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連載 | 「自分らしく生きる」を選ぶローカルプレイヤーの働き方とは

小さな本屋の身軽な挑戦。 本当に大事なものだけを、バックパックに詰め込んで。

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東京・代田橋に、わずか三畳半の本屋を構える宮里さん。店内には、旅や登山に関するものを中心に、店主のこだわりを感じられる本や雑誌が並びます。店を大きくすることは考えていないと語る宮里さんですが、背景にはどんな想いがあるのでしょうか

目次

アイデアを出し合った文化祭の催し

地元は神奈川県横浜市の緑区です。小学校では、勉強もスポーツもできる子でした。学校のサッカークラブに入っていて、ポジションはフォワード。左利きだったので、左サイドハーフもやりました。
小学校4年生だったある日、5、6年生のチームの人数が足りなくて、入れてもらったことがあって。雨が降っていてドロドロの中、2点決めたんです。足の速さもテクニックもそこまでなかったのですが、体力だけはあったので、がむしゃらにやっていましたね。
中学校からは、私立の進学校へ。周りが優秀な人ばかりで、自分は逆に劣等生になってしまいました。一方でサッカー部のほうでは、レギュラーで活躍できたんです。ただ高校では、サッカーでも推薦で入ってきた人たちに押しやられたり体格の差が出てきたりで、試合に出たり出なかったり。男子校で彼女もいないし、劣等感を抱いていました。
そんな中、高校2年生の文化祭で、友だちと「イベントハウス」という催しをやりました。この「イベントハウス」とは、ひとつの教室を借り切って、映像を流したり寸劇を演じたりするものです。
学校紹介ビデオとして受験生向けに作った映像もありました。先生へのインタビューを撮って流すんです。映像では、まずはふざけた質問ばかりして、最後にちょっと真面目な話をしてもらうのですが、真面目なことを喋っている部分は使わずに、フェイドアウトして(笑)。そういう自分たちで面白いと思うアイデアを形にしていきました。
いつもは勉強をしている教室が、内装で変わっていく様子も面白かったですね。こんなに違う場所になるのか、と。最終日に設営したものを全部撤去して、普段の教室に戻した時には、「もうあの場所はないんだ」と思って泣いちゃいました。担当の先生も誇りに思ってくれてたのか、文化祭が終わった後に自宅に招いてくれて、みんなでおつかれ会をやったんです。
本当に楽しくて、いい時間でした。仲間とフラットな関係の中で、アイデアや意見を出し合ってモノづくりする喜びを感じていましたね。

大学院で社会学の面白さを知る

高校のときから好きな科目は、数学と物理でした。なぜなら、暗記しなくていいからです。歴史や地理などは、暗記して覚えることがたくさんでしたが、数学や物理は、物事の本質となる核さえ分かっていれば、公式でさえ応用して作れます。そこに惹かれました。何かを記憶したり、暗記したりするのが本当に苦手だったんです。
それで、大学は理系の情報学やプログラミングが勉強できるところへ進みました。ただ、入学してみて気づいたことがあって。自分は数学や物理は好きだけど、プログラミングがやりたいわけではないんだと思ったんです。幸い大学では、情報学とメディア系の学問の両方が学べたので、どちらかというと、美術や映画といったメディア領域の授業を受けていました。
大学院への進学を前にして、ある先生との出会いによって、段々と社会学へ興味が移っていきました。その先生の講義は、戦争やメディアの社会学について教えてもらうもの。たとえば冷戦のときは、米ソがロケットの打ち上げを通して国の技術力を発信することで、メディア上でメッセージの戦争をしていたそうです。メディアを通した社会の読み解き方を学んだことで、元々暗記ばかりで苦手だった歴史の面白さに気づきました。
社会学では、二人以上の人間が集まったときに、どのような相互作用が生まれるかなど、人と環境の関係を見つめるところが楽しかったですね。ひとつの出来事を、いろいろな角度から説明しようとする学問に出会えたことで、自分の可能性が広がった気がしました。

書店営業の仕事にやりがいを見出す

大学院修了後は、映画系の出版社に入りました。その会社の映画雑誌には、社会学の視点から映画や芸術を読み解くような評論も載っていて、元々興味を持っていたんです。
ここでは、先輩にも恵まれて、仕事の楽しさを知りましたね。販売営業部に配属になったのですが、最初に指導してくれたベテランの先輩が、面白い仕事ばかりさせてくれたんです。細々としたデスクワークだけでなく、早くから書店や取次の人と実際に会わせてもらったり、販促のアイデア出しに参加させてもらったり、本当にありがたかったです。この先輩のおかげで、出版社の仕事を面白いと感じることができました。
本が出る前の段階でも、価格や部数、広告の出し方を、それぞれの顔が見える範囲の5、6人で話し合いながら、考えていくんです。そのプロセスの中に入れたことも、とても勉強になりました。
映画系の雑誌や書籍は、生活に必要不可欠なものではありません。そういうものに対して、情熱を持って売ってくれる書店の人がありがたかったですね。好きな映画の話で盛り上がることもしばしば。出版社の営業と本屋さんが、チームを組んで一緒に売っている感覚が好きでした。販売営業の仕事に誇りを持っていましたね。
入社したばかりでうまくできないことも多かったし、会社ではつらい気持ちになることもあったのですが、書店に行って店員さんと話すことが、自分にとって大切な時間でした。
その後、書籍を主に売りたいという気持ちから、語学系の出版社に転職しました。映画系の出版社では雑誌がメインだったので、もう少し息の長い書籍を扱いたいと思っていたんです。引き続き書店営業の仕事に取り組みながら、書店さんと共にお客さんへ本を届けることのやりがいを感じていました。

山登りで感じた3つの魅力

一方で、社会人になってから、山登りをするように。有給休暇を使いながら、標高6,962メートルの南米最高峰・アコンカグアや、日本の剣岳など、多くの山に登りました。自分が山に惹かれた理由は、大きく3つ。
ひとつ目は、山の人間関係。山で出会う人とのつながり方が、素晴らしいなと感じたんです。まずは、ちゃんと挨拶するところ。街やその辺ですれ違っても、「こんちには」って挨拶しないじゃないですか。
ただ山の中では、仲良くなって、なおかつ同じ方向に進んでいたとしても、その場で出会った人とは、よほどのことがない限り一緒には登らないんですよね。自分の命が一番大事だし、命を懸けてやっているから、それぞれのペース、計画に沿って登っていくんです。たとえば、別の人に合わせて歩いていて、日が暮れてしまったり、何か崖から落ちてきたりしたら、とても危険です。自分の身は自分で守るために、それぞれが責任を持っているんです。
その上で、挨拶をしたり、天気など必要な情報を教えあったり、食事を交換したりはします。その“ゆるやかな連帯”が、心地よかったんです。それぞれ別に出発しても、「もしかしたら途中で会えるかもね」くらいの距離感ですね。その関係性が、都会のドライさとも、田舎の親密さとも違う、理想的な距離に感じました。
ふたつ目は、自然の雄大さ。あまりにも大きくて深い山を前にすると「登らせてもらっている。入らせてもらっている」という謙虚な感覚になりました。
本来人間は、飲みものや食事も含めて、植物や動物などの自然に生かしてもらっています。山に入ったとき、素直にそのことに想いを馳せました。もしも地球上に人間しか生命体がいなかったら、生きていけません。みんなが生きていくために、何らかの命をいただいているんだな、と。そして、「生かされている」と思うことで、同時に「自分も生きていてもいいんだな」と感じられたんです。
そして3つ目は、衣食住を自分で賄えるところ。自分の場合は、山小屋を使わず、テントで寝泊りしながら登っていきます。食事も全部運んでいるので、衣食住が自分の背負っているもので、結しているんです。
元々、東京は住むにも食事をするにも、すべてにお金がかかるな、と感じていました。その中で、お金をかければかけるほど、気持ちが豊かになるわけではない、とも思っていたんです。そんなときに出会ったのが、山登り。バックパックひとつで、楽しく生きていけるんだという気持ちになりました。バックパックに全部入っているし、これだけでやっていける。自分は、この持ち物だけで充分だなと思いました。
一畳あれば寝られるし、食事もできます。それに山ではうれしい出会いもあるし、ほかに何もいらないんじゃないかと思えました。もしも家がなくなったとしても、楽しく生きていける。山登りを通して学んだことでした。

偶然見つけた超狭小物件

出版社に勤めている頃から、縁あって東京・代田橋に住むようになりました。都心に近い場所にもかかわらず、チェーン店がほとんどなく、個人店ばかりで親しみを感じられて。過ごしやすい街だなと思っていました。
でも、一点気になることが…。近くに本屋さんがなかったんですよね。本が好きな自分は、「この街にひとつはほしいな。誰かやればいいのに」と思っていました。
そんなとき、駅前に面白い物件を見つけたんです。元は八百屋さんだったところで、あまりに狭くて、逆に目立っていました。後で聞いたら、なんと三畳半。この大きさなら、もしかしたら自分でも本屋ができるかも、と思い立ちました。
八百屋さんの連絡先を調べてメールしてみると、不動産屋さんにつないでくれました。それで電話してみたら、偶然にも自分が今の部屋を借りたときの不動産屋さんと同じで、担当者まで一緒だったんです。何かの縁だと感じましたね。
ただいくら狭いといっても、場所は駅前の一等地。家賃も結構高いだろうな、と想定していたんです。けれど、確認してみたら思った以上に安くて。これはもう、自分で本屋をやるしかないと決断。会社も辞めて、開業準備をすることにしました。
店内の棚や椅子などは、基本的にすべてDIY。市販のものでは、この狭さに合う棚がなかったのもありますが、“買える”ことより“作れる”と思えることの方がいい状態だと考えているのが大きな理由です。そして店の名前は、「バックパックブックス」としました。山に登るとき、本当に生きるために大切なものだけを入れるバックパックのように、「数は少なくても、自分にとって大切な本を届けていきたい」という想いから名付けたんです。

フットワーク軽く、生きていく

現在は、バックパックブックスの店主として、日々店頭に立っています。古本を中心に扱っていますが、出版社から直接仕入れなどもして、新刊本も並べています。取り寄せにも対応しているので、気軽に寄れる“街の本屋”として使ってほしいです。
置いている本のジャンルは、結構幅広いですね。映画などの芸術系から、教育、料理に関するもの、絵本や漫画まで、特に基準は設けず、自分の趣味で選んでいます。なかでも一番充実しているのは、山登りや旅関係の本。加えて、小さな出版社が少部数で作った、他の店ではあまり見られないようなものも置いていますよ。
本は、さまざまな出会いを連れてきてくれるものです。人、映画、考え方。本の中に書いてあることを通して、自分は多くを知りました。だから、お客さんにもさまざまな出会いが訪れるように、本を届けたいと思っています。逆にこちら側が、お客さんから教えてもらうことも多いですしね。
自分が好きなのは、上下や強い弱いの関係がない“フラットなチーム”。お客さんや出版社の人、地域の方をはじめ、この本屋を通してつながる人たちと、それぞれに面白いことを持ち寄れるような関係性がいいですね。バックパックブックスを、みんながゆるやかに集まれる場所にしたいと思っています。
今後は、小さなサイズの今の店を長く続けていきたいですね。よく人から、「頑張って成功して、もっと大きくできたらいいね」と言ってもらえるのですが、店を大きくする気持ちはありません。自分にとっていいサイズ感を保つからこそ、フットワーク軽くいられます。最低限必要なものさえ持っていれば、それでやっていけると思っているんです。本屋を続けながら、旅や山登りにも行きたいですしね。
小さな拠点を持ちつつも、行きたいときに、行きたい場所へ行ける。そんな状態でいたいなというのが、正直なところです。自分が「バックパック」に込めた思想は、本当に大事なものだけを詰め込んで、できるだけ身軽でいるということ。そうやって生きていきたいと思います。

インタビュー・ライティング | 伊東 真尚
この連載記事は、自分らしく生きたい人へ向けた人生経験のシェアリングサービス「another life.」からのコンテンツ提供でお届けしています。※このインタビューはanother life.にて、2021年6月28日に公開されたものです。

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