ゆるゆる

連載 | こといづ | 87 ゆるゆる

 気がつくと、庭の樹々がこんもりと茂っている。あれ、ここはこんなに日当たりが悪かったかな、じめじめしてるな。どの枝も、光を求めて上へ上へと伸びていったはよかったが、考えていたことはみんな同じだったようで、伸びきった枝葉同士、ぶつかり合っておしくらまんじゅう、窮屈そうだ。


 ひしめき合う葉という葉で空は覆い尽くされて、地面には光も風も届かない。そんな暗がりの世界に、あたらしい芽が、ぽっつりと吹き出て。この世に顔を出したはいいけれど、そこはすでにたくさんの生命で混み合っていたものだから、もうデタラメみたいにぐねぐね、ぐねぐね、なりふり構わず、自分が生きていける場所を探して枝を伸ばす。あっちへ行ってはぶつかり、こっちへ行ってはぶつかり。


 そうして、ふと自分の姿を振り返ってみると、なんとも奇妙キテレツ、曲がりに曲がりくねって、これはおかしい、まるであってはならない、えい、チョッキン、鋏で切ってしまった。そのあとに、じわり、なんだか、そのどうしようもなかった、真っ直ぐには生きられなかった日々が、どうにも愛おしくて忘れられず、心のなかに根を下ろし、ぐねぐねと育ち続けている。


 もうすぐ40歳になろうとしている。いままで年齢を気にしたことはなかったけれど、少し前から、躰も心もいよいよ変化を感じるようになった。単純に年を取ったなという話なんだけれど、これまでどおりに生きているとこれから面倒なことになるなと気づいて、日々ちょっとだけ心がけることが増えてきた。


 三日坊主で終わってしまうことも多いなか、これはいいなと続いているのが、お尻の穴をぎゅっと締めること。そうするだけでおへその下がふわっと温かくなって、全身がとろっとゆるまる。頭のほうに上っていた心がすうっと下がってきて、元々いた場所に還ってこられたような落ち着いた気持ちになる。


 このおへその下の辺りを「丹田」と呼ぶけれど、「関元穴」とも呼ぶらしく、こちらの名前のほうが何かしっくりくる。「関」を調べると「つなぎめ。何かと何かをつなぎとめるしくみ」とある。おへその下なので上半身と下半身をつなぎとめている場所なのだろうか、躰の中心をつかさどる大本の場所なのに「穴」、そこには何もないらしい。躰や心から湧いてくる、よいものも悪いものも、ぜんぶつなぎとめて、あたらしいバランスを見出そうとし続けてくれている場所なのかもしれない。


 そんな大切な場所なのに「穴」、そこには何もない「空っぽ」だという。うん、いいぞと思う。何もないのに、きちんとあったかくて、頼りにしていいのだ。


 相変わらず、山が生み出す音に耳を澄ます日々が続いている。今朝は、「ほー、ほー」と美しい声が谷に響いた。ウグイスが鳴き始めたのだろうか、そのまま「ほーほけきょ」と歌うのを待っていると、「ほー、ほー。ほーほー」。よく響いて、ほんとうに美しい。ウグイスもそう思ったのだろうか、何度も何度も「ほー、ほー」と響きを確かめるように声を出す。この歌声と一緒にピアノを弾いてみたいと思って、席を立った途端、「ほー、ほほほ、ほけっきょっ」、あら、終わってしまった。こちらの欲が伝わってしまったかな。


 こういうことはよくあって、うまくいくときは、気がついたら、僕もピアノを弾いていて、彼らも彼らの歌を歌っている。お互いに、合わせようとしているのか、合わせようともしていないのか。謎は謎のままに、この小さな谷のあたらしいいっときを一緒に育んでいる。


 そうして、ぐるり、辺りを見回してみると、どこもかしこも、何もかもがそれぞれに勝手に動いているようで、それでもやっぱりお互いに関わり合いながら、いまのいまを生み出している。


 これから進みたかった道なのに、たくさんの壁で遮られていることだってあるだろう。そんなとき、邪魔だ邪魔だと壁を蹴散らしていったり、高い壁を乗り越えていこうとするのは、なんだかひどく大変そうで、ドキドキする。


 ぐねぐねと回り道をしながら、ささやかでもいいから愛おしい光があるほうに、そんな風に枝を伸ばしていったら、不恰好かもしれないけれど。ほーほーほーと、まだ知らぬ美しい響きがあるほうに。ゆるやかに、ゆるまって、ゆるせている。ゆるゆる、ゆるゆる、ゆるゆる、ゆるゆる。

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