好奇心をひきだし、子どもに寄り添う教育へ。

連載 | 「自分らしく生きる」を選ぶーローカルプレイヤーの働き方とは | 33 好奇心をひきだし、子どもに寄り添う教育へ。 自ら足を運んで学ぶ楽しさを伝えたい。

長野県の軽井沢にある「軽井沢風越学園」でスタッフとして働く酒井さん。学年や科目を超え自由に学ぶこの学園で、子どもに寄り添い、その子の興味を引き出すよう心がけているようです。今の自分があるのは教育のおかげだと気づき、恩返しがしたいと、自らも教育の道へ進んだ酒井さんは、これまでどんな人生を歩んできたのか。お話を伺いしました。

酒井 朝羽
さかい あさは|軽井沢風越学園スタッフ。1996年、長野県生まれ。大学で教育学部に進学後は、学業の傍ら、高校生向けのサマーキャンプを企画・運営する。大学院生の時に、NPO法人で高校教員と協力しながら探究の時間の授業づくりに取り組み、その後、軽井沢風越学園で半年間インターンをする。大学院卒業後、スタッフとして勤務。現在は小学3年から中学2年の後期課程を担当している。

とことん好きな遊びができる環境

長野県で生まれ育ちました。幼少期は、ひたすら好きなことをして過ごす毎日。好きなことにひたすら付き合ってくれる人が常にいる環境でした。

幼稚園では、焼き鳥ごっこをしていると、先生が焼き鳥屋さんが被ってる帽子を用意して被せてくれました。子どもたちがやりたいことが最大限できるよう準備してくれる先生が多かったですね。

家では帰るとティッシュを水で濡らし、ひたすら丸めてそれを「おまんじゅう」に見立てて遊んでいましたね。ティッシュも水ももったいないはずなのに両親は叱らず、むしろ面白そうだねと言って食べる真似をしてくれました。兄も一緒にレゴで遊んでくれたり、私のお店屋さんごっこを手伝ってくれたりしました。

父は、自分の好きなことを、周りを巻き込みながら楽しむタイプの人。私の遊んでいる様子を見守る一方で、よく陸上自衛隊のお祭りに連れて行ってくれました。家の近くの駐屯地で開催されるイベントに行き、ヘリコプターや船に乗せてもらったこともありました。

問いを探究する楽しさを知る

入学した小学校は、自発的な学びを促進することに力を入れていました。例えば、2年生の時にクラスでハムスターを飼いたいという意見があり、ハムスターの餌代について話し合ったことがあります。野菜を育てて売ろうという意見が出て、餌代を賄うために野菜をいくらでどれだけ売ればいいのか、みんなで計算しました。そうすることで自然と算数の学びにつながっていましたね。教科のくくりだけでなく、そのとき子どもたちが抱いた問いをとことん探究して、学びにつなげる。そんな学校でした。

特に印象に残っているのは、用水路の学び。散歩をしているときに見かけた用水路の大きい穴が気になって、穴についてクラスのみんなと話し合ったんです。結局、結論が出ず、近くにいた農家さんにインタビューすることにしました。

農家さんに聞くと、洪水を防止するための穴で、洪水になったときに水を違うところに流す役割を果たしていることが分かりました。そこから水の大切さや、水のことで村同士で揉めたことがあったという話を聞けたのです。

クラスに戻り、さらに話し合いをしていると、洪水で水を流したら下流に住む人と問題にならないのか、といった新たな問いが生まれました。みんなで話し合っても分からなくて、もう一度聞きに行ったのです。「村同士でちゃんと話し合って、水を流すか流さないかを、賛成反対とかではなくて合意するんだ」と教えてもらい、そこではじめて『合意する』という方法があるのだと、新しい概念を知りました。

疑問に思ったらクラスで話し合い、図書館で本を読んで調べたり、詳しい人に聞いたりする。このようにして問いが解決されると、また新たな問いが出てきて考える。その繰り返しで、学ぶことがとても楽しかったです。

家に帰っても、好奇心旺盛で色んな問いについて調べていました。当時クラスで花を育てていて、枯れてしまった花は根が生きていれば、まだ生きているということなのかと、すずらん農家だった祖父に電話して質問していましたね。「なんで?」ということにとことん向き合ってくれる大人がいる環境でした。知らないことを知るのは楽しいと思いながら、毎日を過ごしていましたね。

自己肯定感が低かった中学時代

自由な雰囲気だった小学校とは変わって、中学校では校則が厳しくなり、テストの点数や偏差値といった数字が重要になってきました。小学校のような学びの場面も少なくなり、伸び伸びと過ごしてきた私にとって、息苦しかったですね。

周りの生徒も思春期になり、人の目を気にするようになりました。この発言をしたらどう思われるかと気にして手を挙げる人は減り、活発に話し合いがされなくなりました。

そして男子生徒が容姿を気にするようになり、「あの娘かわいいな」とか言い始めたんですよね。私はそういうのが苦手で、自分も見た目で評価されているのだなと感じ、心のどこかで傷ついてました。自分の容姿に自信がなく、自己肯定感が低かったですね。

見た目がかわいいか、成績がいいかで評価されるようになったので、いい成績がキープできるよう真面目に勉強し「頭の良い酒井さん」と評価されるように頑張っていました。

中学校3年間がすごく嫌だったので、高校はちゃんと自分が行きたいと思う場所を選びたいと思いました。偏差値で選ぶことが多いと思いますが、私はそういう選び方はしたくなかった。色々見学して、とある女子校に憧れを抱きました。その学校を見学したとき、文化祭の優秀賞を取ったクラスが発表してくれたんです。音楽に合わせて全力で踊る姿がかっこよくて、学校の行事でここまで本気になれるのかと感動しましたね。

部活動見学では演劇部を見学しました。そこでも部員のみなさんが全力で演技をしていて、すごく楽しそうでした。女子校で異性の目を気にせず過ごす学校生活も楽しそうだなと思いましたし、何より何事も全力で取り組む生徒が、すごく輝いて見えました。中学校で本気になってやりきった経験がなかったから「こういう高校生活を送りたい」と思って、高校を選びましたね。

憧れの自衛官に問われて気づいた原点

高校入学後は、憧れだった演劇部に入部し全力で取り組んでいました。一方で、クラス活動にも積極的に参加。体育委員会に入り、運動会を盛り上げようと周りに呼びかけ、リレーの練習を真面目に取り組んでいました。

ほかにも、クラスである議題について熱く意見を交わしたり、他校の生徒を集めて大人と議論する場を作ったりしていました。中学時代は異性の目を気にしていましたが、高校に入ってからは中学のように評価をする人もいなく、「何でもできる!」と吹っ切れて高校生活を楽しんでいました。

進路を考える時期になり、頭によぎったのは幼い頃にお会いした自衛官の方たち。確固たる目標、使命を果たすため働かれている姿が輝いて見えたんですよね。そこで防衛大学を志望しました。

そしてある日、長野県に防衛大学校の先生がいらっしゃり、会うことになったのです。「君いいね、自衛官になりなよ」と歓迎されるかなと思って期待していたのですが、「君は何を学びたいの?」とストレートにぶつけられました。その問いにうまく答えられなかったのです。自分は自衛官になって何をしたいのか、何を学びたいのか、あらためて考えさせられましたね。

それから、自分は本当は何を学びたいのか、何が好きかと自己分析しました。そのときに、私は人を集めていろいろ議論をしたり、話を聞いたりするのが好きだと気づいたんですよね。それに問いについてとことん考えるのが好きでした。

どうしてそういう自分になったのか振り返っていたときに、小学校時代を思い出したんです。小学校の時の学びがあるから今の自分がいる。自分を育ててくれた教育に対して何かできることがあるかもしれない。そう思い、教育の道へ進むことに。大学は、教育学部を選びました。

小中学校の教育の大切さを実感

大学では、学校の外でも高校生向けのサマーキャンプを作る企画をしたり、他大学の人や社会人と議論をする場に参加したりといろいろな活動をしていましたね。地域の方々と協働で、大好きな演劇の舞台も作っていました。学内で勉強もしつつ、外に出て誰かと一緒に何かを作ることを意識していました。

高校生活が充実していて、いろいろ学ぶ機会もあったので、高校教育に興味がありましたが、どう教育と関わっていくか、はっきり見えていませんでした。塾の先生や教材開発も選択肢としてはあり得ました。ただ、中でも自分は、先生としてではなくて、外部の人として学校教育に関わるという方向性が面白いなと思ったのです。そこで、大学院に進学後、NPO法人で高校教員と協力しながら授業づくりに取り組む活動をしていました。

小中学校でいう総合的な学習の時間に当たる、「総合的な探究の時間」の授業作りをしていたのですが、そのときに何がしたいのか、何に興味があるのかうまく答えられない生徒に出会いました。「どういうことをやってみたいの?」「どういうことに興味があるの?」と聞いても、言葉を濁してしまう生徒たち。ほかにもアイデアは出るけど、途中で分からない点があって進行できなくなることも。私は小学校時代の経験から、詳しい人に聞けばいいのではと思ったのですが、その経験がない人にとっては、一歩踏み出すのが難しいんですよね。そのときに、高校生になる前の教育が大事なのでは、と気づいたんです。

小中学生のうちに自分のやりたいことをどんどんやって失敗して、その中で自分のめざしたいこと、学びたいことを掴み取っていけたらいい。高校生になる前にたくさん積み重ねていくとどんな子が育って、どう成長していくんだろうと興味を持つようになりました。

ちょうどその時、長野県に面白そうな学校ができると聞きました。教科にかかわらず、学年の壁を超えて学びを作る。そんな挑戦をしていたのが風越学園でした。実はとあるワークショップで、大学生の時に風越学園の理事長に会っていたんです。その繋がりで学園に連絡し、何でも手伝うので関わらせてくれないかとお願いしました。そしてインターンとして働き始め、そのままスタッフとして就職することになりました。

子どもに寄り添い「やりたい」へ導く

現在は、風越学園で後期課程を担当しています。学園では幼稚園から小学2年の前期課程と小学3年から中学2年の後期課程に分かれており、学年混合の「ホーム」を組んでいます。「ホーム」では、朝や帰りの時間に集まって活動を行っているんです。自分とは違う歳の子と混ざって学ぶことを大切にしています。

授業は国語・算数・理科・社会・英語などを学ぶ土台の学びの時間があり、子どもたちそれぞれが自分のペースで勉強するんです。私は、主に算数、数学、社会を担当しています。学級担任ひとりで子どもたち何十人を見るのではなく、一人の子どもに対していろんな大人が関わります。

もう一つ大切なのが「私をつくる時間」。土台の学びの時間ではスタッフが子どもたちに学んでほしいことを用意するのに対し、私をつくる時間では、基本的に子どもたちがやりたいことをやる時間です。例えば将来動物に関わる仕事をしたいと思っている子は獣医さんに実際にインタビューし、再生医療について知り、そこから理科の学びに繋がりました。分からないことがあったら教科書や本、インターネットでも調べられます。ですが、子どもたちには、自ら足を運んで問いを探究する楽しさを大切にしてほしいですね。

一方で、やりたいことがなかなか見つからない子もいます。そういう子に対しては、とにかく寄り添うことを意識します。「何に興味があるの?」「何がしたいの?」って結構暴力的な質問だと思うんです。大人だってそんなこと言われた時に「いや別にないかな」と返してしまいますよね。そういうストレートなやり取りではなく、「この間こういうところ楽しそうにやっていたよね。もっとこれについて調べてみたら?」と優しく問いかけます。

子どもたちの周りでは、毎日いろんなことが起きています。どんなに些細なことでも、学びにつながる瞬間が絶対にあると思うんですよね。その子がちょっとでもトライしていることを思い出し、声がけしています。

今後は学校の中の学びだけでなく、学校の外の大人の方と協力して、一緒に授業を作ったり、プロジェクトを立ち上げたりしてみたいと思っています。もちろん学校の授業も大切なのですが、もっと自由に学校と社会を行き来して学んでいける、そんな学び方を実現していきたいです。子どもたちが興味を持っているところには、その分野を熟知している方がいるはず。そういう大人に出会い、話を聞いて学んでほしいですね。

インタビュー・ライティング | なんしゅ

この連載記事は、自分らしく生きたい人へ向けた人生経験のシェアリングサービス「another life.」からのコンテンツ提供でお届けしています。※このインタビューはanother life.にて、2021年6月24日に公開されたものです。

編集部ピックアップEDITER’S PICK UP