遠隔から見られる “見守りカメラ”、見ますか?(カメラを取って戻る)
おいでー。おはよう。来た来た。おーい。豚舎には今、さだまさしさんの曲がかかっています。リアルタイムで子豚達の行動が面白いし、自然な様子が可愛いから常に見てしまいますね(笑)。特に、夜間の新生子豚と母豚の見守りにはとても役立っています。
EM 腰塚:この子、食欲なさそうかな?とか、食べ具合、育ち具合も見るんですか。
高橋さん:そう、そこで人間の出番。人間はちょっとそういう体調が崩れたときに手助けするのが役割。豚は我慢強いところもあるから、具合が悪くなったときは手遅れだったりする。そうなる前に、いかに観察ができているかというのが大事ですね。
畜産業は、まだまだ男性社会という感じなのですが、私は豚を主役にしたい。人間は育つ環境を整える方だから、いろんな人の願いに合わせて、飼育方法も変えていけたらと思います。養豚を行う上では「Happy animals, Happy customers」という言葉を大切にしています。もうすぐ震災から10年、あの日、帰ってきた豚には7代目が産まれました。豚を扱っていると、人間には力があるわけではなく、責任があることがわかります。
幸せな豚と幸せな人の関係を、1頭でも2頭でも形にすることができれば、養豚家としてこんなに幸せなことはありません。
EM 腰塚:最後に生きる豚たちの様子を見せていただいたことで、温かい気持ちになりました。貴重なお話、ありがとうございました。
高橋さんの「サス活」とは?
”異文化交流”を経て、豚の幸せを考え尽くすスタイルで続ける唯一無二の養豚業。
高橋さんのサス活
取材の中で、最も印象的だったのは「モニタリング」などの言葉では足りない愛ある観察眼で、豚舎の豚を見守っていた高橋さんの様子だ。高橋さんの考える「アニマルウェルフェア」は家業の養豚、保育の勉強だけでなく、支援や交流で外に出て体得したものだと気づかされた。
養豚業の傍ら、保育の学びを掛け持ちし、学びながら働くなかでも、視野はグローバルに向いていた高橋さん。女性視点の養豚家という点でも特別感があるが、20代で社会起業家塾へ通塾したり、在外の方々や精神疾患などの障害者の就労支援にも携わっていたりなど、養豚家である以上に独特な道を歩んできていることにも注目した。もちろん、養豚家の仕事の実際を聞く機会も稀だったが、震災を機に多拠点の豚舎に目配りする今の養豚業のスタイルになるまでの考え方の変化を重点的に聞かせていただいた。
タイの子供たちには「ご馳走」である豚を、子豚から屠殺まで学ばせるという「希望の家」の食育のあり方からは、自分の血となり肉となる「いのちの食べ方」の現実から目を背けず、しっかり向き合うことの大切さも教えてもらった。「アニマルウェルフェア」に「動物福祉」という日本語を当てはめたが、伝えるのは難しい概念だと感じる。けれども、この異文化交流のエピソードを聞き、若い世代に教える活動にも携わってきた高橋さんの考えるそれは、唯一無二のように感じられた。
一方、取材の中でしっかりと、分業式、集約型で育成する従来型の日本の養豚業への問題意識も提起した高橋さん。スマホ画像や動画で工場型畜産下の豚たちの現状も見せながら語る言葉の一つ一つが重く響いた。現実から目をそらさずに、向き合うことの大切さも教えてもらった。
食卓の料理に使われる動物たちから、命のみならず、元気を頂けることに「有難う」。その想いは、次に高橋さんの育てた自慢の「有難豚」をいただく際のモチベーションに、自分の中で大切に育んでいきたい。