東日本大震災から10年を迎える2021年3月11日(木)、郡山市は、学校法人郡山開成学園 郡山女子大学短期大学部と共催で、「復興の灯火プロジェクト」を開催します。「復興の灯火プロジェクト」は、震災の記憶と地域の伝統文化の継承を通し人と人のつながりが拡がるまちづくりを目的に取り組みを始め、今年で3年目の開催となります。郡山市の伝統工芸の一つ「海老根(えびね)伝統手漉和紙」を使用した約700基の灯ろうが、郡山駅前で希望の明かりを照らします。この灯ろうは、避難自治体の方々を含む住民と国内外の姉妹都市&友好都市の子どもたちなどが想いを寄せて絵付けしたものです。本イベントは、新型コロナウイルス感染症の感染防止対策や全世界への発信を目的に、「復興の灯火プロジェクトYouTubeチャンネル」でもLIVE配信します。
開催概要
日時:2021年3月11日(木) 11:30~20:30 (灯ろう点灯は、17:30~)
会場:JR郡山駅西口駅前広場(福島県郡山市駅前二丁目408)
LIVE配信URL:「復興の灯火プロジェクトYouTubeチャンネル」
内容:①約650基の灯ろうの展示とLIVE配信
②防災関連グッズの展示、起震車体験による防災意識啓発
③震災の記憶と伝統文化の継承をテーマとした映像配信
「HIDDEN GEMS KORIYAMA ~受け継ぐ、伝える、未来へ~」 など
これまでの取り組み
2019年
- 郡山市のフロンティア大使となったGReeeeNの福島復興への想いからプロジェクトがスタート
- 会場には市内小学生の灯ろうやGReeeeNのメッセージ灯ろうが展示される
2020年
- 準備を進める中、新型コロナウイルス感染症の影響があり、規模を縮小して開催
- 郡山女子大学短期大学部や大学付属高校美術科の学生の灯ろうが加わる
2021年
- コロナ禍においても参加できるオンライン寄せ書きのコンテンツ「復興ツリー」を構築
- 避難自治体の方々、市内の高校生、姉妹都市等の灯ろうが加わる
- 市内の商店街にも灯ろう協力店を募り、約70店舗でも3.11を含む2週間で灯ろうを展示
(2021年は福島県「キャンドルナイト」も加わり、富岡町の伝統行事「麓山の火祭り」の展示も実施)
住民と国内外の姉妹都市&友好都市などの総勢約650名の想いが灯ろうに
今回の灯ろうの展示イベントは、居住地も年代も多様な数多くの方々の協力により実現しました。素材となる和紙は、海老根和紙保存会のみなさんが地元産の原料を使い、一枚一枚手作業で作り上げたもので、イラストやメッセージ等の絵付けは、避難自治体の方々を含む住民のほか国内外の姉妹都市・友好都市の子どもたちなど、総勢約650名もの人々によって描かれています。これら和紙を通した各国・市内外の交流は、新型コロナウイルス感染症の影響で例年のような派遣交流が叶わない現在の状況下でも、人々の心をつなぐシンボルとなっています。
主な灯ろう絵付け参加団体
(市内) 「海老根」地区の小中学生、郡山市内の高校に通う美術部/書道部の生徒
郡山女子大学短期大学部の学生 等
(県内) 富岡町、双葉町、大熊町(郡山市に避難している住民を含む)
(県外) 姉妹都市等:奈良県奈良市、鳥取県鳥取市、福岡県久留米市、茨城県つくば市
(国外) ホストタウン相手国:オランダ、ハンガリー
人と人、地域と地域を繋ぐ
このプロジェクトは、地域に伝わる伝統和紙を通じて、人と人、地域と地域がつながることを大切にしています。そのため海老根和紙を紹介するビデオレターを制作し都市間交流を行ったり、海老根和紙保存会が、避難し郡山市で生活している富岡町の事業に参加し、絵付けの指導をさせてもらうなど、多くの関わりや絆を築いています。
それぞれの震災の記憶や思いを寄せる参加型デジタルコンテンツ「復興ツリー」を実施中
「復興ツリー」は、一人ひとりが復興の想いをメッセージとしてサイト内に投稿することで、1枚の葉として木々が育っていく参加型デジタルコンテンツです。SNSの個人アカウントと連動させ、想いをシェアすることもできます。一枚一枚の葉をクリックすると、震災から10年を経た今感じていること・当時の想い・家族や自分へのエールなど、寄せられた様々なメッセージが表示されます。福島ゆかりのGReeeeNをはじめとする、多くの方からメッセージをいただいています。「復興ツリー」への投稿は、公式ウェブサイト内で随時募集しています。全国のみなさまの想いが福島をつなぎ、大樹になるプロジェクトにぜひ参加してください。
「復活した生紙」海老根伝統手漉和紙とは
海老根伝統手漉和紙は、郡山市中田町海老根地区に江戸時代から受け継がれている伝統工芸品で、黄色みがかった紙が時間の経過とともに白く変化することから「生紙(きがみ)」とも呼ばれている珍しい性質を持ちます。江戸時代~明治時代の最盛期には地区全戸で紙漉きが行われていましたが、パルプ紙やビニール製品の需要に押され生産量が減少。1988年に一度伝統が途絶えてしまったものの、10年後に地域住民らの強い意志により保存会が立ち上げられ、紙漉き文化が再興しました。この「復活の和紙」は、地元の小学生が原料となる植物の栽培から携わり自身の卒業証書を制作するなど、現在も地域に根付き愛されています。