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岐阜県中津川市と下呂市。地域の魅力を人をとおして知る。

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岐阜県中津川市の「山守(やまもり)」と下呂市の「牛飼い」に会いに行った。
地域を「人」から探っていくと、その先には何があるだろう。

少し先の話になるが、2027年のリニア中央新幹線の新駅が岐阜県にできることを知っているだろうか? これを機にさらなる地域の魅力を発信していこうと動き出したのが、駅ができる中津川市とお隣の下呂市。2つの市が“地域の魅力”として注目したのは、そこで暮らす「人」だ。コーディネ—ターを務める同県・飛騨市に暮らす元・サボテンきこりの白石達史さんによる案内のもと、その「人」たちに会いに行った。

途中、Webメディア『ジモコロ』の編集長・徳谷柿次郎さんたちを交えたトークイベントも開催された。
途中、Webメディア『ジモコロ』の編集長・徳谷柿次郎さんたちを交えたトークイベントも開催された。

「現在の林業は明治以降の形です。でも江戸時代の林業に目を向けていくことが今必要であると思うんです」と話すのは、内木哲朗さんだ。中津川市の加子母地区で江戸時代、尾張藩の山を管理していたという「山守」。その20代目として歴史を伝えるために市役所職員を約2年前に退職し、現在『山守資料館』の準備を進めている。

山守の主な仕事は現代の林業に近く、森林の保護・整備、盗伐の予防、山火事の予防などがある。しかし異なる点も。「江戸時代の山守が行っていた林業は、山全体の木の量を測って、上手にポイントを押さえて1、2本切り、下から出てくる芽を育てていくものでした。今のように木を切ったあとに植えるんじゃなくて、切るだけ。自然の種から新しい生命を育てていたんです」。

自然界で生まれた苗は、直根という縦に長い根を持ち、土深く根を下ろすが、現代の植林では直根をわざと切って横に根が伸びるようにしている。栄養の吸収がよくなり育つスピードが速くなるからだ。その半面、直根と比べて浅い場所にしか根を張れないため土砂崩れの原因にもなってしまう。その点も含めて内木さんは、江戸時代の林業から学ぶべきところが多いのだと伝え続けている。

『山守資料館』の計画が現在進行中。
『山守資料館』の計画が現在進行中。

内木さんの家には、先人の山守の仕事や日常が書かれた古文書が3万点近くもあり、一部は今も解読中だ。これらをさらに読み解くことで今後の林業への新たな希望の光が見えてくるかもしれない。

次に下呂市で会ったのは、自らを「牛飼い」と呼ぶ熊崎光夫さん。飛騨牛の繁殖を行いながら、この地域で循環型農業を続けて31年になる。熊崎さんの循環型農業とは、牛を繁殖し、育て、その糞を肥料にして土に還し、その土で有機の牧草を育て、その牧草を牛が食べて……というものだ。もともと日本には、「役牛」という農業などを手伝う牛がいて、人の暮らしになくてはならない身近な存在だったが、近代化が進み役牛の必要がなくなってしまった。「人間って本当は長い間、循環する暮らしの中で微生物と生きてきた。牛が出すうんこもそう。牛と一緒にうんこが暮らしから遠くなると微生物が土のなかでうまく活動しなくなって農地が死んでいく。豊かな土壌というのは微生物がたくさんいる有機質がいっぱいあるもの。そういうものがなくなっているんよ」。

牛舎の中を颯爽と歩く『熊崎牧場』の熊崎さん。「最近、トンボも蛙も蛇も少なくなってしまった。自然とともに生きることができる田舎づくりをやっていかないと」。
牛舎の中を颯爽と歩く『熊崎牧場』の熊崎さん。「最近、トンボも蛙も蛇も少なくなってしまった。自然とともに生きることができる田舎づくりをやっていかないと」。

牛舎の奥には、牛の糞を肥料にするための発酵場があった。発酵具合によって3つに分けられ、発酵が進んでいるところは白い湯気がいくつも立ち、発酵が進みきったものは嫌な臭いがまったくしない。熊崎さんが、ふとつぶやいた言葉が今も耳に残っている。「食というのは、“人”に“良”いと書くけれど、今の農業からつくられるものはどうなのかなと思う」。

肥料の発酵熱で立ち上る湯気。
肥料の発酵熱で立ち上る湯気。

内木さんと熊崎さん。二人と会えたことで、地域のイメージがずいぶんと変わった。もちろん、いいほうに、だ。地域のことを「人」との出会いが教えてくれる。それは確かなことなのだ。

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