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連載 | 写真で見る日本

無意識の細部と、樹海|大和田 良×山梨県南都留郡鳴沢村

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写真だからこそ、伝えられることがある。それぞれの写真家にとって、大切に撮り続けている日本のとある地域を、写真と文章で紹介していく連載です。

学生時代、友人たちと連れ立ってキャンプをしに、富士五湖のひとつである西湖へ向かった。目的地へ向かう前に周辺を巡ろうと足を運んだのが、富士の五合目や溶岩洞「鳴沢氷穴」だった。山梨県側から見る富士も雄大だったが、それ以上に自分の視覚に鮮やかに映し出されたのが、麓に広がる青木ヶ原樹海だった。それまで見てきた森とは異なる、深い緑と、ゴツゴツとした溶岩台地から放たれる濃密な生命力のようなものが、当時の私の意識に強烈に作用したのだと思う。それからというもの、年に何度も樹海とその周辺を訪れ、写真を撮るようになった。ふと思い立って一人で行くことが多かったが、家族ができてからは妻や子ども、あるいは飼い犬を連れて行くようにもなった。
不思議なのは、長い間通い詰めていながら、未だにひとつのシリーズとして作品化したことがないということである。フィルムカメラしか持っていなかった時分から現在に至るまで、撮影枚数にすれば大変なものになっているのだが、個展や写真集の主題として考えたことはなかった。写真を職業としているから、撮ることは仕事の一部であり、撮影した被写体は何らかのかたちで社会に提示するほうがむしろ自然なのだが、こと樹海とその周辺から眺める富士の写真に関しては淡々と数十年にもわたり、無目的に撮っているばかりである。散策しながらスナップすることもあれば、三脚を立てて大きなカメラを用いることもある。撮影の機材や方法もさまざまで、その時に持参したカメラを使い、その場で思いついたアイデアに従い撮る。だから場所は同じでも、得られるイメージはいつも違った。要は、この一帯は私にとって、思考と実践を重ねる稽古場のような空間になっているのだと思う。間近で富士を眺め、広がる樹海の中で表現を探ることは、想像力を拡張するためのトレーニングといった趣で成立している。

常緑の針葉樹や苔を中心に構成される景色は、一年を通して深い緑を感じさせるが、広葉樹や林床の草木が季節を特徴付け、その移り変わりを鮮やかに描き出す。晴れた日には木漏れ日が差し込み、曇天にはさまざまなコントラストと彩度を持った緑が、遠くまでにじむように連なる。雨の日は鳥のさえずりの代わりに雨音が耳を打ち、艶やかで暗い緑が滴る。特徴的な岩や倒木が景色の主題となるスポットもあるが、基本的にはただ深い森が続くだけであり、視覚に流れる情報は、シンプルとも、複雑とも言える。だからなのか、樹海を撮影した写真には、常に無数の細部からなる無意識が画面全体を覆っているように感じられ、自然風景を通してレンズの機械性と言えるものを感じることができた。人間の目は、意識的に凝視することが可能な情報量に限りがある。その点で、私が視覚を通して感じている景色は抽象化されたものだと言ってもいいだろう。しかしながら、レンズは目の前の風景を余すことなく完全に映し出す。これがまさに、写真のおもしろいところである。またこれこそが、私が写真に感じている魔術のような不思議さでもある。

山梨県・鳴沢村を中心に広がるこの景色にレンズを向ける理由は、自分が辿り着くべき写真の本質の一部が、この深く入り組んだ森の中にあると確信し、探し続けているからなのだろうと思う。

 (125089)

おおわだ・りょう●1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスの『エリゼ美術館』による「reGeneration.50 Photographers of Tomorrow」に選出され、以降、国内外で作品を発表。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)、『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)など多数。2011年「日本写真協会賞新人賞」受賞。東京工芸大学芸術学部非常勤講師。
記事は雑誌ソトコト2022年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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