2022年4月から始まる、沖縄をテーマにした連続テレビ小説『ちむどんどん』。その舞台の一つとなったのが、沖縄と深い関わりのある横浜・鶴見区。今回は鶴見と沖縄の歴史はどのように紡がれていったのか、鶴見で沖縄を感じられるスポットなどを取材しました。
目次
朝ドラ『ちむどんどん』の舞台、横浜・鶴見とは?
横浜市の北東部に位置する街、鶴見。鶴見川が流れ、臨海部には京浜工業地帯が広がっています。またJR線と京急線が通っており、アクセスがいいのも特徴。
そして意外な特徴が、鶴見には多くの沖縄出身者が住んでいること。また外国籍の人も多く、多文化が共生する街なのです。
エリア的には、鶴見川の南側、「潮風大通り」の周辺が該当します。
4月スタートの連続テレビ小説『ちむどんどん』の舞台の一つとなり、今注目を集めている街、鶴見区。「ちむどんどん」とは、沖縄方言で「胸がわくわくする気持ち」のことです。
今回は「ちむどんどん」横浜鶴見プロジェクト実行委員長の下里さんに、鶴見に根付いた沖縄コミュニティや歴史についてお話を伺いました。
【下里 優太(しもざと ゆうた)さん】
横浜・鶴見に根付く沖縄コミュニティの歴史
横浜鶴見と沖縄の関係が始まったのは、大正から昭和初期頃。働き口を求めて、京浜工業地帯の中核である鶴見へ沖縄県民が集まってきたことが大きなきっかけでした。
下里さんは、鶴見に住むようになり沖縄の文化が根付いていることを実感したと言います。
下里さん 70年近く前から、鶴見の公園で沖縄角力(すもう)が年に1回行われています。他にも沖縄の伝統芸能であるエイサーが20年ほど続いていたりと、鶴見に来て沖縄と鶴見の関係の深さを実感しました。
また鶴見には沖縄コミュニティが存在し、これまで支え合いながら鶴見で歴史を紡いできたのだそう。
下里さん 昔は生活する上で不便なこともあったようですが、沖縄出身者同士で助け合ったり、鶴見区が多文化共生の街として街を整備したりこともあって、コミュニティがここまで受け継がれてきたのだと感じています。
沖縄出身者同士の支え合いや、地元の人たちが温かく受け入れたこともあり、沖縄コミュニティは鶴見に根付いていったのですね。
鶴見区は2008年に「鶴見区多文化共生のまちづくり宣言」を発表。7国語で防災マップを作成するなど、情報発信の多言語化に取り組んでいます。
多文化の人々が共生できたのは、コミュニティの輪のつながり
鶴見は沖縄コミュニティの他にも、沖縄から南米に渡った日系二世、三世も多く、ブラジルやペルーなど、様々な国籍のコミュニティが存在しています。多様な文化が集まると衝突することもありそうですが、多文化が共生できている理由についてはこう話してくれました。
下里さん 一つ一つのコミュニティ自体がしっかりしていることも大きいと思います。また最近になって、そのコミュニティの輪が少しずつ重なってきたと感じています。
もともとはバラバラだった輪が、ともに生活しながら歩み寄ったことで、少しずつ繋がってきたのだそう。文化が違っても同じ街でともに暮らしながら、手を取り合っていく心が感じられます。
多文化共生の街、横浜・鶴見の魅力を全国へ
今後は朝ドラ『ちむどんどん』のスタートを機に、横浜・鶴見の魅力を全国に知ってもらいたいとのこと。
下里さん おきなわ物産センターや、南米などの多国籍料理店もたくさんあるので、鶴見の魅力を発信してたくさんの方に訪れてほしいと思っています。
下里さん 他にも街を周遊するスタンプラリーなどを企画しています。ぜひドラマの雰囲気を味わいに来ていただきたいですね。
進行中の企画の他にも、鶴見には鶴見線というローカル線や、總持寺(そうじじ)という大きなお寺など、見どころがたくさん。下里さんが二代目を務めるおきなわ物産センターでは、できたてのサーターアンダギーや沖縄そばなども味わえます。
横浜・鶴見は沖縄や多国籍な雰囲気を楽しめる街
多様な文化が混ざり合う街、鶴見。互いを受け入れ、歩み寄ることで重なってきたコミュニティの輪は、朝ドラ『ちむどんどん』を通して、さらに力を合わせて大きくなろうとしているように感じました。ぜひ横浜・鶴見を訪れて、多文化が共生する街の雰囲気を楽しんでみてはいかがでしょうか。
取材協力:「ちむどんどん」横浜鶴見プロジェクト実行委員会
実行委員長 下里優太
実行委員長 下里優太
取材・文:さいとうえみり
写真:さいとうえみり
写真:さいとうえみり