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連載 | 写真で見る日本

あの時の僕へ 中村紀世志×長崎県東彼杵郡東彼杵町

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 写真、それはまるで未来に差し出す手紙のようだ。届く先は家族や友人、恋人、時には予期せぬ誰かのもとへ。伝えたい思いを乗せて時間や日常の喧騒をするりと潜り抜け、心に届く。

 生まれ育った地、石川県を離れたのは2014年の9月。結婚を機に15年働いた会社を退職し、妻が暮らしていた福岡県へと移り住んだ。さほどドラマチックな事情もないので引っ越しまでの物語は割愛するが、新しい生活は築いてきたキャリアと故郷から離れることから始まった。

 僕は移住と同時に写真を撮ることを仕事にする、つまりカメラマンになると決めていた。写真を撮り始めて約10年、仕事として撮影をしたことはほとんどなかったが、一度結婚式の撮影を頼まれたことがあり、後日写真を渡した時の、新郎新婦の笑顔が忘れられなかったからだ。

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 かくして見知らぬ土地でいきなりカメラマンとしてのスタートを切ったものの、当然ながら実績皆無の人間に仕事が次々と舞い込むはずもなく……。まったく何もないまま1か月が経ち、暇を持て余しているところに知り合いの編集者から連絡が入った。「長崎県のある町で写真による地域おこしのプロジェクトをやっているから、ちょっと見に来ないか」と。仕事の依頼ではなかったが断る理由はどこにもない。とにかく僕は暇なのだ。二つ返事で行く旨を伝えた。

 福岡市から高速道路を走ること1時間と少々、山間のトンネルをいくつか抜けると、目の前に大村湾の青い海が現れる。「東彼杵町」。長崎市と佐世保市のほぼ中間に位置し、県内の市町村で2番目に人口の少ない町。まず読み方が分からなかった。そんな僕のような者のために高速道路の案内表示には「東そのぎ」と分かりやすく表記され、インターを抜けると「お茶と鯨の町」という看板が目に入った。

 「写真によるまちづくり」のプロジェクトでは、町内外の人たちとカメラ片手に撮り歩きをして地図を作ったり、子どもたちにワークショップを開いて写真展を行ったり。プロジェクトを通して町に関わり通い続けているうちに、僕自身も自分が撮影した写真で勝手にZINEを作って町の人に配ってみたり、廃校になる小学校の最後の運動会や閉校式も撮影させてもらう機会を得たりした。何となく訪れてみただけだったのに、知り合いができ、友人が増え、居心地もよくなってきて気がつけば東彼杵町が自分の中にドーンと居座っていた。

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 今、僕は「ズンドコ写真館」と称し、定期的に東彼杵町で出張写真館のイベントを開催させてもらっている。それは写真による活動の楽しさや難しさ、喜びを教えてもらったことへの感謝の気持ちから始めたことでもあるし、その一方で写真館のないこの町において、個々の今をアーカイブとして残してほしいという願いからでも実はある。

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 昨年11月の写真館開催時に、町内のいちご農家さんから家族写真の撮影依頼が入った。このいちご農家さんとの出会いは、プロジェクトが始まってすぐ、プロジェクトの一環で訪れた時だったと思う。「長女が生まれて初めて畑に入った」と聞き、記念に写真を撮らせてもらったところから交流が続いている。聞けばもうすぐ第二子が生まれるとのこと。まさかこうして再びいちご畑で家族写真を撮る日が訪れるとは。

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 東彼杵町に通い始めた頃の僕は、「なぜ撮るのか」「何を表現したいのか」「コンセプトは」……と、考えはあれどもうまく言葉にすることができず、自分の写真には何も写ってないのではないか? と焦りすら感じていた。でも、それでもいいのだと今は考えている。すべてを言語化する必要はない。見つめた先に感じたものを伝えるために写真を撮る。伝わらないこともあるだろうけど、それは言葉だって同じ。不安に満ちていた5年前の自分にそう言ってやりたいと、この町で撮り続けて来た写真たちを見ながら思った。

 未来への手紙。その思いを胸に僕は写真を撮り続ける。

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