石原慎太郎氏が、東京都内の自宅で亡くなった。89歳。善くも悪しくも一時代を画した人物だった。1956年、一橋大学在学中に書いた小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞、さっそうと文壇にデビューした。「ペニスで障子を突き破る」というフレーズがもてはやされた。小説の映画化によって、弟・裕次郎を国民的スターに祭り上げた。
私にとって特に印象に残っているのは、2001年秋、石原氏が言ったとされる“ババア発言”である。石原氏はさまざまな暴言、放言で、舌禍事件を引き起こしたが、これはその最たるものの一つとして語られている。
彼は都知事になって間もなく「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは“ババア”」であり「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」と言って、物議を醸すことになった。日弁連が差別発言として警告書を出し、女性団体が権利侵害として提訴を行った(裁判所は、石原氏の発言を問題としつつも、原告個々人の名誉が毀損されたかというと疑問であるとして請求を却下した)。
私がこの発言に興味を持つのは、裁判の是非はさておき、ここに生物学的な問いが含まれているからである。
多くの生物は、生殖能力を失うと死を迎える。コオロギなどの昆虫などが典型だが、春に生まれると、夏から秋の間、盛んに求愛の曲を奏で、パートナーを見つけて次世代(卵)を産み、冬になれば自然に退場する。ヒトだけが、生殖能力を失ってもかなり長生きする。オランウータンやアカゲザルにも更年期があり、シャチやクジラの一部には閉経後も生きる種がある。とはいえ、生殖期間が終わった後、数十年にもわたる長き「老後」(オスを含めて)が存在する生物は、確かにヒトだけである。
一体なぜなのか、考える価値のある問題である。
子孫を残すための戦略として生物が採用している方法は大きく分けて2通りある。ひとつは、できるだけたくさんの子孫を、できるだけ効率よく産むという方法だ。何千個、何万個もの卵を産んで、産み終わったらさっさと命を終える魚や、ある種の昆虫のような生き方がこれである。あとは運任せ。でも大量に子孫を残せばわずかな個体が生き残って、次世代をつくっていく。実際、この戦略で成功してきた多くの生物がいる。私の好きなツチハンミョウという甲虫は、まさにそんな“ギャンブル”をしている。
一方、もうひとつの戦略は、子孫を産む数は少ないながら、これをできるだけ手厚く、ていねいにケアして育てる、という方法である。そのぶん、子どもを一度にたくさん産むことはできないし、子育てに手間隙がかかるので簡単に次の子どももつくれない。しかし、子孫を確実に守り育てることが可能となる。ヒトの子育てはまさにこれである。
どちらの生存戦略が賢明なのかは、一概には言えない。確かなことは、いずれの戦略もこの地球上に併存しているということである。双方が成功しているのだ。
ここでもう一歩思考を進めてみたい。大量の卵を産む方法は、その中でなんとか次世代へ生命をつなぐ個体が生き延びることを、確率に託するしかなす術がない。しかしケア型の戦略のほうはどうか。めんどうな子育てには時間と労力がかかる。子どももなかなか一人前にならない。そして、ここが重要なポイントなのだが、親は一体どの時点まで子どもの成長を見守ればよいのか。「生殖年齢に達するまで?」。現代社会ではたとえ身体が成熟しても、まだまだ子どもは子どもである。「成人に達するまで?」。否、たとえ子どもが成人に達しても、その先、何もなさなければ生命の系譜はそこで途絶えてしまう。だから一番確実なのは、その子どもが成人して、結婚して、次の世代をつくるところまでを見届けることである。親は孫の誕生をもって初めて一安心できるのである。
つまり「ケア戦略」においては、各世代は、次世代をつくるだけでなく、次の次の世代までをケアするところでようやくひとつの仕事を達成することになる。これが連続して初めて生命の系譜がつながる。それゆえに、おばあさんの寿命が延びたと考えられるのだ。言い換えれば、「ババアが長寿であることが有利に働いた」となる。子育てと孫の誕生にはおばあさんだけでなく、おじいさんが長寿となり、知恵を貸したり、ケアに参画することが重要になる。かくしてヒトの長寿が達成された。
どんな問題を考えるうえでも、「進化論的思考」は重要になる。今ある生物の特性には、なんらかの合理性があるからこそ、その特性が保存されたと考える思考だ。合理性というのは、「生き残るうえで有利である」ということである。だから生物において「無駄で罪」なことはありえない。「無駄で罪」な状態が生起すれば、それは早晩、「進化の網の目」に淘汰され消えてしまうだろう。
待望の新刊!『ゆく川の流れは、動的平衡』
福岡伸一著、朝日新聞出版刊
本体1870円(税込)
ふくおか・しんいち●生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。米国ロックフェラー大学客員研究者。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『福岡伸一、西田哲学を読む』(小学館)、『ナチュラリスト』(新潮社)など。大のフェルメールファンとしても知られ、『フェルメール 光の王国』『フェルメール 隠された次元』(木楽舎)がある。朝日新聞に小説「新ドリトル先生物語 ドリトル先生ガラパゴスを救う」を連載中。
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文・福岡伸一
記事は雑誌ソトコト2022年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。