“日本一丈夫な和紙”と言われる島根県の石州半紙(ばんし)は、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている島根県の伝統的工芸品だ。文化財修復のために、海外の有名美術館からも注文が入るという手漉き和紙だが、現在その工房は4軒しか残っていない。 そんな石州和紙(半紙)の特徴を活かした“光る和紙(正式名称:電導性和紙)”の試作品が先日完成し、一般公開が始まっている。初めて見た人は誰もが驚くこの作品の特徴と、開発に携わった外国人デザイナーと石州和紙職人たちに完成までの道のりを取材した。
触れるたびに色が変わる和紙
今回開発された電導性和紙は、その和紙に手で触れることで通電し、和紙自体が光るという不思議な作品だ。使っているのは独自に開発した装置と、カーボンファイバー(炭素繊維)を漉き込んだ特殊な和紙。和紙が光るだけでも驚かされるが、さらには触れるたびに光の色が変わるため、初めて作品を見た人は「和紙が光ること」と「その光の色の変化」に二度驚かされるだろう。
また作品を間近で見てみると、和紙の漉き方にもさまざまな工夫が見られる。例えば、カーボンファイバーが黒い糸のように散りばめられている和紙もあれば、水滴を落とす技法を用いた水玉模様の和紙、さらにはカーボンファイバーの存在に気付かないほど、細かく漉き込まれている和紙もあった。
どの和紙も、見え方は違ってもどれもが光るように設計されている。「こんなにも和紙の漉き方には幅があるのか」と思わずにはいられなかった。
「和紙を使うことで、生活に柔らかさを感じてほしい」
石州和紙は、“日本一丈夫な和紙”とも言われるほど強靭な和紙だ。その理由はいくつかあり、一つは他の産地では捨ててしまう楮(原料)の甘皮を残すことで繊維がよく絡まり、破れにくい和紙が出来上がるのだという。また漉き方にも特徴があり、一定方向にのみ漉くという伝統的な技法によって、横から裂こうとしても裂けにくい和紙になるのだそう。
「電導性和紙」は石州和紙(半紙)が本来もっている特徴を活かした作品でもあるので、手で触れることで和紙が破れる心配もほとんどない。
※「石州和紙」と「石州半紙」の違い
石州和紙は厳密には「石州半紙」と「石州和紙」の2種類に分けられており、一つは地元でとれた楮のみを原料とし、完成までの工程にも細かい規定がある「石州半紙」、そしてもう一つは楮・三椏・雁皮を原料に作られた和紙または加工品をまとめて「石州和紙」と分けられている。
そしてこの作品の発案者は、オランダを拠点にしているデザイナーのヨナス・アルトハウスさん。アーティスト・イン・レジデンスという国内外のアーティストを支援するプログラムで選出され、約2ヶ月間島根県に滞在し、石州和紙の技法や知識を学びながら、自らのアイディアである「触れると和紙が光る作品」の実現に取り組んだ。
彼は大学ではプロダクトデザインを、そして大学院ではテクノロジーや電気・媒介装置などについて学んだ過去を持つ。和紙のことは大学時代に読んだ本で知っていたこともあり、今回の滞在以前に「カーボンファイバーを漉き込んだ和紙を使い、和紙と光を融合した作品を作りたい」と計画していた。
しかしそもそもなぜ和紙を使った作品を考えたのか、彼に聞いてみた。
ヨナスさん: 和紙と光がマッチすることは前から知っていたし、以前日本に滞在した時にもそういった作品は見ていました。でも和紙を見たことはあっても、実際に触ったことがある人は少ないだろうと思ったんです。だから私が得意な電気系の作風と和紙を融合し、偶然ではなく意図的に和紙を触ってもらえる作品を作りたかったんです。
最近はプラスチックのような硬くて冷たい印象を持つ製品が日常にも溢れているけれど、和紙をタッチセンサーに使うことで、この作品を日常に取り入れた時に、生活に柔らかさを感じてもらえたらとも思っていました。
カーボンファイバーとの戦い
取材中ヨナスさんに「開発過程で最も苦労したことは?」と聞くと、「カーボンファイバーを和紙に混ぜ込むこと」と答えた。「当初は髪の毛の束のようなカーボンファイバーが、ただ和紙の上に乗っかっているようだった」とも話し、お世辞にも芸術とは言えないところからのスタートだったようだ。
彼が滞在した2ヶ月間は、石州和紙職人や石州和紙会館、行政など多くの人が彼のアイディア実現に関わっている。事前に彼のアイディアを聞き、滞在中もサポートを行った石州和紙職人の久保田総さんは「アイディアを聞いたときは、面白いことを考えるなと思いました。でもそれが最終的にどんな形になるのかは全く予想がつかなかった」と話す。誰もが苦労したというカーボンファイバーとの戦いは、どのようにして着地したのだろうか。
和紙に草花や色紙を挟んで漉くことはあっても、電導性の素材を漉き込んだ和紙が本当に通電するのかどうかは、職人さんたちも不安だったという。
久保田さん: 彼にはまず、自分が思ったものを作ってみてもらうところから始めてもらいました。紙漉きの工程は、三隅町内にある二つの工房を行き来しながら1~2週間で教え、そこからは彼一人でも小さな和紙を漉けるようになったので、分からないことがあれば手伝うという形で、手取り足取り全てを教えたわけではないんです。
でもカーボンファイバーを漉き込む過程は、一緒に試行錯誤を重ねました。そしていろいろと試した結果、最終的にはカーボンファイバーは原料の中に細かく混ぜてしまえば、導電性も保ったまま、きれいな和紙が漉けることがわかったんです。
久保田さん: ただ原料とほぼ同化するぐらいにまでカーボンファイバーを混ぜ込む作業がとても大変でした。水だけでは絡まってしまい、きれいに細かくできなかったので、試しに和紙のつなぎでも使うトロロアオイの粘液を入れてみたところ、きれいに分散されたんです。偶然の産物って感じでした。
来年完成予定の次回作は?
完成には必要不可欠だったお互いの存在
今回の作品はまだ試作品ではあるが、出来上がった実物は東京や海外の展示会にも出展したことで、さまざまな反応が見られたという。
ヨナスさん: オランダで展示をしたときは、壁やパネルのようなデザインでありながら光るという点に皆さん驚いていました。「和紙に触って破れないのか」と不安そうな人もいましたが、「破れにくい紙だから大丈夫だよ」と伝えると、ゲームみたいだと喜んで触っていた人も多かったです。まだ実現はしていませんが、何人かのデザイナーがこの作品に興味を持ってくれたり、あるホテルのオーナーからは展示をしてほしいという話もありました。
そして「これはスタートでしかないが、でもとてもワクワクするスタート地点でもある」と語ったヨナスさんは、和紙職人たちの存在もあったからこそ今に至るとも言っていた。
ヨナスさん: 和紙が濡れている時だからこそできる表現方法など、彼らにはさまざまな技法を教えてもらいました。そのおかげで今回の作品にも多様な和紙を取り入れられたし、また教わった和紙の性質や特徴は、今後の作品にも活かせると思います。
和紙は丈夫で自由に扱える、とても良い素材。もちろん今後も和紙に関する作品は作っていきたいし、何よりユーザーが生活の中で私の商品を使い、楽しんでもらえたらと思っています。
一方で、ヨナスさんをサポートしたもう一人の石州和紙職人・西田勝さんは、彼についてこのように話していた。
西田さん: 基本的に和紙職人は原紙をつくるのが仕事ですが、同時に、新しい表現や魅せ方ができないかなということは考えていました。だからそういう意味では、彼にはおもしろいアイディアをもらったなと感じています。
また彼はすごく真面目で、いろいろ質問もしてくるし、理解も早い。滞在先でも自主的に作業をしていて、何日か見ないうちに「もうここまで進んでいるのか」と驚かされることもありました。
前述のとおり、互いに協力しながら試行錯誤を重ねて出来上がった電導性和紙は、和紙職人の久保田さんも「この作品は、コラボだからこそできるもの。和紙とタッチセンサーの仕組みを応用してはじめて完成する」と言う。
現在も次の作品づくりに取り掛かっているという両者だが、和紙漉き技術を持つ職人さんたちと、デザインやカーボンファイバーなどの知識を持つヨナスさん、それぞれが技術や知識を持ち寄り、出来上がったものが今回の作品なのだと感じた。
次回作は約2メートルの巨大作品
現在4軒まで減ってしまったという石州和紙の工房。顧客は画家や書家だけでなく、「文化財の修復は石州和紙を使う」というルールを決めている国内外の美術館からの指名注文も多いという。石州和紙はそれだけ価値の高い伝統工芸として受け継がれている一方で、今後について聞いてみると、二人の職人はともに「伝統を守る使命」と「挑戦することの必要性」について、強い想いを口にした。
久保田さん: 伝統を守ることは何よりも最優先。その伝統が引き継がれていくという前提の上で、何か新しいこと、かつ現代にあったものを生み出していかないと生き残れないとは自分でも感じています。
西田さん: 私も石州和紙の核となる部分や伝えるべきことはしっかりと伝えつつ、伝統を残していくためには今回のようにいろいろなことをやってみて、多くの人に注目されることが、石州和紙づくりを続けるためには必要なことだと思っています。
今回の作品も石州和紙の将来の可能性を広げる大きな一歩に思われるが、実用化にはまだハードルがあるのだという。
久保田さん: この作品は多くの人に実際に和紙に触れてもらえる機会でもあるので、そこは私たち職人も嬉しいなと思っています。今後いろいろな人がこの作品を見て、共感してくれる人が現れると実用化へ発展していくとは思いますが、現状僕たちだけではなかなか商品化は難しいんです。
この作品は彼が海外の展示会に出していたこともあり、日本に届いたのはつい最近。しかもちょうどコロナ禍だったこともあり、実物を見たことがある人はまだほとんどいないので、今後は展示会などに出してみて、興味を持ってくれる個人や企業と実用化に向けて話を進められたらと思っています。
将来を見据え、現在も開発協力を続けているヨナスさんと職人さんたち。ヨナスさんは本来であれば秋ごろに来日予定だったが、新型コロナウイルスの影響で実現できなかった。
それでも定期的に連絡を取り合い、お互いの進捗を共有しながら、縦1.8メートルにもなるという来年完成予定の次回作に向けて、それぞれの地で準備を進めているという。
石州和紙会館では現在、マスク着用や手指消毒などの対策も徹底した上で、来館者も電導性和紙を体験できるように展示されている。和紙の触感や漉き方の違い、光の変化などをぜひ実際に見て、体感し、”石州和紙の可能性”を感じてみてほしい。
▼取材協力
・石州和紙会館(島根県浜田市三隅町)
(Facebookページでは電導性和紙が光る様子も動画で公開されている。)
・ヨナスさんのその他作品は、彼の個人サイトでも閲覧可能。
(言語は英語のみだが、作品の紹介動画もある)