ぐるぐる

連載 | こといづ | 96 ぐるぐる

 「あんただけか。ミカちゃんは居らへんのか」、ハマちゃんが真っ青な顔をして倒れそうになりながら、仕事場の窓を叩いた。「ハマちゃん、どうしたん」、慌てて外に飛び出ると、ハマちゃんがフラフラしている。「胃のあたりが熱うなって寝られへんのや。もう10日ほども寝とらん。しんどいんや」。「とにかく、部屋に上がり」と誘ってみたけれど、「あんた、勉強しとったんやろ、邪魔した。いぬわ」と帰ろうとしてしまう。こういう時、女同士やったらいいのにと思う。男も女も、40歳と87歳、気にする歳ではないと思っていても。どうにも困ったと思っていたら、村の入り口に住んでいるマサミさんが偶然、人参を持ってきてくれて助かった。「ハマちゃん、上がらしてもらい。いったん座ろう」、生まれてからずっと付き合いのあるマサミさんが言ってくれると訳が違う。「そうか、ほんなら悪いけどな、背中をさすってほしいんや」。


 マサミさんが優しく何度も背中をさすってあげる。「ハマちゃん、肩もよう凝っとるで」、「ほうか、畑仕事を気張りすぎたんかもなあ。私もな、隣のおばちゃんがしんどい言うたら、ずっと背中をさすったんやで。今日はマーちゃんにさすってもろとる。気持ちええなあ」。


 僕はその間にお灸の準備をする。ハマちゃんにはゴロンと寝転んでもらって、足の裏やおへその周りにお灸をすえる。「なんでやろうな、躰は動くで、日なか働いたんやで。ご飯も食べとる。そんでも夜が寝れへんのや」、ほんとうに、心底参ったように天井を眺めている。こんな時、妻のミカちゃんがいてくれたら、いろいろと健康のことは詳しいので、躰が楽になるまでなにかをしてあげられるのに。妻がいつもやってくれることを思い出しながら、ハマちゃんの足をマッサージしてほぐしていく。僕もよく消化不良でしんどくなる。そんな時に妻に相談すると、足の爪先から太ももまで足をくまなくほぐしてくれて、大体治る。ハマちゃんにも効くといいなと念じながら、ぎゅっぎゅっと血液が巡るように圧をかける。「ほんま、悪いなあ。もったいないで」。しばらくすると、顔の血行が少し戻ってきた。「ああ、よかった、楽になったわ。ありがとう」と家に帰ることができた。


 入れ替わるように妻が帰ってきたので、一緒にハマちゃんの家に行ってみた。お粥をつくろうとしていたみたいでお湯が沸いている。「ミカちゃんにな、あんたにな、会うたら楽になる思うて坂を上ったんや。カッちゃんがな、灸(やいと)さしとくれて楽になったわ。今晩、寝れるといいけど」。ハマちゃんは「夜が怖い」と言う。「横になっても寝れん、寝つけんからテレビをつける。ほしたら怖いニュースばっかりやってる。嫌になってテレビを消す。真っ暗になったら、思わんでええことが次々に頭に浮かぶんや。ほんで、いろいろ思とったら寝られん。時計を見ても、さっきから進んでない。朝の4時くらいになったら、ホッとするで」。困った。寝られへんというのは、ほんとうに困った。


 僕たち夫婦も、この冬に寝られない日が数日続いたことがあった。今年は暖冬だったけれど、急に気温が下がって雪が降った夜があった。あまりに寒いので、普段使わない電気毛布を敷いて寝てみたら、ポカポカで、これは楽園のようだと続けてみたら、それから眠れなくなってしまった。躰が熱くなって眠れないのだ。気が付いて、元に戻すと普通に眠れるようになったので、もしや、「ハマちゃん、電気毛布使ってるかい」と聞くと、「使っとる。胸のあたりまで。あれのせいかい。ようないんかい」。「暖かくしておいた体温がぐっと下がっていくときに眠れるらしいんよ。だから、布団は暖かくないほうがいいのかもね。今日、試しに電気毛布を切ってみたらどうやろう」。


 次の日、ほくほくに顔色が戻ったハマちゃんがやってきて、顔を見るだけでよく眠れたのがわかった。「4時にいっぺん目が覚めてな、それからまた眠れたで。そんなん、はじめてや」とうれしそう。「ハマちゃん、今日は足湯をしてみようか」、妻が小さな鍋にお湯をはって、ハマちゃんの足をつける。「足湯やったら毎日、自分でもできるから」と、足湯あがりのハマちゃんの足を揉んでほぐしていく。そばで見てるだけで僕も気持ちがよくなってくる。「ああ、気持ちいいわ。ありがとうな。こんなババアの足を。もったいない」と、ハマちゃんは両の手を合わせて妻を拝んだ。そしてハッと気づく。「これ、隣のトオちゃんも、よう手を合わせとったなあ。なんにでも、ありがとうございます、ありがとうございますって」と、両の手のひらをまじまじと眺めてみる。誰かが誰かにしたこと、また、誰かが誰かに。ぐるぐると。

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