まちのお祭り広場としての建築。
情報流通革命で、モノを買うために外出することが明らかに減ってきている。地方都市ではデパートやスーパーの閉店は日常茶飯事で、このままだと誰も街に出なくなるのではと不安を感じる出来事が増えている。人が集まって交流する、というのは、古くて新しいテーマだ。昔の村では、村で一番大きな家に集まって農作業をしたりお祭りをしていた。人が集まってくるからこその大きな家だった。今、人はどんなところに集まっているのだろうか。デパートやスーパーや商店街は閑散としているところも多い。しかし、出店が軒を連ねるイベントやお祭り、パンフェスタなどが開催されるとびっくりするくらいの人出がある。江戸の街は年がら年中お祭りをやっていたことで知られているが、お祭りがあれば、必ず市が立つ。パンフェスタは逆に市を立てて、人が集まるから歌や踊りがやってくる。日本の都市には広場がないと言われるが、お祭りの盛んな地域では寺や神社の境内は明らかに地域の広場と言えるし、神輿や山車が通る道もどこか広場のようで、道そのものがお祭りを待っているような雰囲気がある。
お祭りの伝統がない街はどうしたらいいのかと問われることが多いが、私が思うのは、お祭りをやるための広場自体を建築でつくってしまえばよいのではないか? ということだ。屋根がかかった大きな多目的の広場をつくる、音楽や演劇やいろいろなイベントをやるために人が集まる建築。ビールが飲めて、地域の食を楽しめて、自分たちの居場所をつくっていく建築。お祭り自体も皆でつくって育てていく。そんな夢物語のような建築を、この夏、栃木県那須塩原市にようやく実現することができた。長年の市民運動のうえで、行政と市民と建築家がフラットに協働することができてどうにか実現した、市民が自分たちの手で自分たちのお祭りをつくっていく広場としての建築である。これからの地域社会の可能性を考えるうえで、試金石になるプロジェクトだと思っている。