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多様性

連載 | 福岡伸一の生命浮遊

GP2遺伝子を取り出す

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 直径10センチほどの円形のナイロンフィルターが何枚も目の前に並んでいる。一見、ただの白い薄切りの円盤。まさに千枚漬けだ。肉眼では見えないが、ここにはミクロなレベルで、重要な現象が積み重なっている。まずナイロンフィルターの表面には点々と、ライブラリーのcDNAが固定化されている。ライブラリーcDNAとは、細胞で活動している遺伝子情報、つまりメッセンジャーRNAを、人工的な二本鎖DNAに写し取ったもの。わたしたちの研究の場合、膵臓細胞のライブラリーが使われている。

わたしたちは、膵臓で働いているタンパク質GP2の遺伝子情報を釣り上げようとしていた。そのため、まず膵臓細胞をすりつぶし、その抽出液から、GP2タンパク質を苦労して精製した。貴重なサンプルを使って、GP2の部分的アミノ酸配列を読み取った。アミノ酸配列情報をもとに、遺伝子配列を推定、その遺伝子配列を持つ短い合成DNAを用意した。これをプローブと呼ぶ。プローブの端に放射性同位元素のリンを取り付け、目印とした。これがGPSの役割を果たす。ナイロンフィルターを溶液に浸け、そこにプローブを混ぜた。ナイロンフィルターはミクロな眼で見ると、すかすかの金網構造。プローブはそのあいだを拡散しながら泳ぎ抜け、自分と相補的な配列をもつcDNAを求めてさまよう。運よく、パートナーを見つけ出したプローブは、その場で二重らせん構造を作り出す。cDNAはナイロンフィルターに固定化されているので、プローブもその場にとどまる。

わたしたちは、まさに千枚漬けを冷水にさらすように、ナイロンフィルターを洗う。余分なプローブを除去するためだ。余分なプローブがうろついていると、そこからニセのGPS信号が出て、ノイズとなる。わたしたちが欲しいのは真のシグナル、つまり、目的とするcDNAにしっかりと結びついたプローブが発する放射性同位元素の信号である。

その信号はどのように検出すればよいか。原始的ながら確実な方法がある。写真現像の原理を使うのである。ナイロンフィルターを乾かし、大きな厚紙の上に貼り付ける。それを暗室に持って入って、その上にぴたりとX線フィルムを重ね合わせる。光が入らないように特殊なサンドイッチ構造の箱に入れ、数日間待つ。

もし、ナイロンフィルター上のある場所からプローブの放射線シグナルが発せられていれば、それはX線フィルム上の銀粒子を焼いて黒化させる。X線フィルムを現像し、未反応の銀粒子を洗い流すと、あとには小さな黒い点が残る。その点こそが、cDNAのありかを示すのだ。わたしたちは目を皿のようにして、X線フィルムを光にかざし、黒い点を探す。あった! X線フィルムを、ナイロンフィルターと照合し、何番目のフィルターのどの場所から信号が由来しているか、特定する。

フィルターの番号と黒点の位置が判明すると、次は冷蔵庫に保管してあったシャーレを探し出す。ナイロンフィルターに大腸菌のコロニーを写し取った、その元になったシャーレである。そこには大腸菌のコロニーが点在している。X線フィルムに黒い点をもたらした、その場所に位置するコロニー。これこそが求めるべきものだ。このコロニーの大腸菌が、GP2遺伝子のcDNAを保持しているのである。このようにライブラリーの中から特定のcDNAを取り出すことを、遺伝子クローニングという。

わたしたちは注意深く、針の先でコロニーをつついて、大腸菌を回収する。新しい培養液の中で大腸菌はどんどん増殖する。それにともなってcDNAも複製される。あとはcDNAを精製し、遺伝子配列を解読すればよい。タンパク質と違って、cDNAのよいところは、実験でどんなに消費しても、元の大腸菌さえ保管しておけば、いくらでも増産することができる点だ。わたしたちは安心して実験を進めることができる。

こうして世界ではじめて、わたしたちは、GP2遺伝子の全構造を明らかにすることができたのだった。

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