ワークスタイルの変化が加速度的に進んでいる昨今。今回取材した福岡市の中川一光さんは、バーやカレー店のオーナー、シェアハウス運営など、さまざまな仕事を持つパラレルワーカーだ。今から約10年前、20代で銀行員をやめ、いくつかの職種を兼任する働き方にシフトしていった中川さん。どのようにして、このライフスタイルにたどり着いたのか。彼の多彩な経験から、生き方・働き方に迷う世代にとって、選択のヒントが得られるかもしれない。(写真提供:橋口敏一さん)

1985年、山口県宇部市生まれ。2004年に宇部高校を卒業後、筑波大学社会工学類に入学し、社会経済システムを専門に学ぶ。2008年、住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入社。2011年に退職、2012年よりシェアハウスを経営。2015年、福岡市中央区六本松でバー「Baguette(バゲット)」、2018年に同エリアで「カレーアパート トキワ荘」をオープン。また、地域の消防団員としても活動中。 2019年より株式会社KabuK Style(カブクスタイル)が運営する定額制宿泊サービス「HafH(ハフ)」の営業を担当。現在に至る。(写真は本リモート取材中の様子、本人撮影)
元銀行員、5つの顔を持つ36歳の現在地
冒頭の写真で中川さんが立つのは、どこかアジアの街角を思わせるピンク色の店舗。福岡市早良区に中川さんが10月上旬にオープンする予定のカレー店「咖喱公寓 新常盘(カレーアパートニュートキワ)」だ。ここの経営を含め、現在の職業は以下の5つ。
●シェアハウス運営
●バーオーナー
●カレー店オーナー
●旅のサブスクサービス運営会社 営業
●消防団員
これだけの仕事をこなしているというと、日々忙しく各地を飛び回っている人をイメージするかもしれない。しかし画面の向こうで笑う中川さんは、良い意味で力の抜けた軽やかな印象だ。
中川さん「特に今は緊急事態宣言中でバーは休業中(※)ですし、けっこう暇なんですよ。平日はだいたいオンラインミーティング、それ以外の時間でカレー屋のメニューの試作や打ち合わせという感じです。シェアハウスは共同経営なのでたまに顔を出すくらいで、消防団員の活動が時々。今は日曜を含め週に2〜3日は休むようにしていて、時間ができたのでバイクの中型免許を取りに行ったりしてます」
現在は自営業を中心としたフレキシブルな働き方をする中川さんだが、社会人生活のスタートは銀行員だった。
※取材は2021年9月上旬

入社式での違和感。でも人には恵まれていた
中川さん「もともと新しいこと、ルールにないことを考えるのが好きな性格ですね。学生時代の勉強法も独特で、好きな教科はとことん突き詰めるタイプでした」
そう話す中川さんは関東の大学を卒業後、2008年4月に銀行に就職。企業の年金設計や不動産売買といった、資産コンサルティングを行う信託銀行で、まさに大学で学んだ社会経済や都市計画といった知識を活かせる分野だった。
中川さん「でも入社式の時点でなんか違和感があって…団体行動が苦手な自分を改めて認識しました。ただ後ろの席の同僚や同じ班のメンバーとはすごく気が合ったので、もう少し頑張ってみようかと」
東京での研修を経て配属されたのは、福岡支店の不動産部。仕事は順調で、同じ高校出身だった上司にも可愛がられ、さまざまな業務を身につけるため入社2年目で部署異動した。いわゆる“出世コース”である。しかし、ずっと心に押し込めていた違和感が、ついに体調不良となって現れてしまう。
中川さん「将来を期待されていることの喜びより、“レールを敷かれてしまった”という焦りが大きくて。ちょっと鬱病のような感じになってしまったんです」
休職しても周囲の期待と自分の気持ちとのギャップは埋められず、退職を決めたという。

退職したものの家がない…そうだシェアハウスしよう!
銀行を退職したのは26歳のとき。同時に寮も出ることになり、住む家がなくなってしまった。そこで、ネットの掲示板で出会った人たちと、福岡市中央区笹丘の古い民家でシェアハウスをすることに。
中川さん「お互い全然知らない職業もバラバラの4人で、11LDKの物件を借りました」
こうして2012年にスタートしたシェアハウス「ジャックオーランタン」は中川さんが退去した後も現在まで続いていて、他物件を含め全3棟を共同経営している。
中川さん「当時も今も、留学生などさまざまな国の人が住んでいますよ」
まさに“多様な生き方”のリアルを、はからずも目の当たりにすることになった中川さん。自身も、「しばらくお金を貯めたらワーホリにでも行こうかな」と考えていたが、また新たな転機が訪れる。
