その人気ラーメン店は、店前にずらっと並べられた椅子に客が座って待つスタイルの店だった。僕も最後尾の椅子さえないエリアから始めてその椅子にようやく腰掛けたのだけど、隣の女性は自分の席以外に小さなバッグを置くためにもうひと席使う人だったから、嫌だなと思った。皆が肩寄せ合う一列の中に悠々とたたずむそれはどう見ても割れ物など入っていなさそうで、形崩れする物も入ってもいないだろう、というかそもそもそれ何入んの? というサイズ感だったから、僕だけじゃなくて通路で待つ多くの客から「膝の上に置かんかい」という視線を浴びせられていた。
まあ、ツレでもくるのかな? なんて思いながら気を逸らすため天井に目をやると、店員から人数確認された彼女がしっかり「一人」と答えたので、また隣を見てしまった。彼女は周囲の視線に気づいているようで、決して顔を上げずにスマホをいじり続けるので、逆に、あ、それ、気が利かなかったとかではなくて意思でやってんのね? と思わせた。
電話がかかってきたのか、彼女は友人らしき相手と話し始めた。その語り口は柔らかくて「うん大丈夫、やっとくよ」みたいな感じで優しかったのだけど、話し相手は知っているのだろうか。この女性が満席の状況下でも小さな鞄を置くためにもうひと席確保するタイプの人間だということを。なんてことを思った。
だけど人間というのは、そういった他者から見れば歪に見える優しさや愚かさのバランスを誰もが持っていて、そのバランスは当の本人にとっては自然であったりするからまあ仕方ないよと思えば、なんか気が楽になった。僕がこういう風に思えるようになったのは最近になってからだ。
数年前、僕はある会社の事業責任者をしていた。着任当初から現状課題をこれでもかと列記して役員陣に叩きつけ「今すぐ変わらなくてはならない」と怒り、語ってきた。そして誰よりも自分自身にそう言い聞かせてきた。だけど1年やっても2年やっても思ったより事業はよくならなくて、そして何より僕も同僚も疲弊してしまって、その原因が自分のスタンスにあるのではないかと思うようになった。
人は誰もが自分だけの“自然さ”の中を生きている。得意も苦手も好きも嫌いも、それぞれがそれぞれに持っている。そのバランスは本人にとっては自然なのだから、「今すぐ変わるべきだ」というスタンスは不自然なのではないか。それよりも「これが私だし、それが君だから仕方ない。だけどあそこまで行こうよ」というあり方が重要なのではないか。そう思うようになってから、そのおかげとは言えないけれど、事業はスルスルと伸びていった。
幼い頃に経験した苦々しいあれこれで(それらは今考えれば周囲の大人が間違っていたのだけど)、彼らに怒りを感じていいと知らなかった僕は、どうして自分はこうもダメなのかという怒りの涙を一滴ずつ胸の内に溜めていくような幼少期を過ごした。その怒りは、閉鎖的で抑圧的な中高一貫校で他者に向かうことを覚えた。納得のいかない理不尽な校則や文化に満ちたあの漂白された青春時代を過ごしたことは、今思えば、僕の体に溜まった怒りを外に放つ機会になっていたけれど、それでも僕の自己への嫌悪感と怒りは朱肉みたいにかすれることを知らず、どうやら自分はゲイであるらしいという自覚によってその濃度を高め、腹が立ったものには手当たり次第に「赦さない」という判を押すみたいにして10代を過ごしていた。そして気がつけば、そのまま大人になっていた。
僕に必要なのは赦しだったのだと思う。自分も同僚も小さなバッグの彼女もおそらく変わらなくていい。大事なのは変わることより成長することで、それが彼女にとってバッグをそっと膝の上に置くことであればいいなと思うけど、まあ違ったら仕方ない、そのまま行けよ! なんて思いながらラーメンを食べた。
文・太田尚樹 イラスト・井上 涼
おおた・なおき●1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。
記事は雑誌ソトコト2024年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。