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連載 | 「自分らしく生きる」を選ぶローカルプレイヤーの働き方とは

起業家が地元・山形に戻って見つけた生き方。内なる声に従い、とにかく行動する。

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誰でも気軽に再生可能エネルギーの普及に貢献できるアプリ事業を手がけるかたわら、地元山形県の庄内西海岸を盛り上げる活動を進める池田さん。東京での事業の失敗を経て、自分が本当にやりたいことに挑戦するようになったと語ります。池田さんが地元・山形で成し遂げたいこととは。お話を伺いました。

池田 友喜
いけだ ゆうき|株式会社チェンジ・ザ・ワールド代表取締役/一般社団法人日本西海岸計画代表理事。山形県酒田市出身。関東の大学に進学。ベンチャー企業を2社経験した後、2006年にITシステム会社を起業。2014年に地元酒田にUターン。株式会社チェンジ・ザ・ワールドを設立し、スマホで簡単に太陽光発電所のオーナーになれるアプリ「CHANGE(チェンジ)」を提供している。2017年には一般社団法人 日本西海岸計画を主催。山形県の庄内西海岸を「チャレンジャーの楽園」にすることを目指し、起業文化・環境作りを進めている。
目次

大きな目標に向かって励む姿に憧れ

山形県酒田市で生まれました。4月生まれだったのもあって発育が早く、幼稚園の頃からガキ大将。友達をまとめていくリーダーでした。小学生のときは、日曜の朝6時半から始まる町内の公園掃除が大好きで、朝5時から近所の大人を叩き起こしに回っていました。「おはようございます!今日も掃除ですよ!」って(笑)。正義感に満ち溢れていましたね。

読書や漫画も好きで、三国志にハマりました。特に好きだったのが、劉備玄徳。仲間を導きながら、「そんなの無理でしょ」と思ってしまうような大きな目標に向かって立ち向かっていく姿がカッコいいと感じていました。自分もこんな生き方をしてみたいと漠然と思うようになりました。

SF小説も好きでしたね。ある日、父が超電導に関する漫画を買ってきてくれたんです。そこには、いつか乾電池一本で車が走る時代が来ると書かれていて。未来を想像してワクワクしました。

中学生になると剣道部に入りました。打ち込んでいたものの、不満を感じるようになりました。審判の判断で勝敗がつくため、納得できない負けがあったのです。加えて、小学生から始めた子たちにはどうしても勝てませんでした。悔しかったですね。

高校では、全員が同じスタートラインから始められて、勝敗が明確に分かる部活を求め、弓道を始めました。全国制覇を目標に掲げて、突き進みましたね。その結果、県大会は余裕で勝ち進み、インターハイに出場。ただ全国制覇を成し遂げることはできませんでした。

このときふと、「もし、世界制覇を目標に掲げていたらどうだったんだろう」と考えたんです。全国制覇を通過点にしていれば、当然のごとく県大会で勝ったように、全国でも優勝できたかもしれない。目標は高く掲げるべきだと気づきました。

起業するべきか、就職するべきか

地元の高校卒業後に上京し、工業大学に進学しました。子どものときにSF小説で知った世界を、自分で実現したいと思ったからです。でもそこまで勉強に熱量は湧かず、バイクのサークルに入り、ツーリングを楽しむ日々を送っていましたね。

大学3年生で周りが就活を始める頃、起業すべきか就活すべきかで悩みました。SF小説のような世界を、自分の手で実現したいという思いは変わらずにありました。特に関心を持ったのは電気自動車です。まだどの自動車メーカーも開発に着手していない2000年。先見の明を持って進めば、成功できるのではと考えました。

そんなとき、本屋でナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』という本を見つけたんです。弓道ではまさにこの考えで高みを目指してきたので、「え、俺が知っている話?」と思いましたね。読んでみると「強くイメージしたものは実現するし、ないものは自分で作ればいい」と書かれていて。ならば起業するべきだと思いました。

そこで友達を誘って、仲間集めを始めたんです。でもみんな、反応が悪くて。「電気自動車を生み出すなんて無理でしょ」「起業するなんて考えたこともないよ」「とりあえず就職した方がいいよ」と言われました。心の声は「起業しろ」と叫んでいるけれど、ノウハウがあるわけでもない。みんなが無理って言うから、やっぱり無理なのかもしれない。結局はビビってしまい、今は諦めて30歳までに起業しようと、ITベンチャーに就職を決めました。

ピンチはチャンス

ITベンチャーでは、ソフトウェアの開発を担当しました。小さい会社だったので、現場から経営まで知ることができましたね。3年後には、さらなる経験を積むべくテレビショッピングの外資系ベンチャーに転職。成長スピードの早い企業だったので、非常に過酷な毎日でした。数えきれないほどのピンチやトラブルがありましたね。

でもいつしかピンチやトラブルへの抵抗がなくなりました。トラブルがあっても逃げるのではなく、真摯に立ち向かうことで、お客様との信頼関係が構築される経験がたくさんあったからです。どんなに今がピンチで大変でも、最終的にはチャンスに繋がるのだと気づきました。

29歳になり、大学時代に決めた30歳というタイムリミットが近づいて、本当に独立すべきか迷いました。会社でもポジションを確立し、順風満帆にキャリアを築いていました。しかも結婚もして、2人目の子どもが生まれるタイミング。「今じゃないでしょ」という気持ちと、「でも30歳までに独立すると決めたじゃん」という心の声がせめぎあいました。悩んだ末、とりあえず会社の登記だけでもしようとノープランで会社を設立しました。

すると、ひょんなことから勤務先にばれてしまったんです。その頃は副業に寛容な会社も少なく、謹慎処分になりました。周りの仲間からは「会社には池田が必要だ」「このタイミングじゃないだろう」と止められました。でも、一緒に起業しようと言ってくれる同僚もいましたし、心の声は「今がチャンスだ!飛び込め!」と自分を鼓舞している。もう今しかないと退職を決意しました。

順風満帆で新規事業に着手するも…

とはいえ、全くのノープラン。一緒に会社をやめた同僚とともに沖縄に旅行し、海を眺めながら事業の構想を練りました。サラリーマン時代には手に入らなかった自由。すごく楽しかったですね。

結局、自分たちの得意分野であるITで勝負することに決めました。前職でもソフトウェアの導入やシステム開発の経験があったので、この経験やノウハウを生かせば、必ず成功すると自信がありましたね。その予想は当たり、40人ほどの社員を抱え、秋葉原にオフィスを構える企業にまで成長しました。起業するまではすごく悩んだけれども、一歩踏み出して行動してみたら、物事は進んでいくんだなと感じましたね。

ある程度事業が成長すると、システム開発をして他社の支援をするだけでなく、自分たちならではのビジネスを創造したいと考えるようになりました。そんなとき、東日本大震災が起こったんです。

連日流れる原発事故のニュースを聞きながら、このままではいけないと思いました。原発は、人間の手には負えない。自分の娘たちの世代に残しておくわけにはいかないと思ったんです。今後は再生可能エネルギーがもっと普及するはずだし、自分もその一翼を担いたい。新たなビジネスをするなら、再エネにしようと考えました。

そこで、とある再エネの会社の方と事業連携を見据えて面談することになりました。相手に会った瞬間、「これは詐欺だ」と心の声が叫んだんです。でも話を聞くと、論理的に矛盾はないし、理屈で考えれば儲かることも分かる。もしかしたら、ただの自分の勘違いだったのかもしれない。そう思って取引を決めました。

結果は、詐欺でした。約1億円を横領されたんです。会社は当然立ち行かなくなり、倒産。自己破産することになりました。

でも詐欺だと分かった瞬間、僕の中で衝撃はありませんでした。相手を恨む気持ちもありませんでした。だって初めから知っていたから。自分の心の声に従わなかった自分自身が悪かったんだと思いました。

本当は心に決まっているんでしょう?

すべてを失い、生きる意味や使命を考えるようになりました。36歳。元気に働けるであろう残り20数年で成し遂げられることは何だろうか。自分の残りの命は、何のために使うべきなのだろうか。命がけでやりたいことは何だろうか。ひたすら考えました。

再エネをやりたいという思いは変わりませんでした。未来の世代のために自分にできることをしたかったからです。一番悩んだのは「場所」でした。

会社が順調だった頃は、いつかは山形に支店を作って、地元に帰って貢献したいと漠然と考えていました。でもこのままでは、その想いは叶わない。ならば初めから、山形に帰って再出発しようと心の声がささやきました。

とはいえ簡単に決断はできませんでした。理屈で考えれば、東京で再起業するほうが成功確率が高いのは間違いありません。仲間は東京にいるし、ビジネスの中心は東京です。やっぱり東京で頑張るべきなのか、山形に帰るか、悩みました。

そんなとき、山形の歌手、朝倉さやさんの『やさしい応援歌』という曲を聴きました。「迷ったって解決しないんでしょう?本当は心に決まっているんでしょう?」という歌詞が流れた瞬間、ハッとしました。心の中で山形に帰ると決めているのに、山形で仕事をしたいと思っているくせに、見て見ぬふりをしていたのだと。もう内なる声をごまかすのはやめよう。18年間住んだ東京を離れて、山形に帰ることを決意しました。

山形にUターンした当初は、少し後ろめたさがありましたね。再起を図りたいという思いはありつつも、東京で破産した経験は恥ずかしいものだと感じていました。周りからはばれないようにしようと思っていました。

でも山形にはいろんな人がいて。自分の失敗を堂々と話したり、それをシェアして周りに役立てようと考えている人たちがいたんです。自分が知らなかった価値観に気づかされました。

同時に自分の経験も誰かに共有することで、ほかの人の役に立つのではないかと思ったんです。それに気づいたとき、不思議と心が楽になって。あるがままの自分を受け入れたことで、強い自分になれた気がしました。

Do Do Do!志のもと挑戦する

現在は、株式会社チェンジ・ザ・ワールドと一般社団法人日本西海岸計画の代表をしています。

チェンジ・ザ・ワールドでは、誰もが太陽光発電所のオーナーになれるアプリ「CHANGE(チェンジ)」を開発しました。本来、太陽光発電は個人で買えるほど安くはありませんが、最小単位の1ワットから購入できるようにしたんです。いつでもどこでもスマホで購入し、作った電気はいつでもお金に変えられる仕組みです。資産運用にも役立てることができます。

2021年7月には、誰もが無理なく自分のペースで再生エネルギーの普及とカーボンオフセット(CO2削減)に参加できる新サービス『グリーンワット』をリリース。1612人の新しい太陽光発電のオーナー様が誕生しました。

異常気象のニュースを見て危機感を覚え、地球温暖化対策に何か貢献したいという意識を持っている方は多いと思います。とはいえ、その手段を知らず、アクションを起こせずにいる人が大半です。もしくは、自分ひとりで何か動いたって社会は変わらないと思っている方もいるかもしれません。私たちのコンセプトは「たくさんのひとりが世界を変える」。グリーンエネルギーの発展にみんなが参加できる社会をつくりたいと考えています。

日本西海岸計画は、日本海に対するマイナスイメージを変えたいという思いから設立しました。日本海はいつも曇っていて、暗い、寒い。そんなイメージを抱えている人は多いと思います。

だから僕は、日本海と呼ぶのではなく、アメリカ流で西海岸と呼び、ポジティブなイメージにすることにしました。シリコンバレーなどを有するアメリカの西海岸は、挑戦できる場所というイメージがあります。地元庄内の海を、新しい産業が生まれるシリコンビーチにして、「チャレンジャーの楽園」にしようと考えました。

実際に、起業家のためのインキュベーション施設を作ったり、コワーキングスペースを作ったり、市民大学を開催したり、移住のプログラムやゲストハウスを作ったりと、地元の仲間たちの協力のもと、さまざまな取り組みが生まれています。

大事にしているのは、文化形成です。挑戦を応援する文化だけでなく、失敗を許容する文化が非常に大切だと考えます。人生に失敗はつきものです。その苦しさにとらわれ続けたり、失敗した相手を批判したりするのではなく、あるがままを受け入れ、次へと進む。失敗に対して「ナイストライだね」と言えるような文化ができれば、次世代の若者もどんどん新しいことにチャレンジしていけると思います。人生は必ずうまくいくようにできている。そう信じています。

僕の座右の銘は「Do Do Do」。これまで自分の心の声に従わなかったことで、何度も失敗や後悔をしてきました。今は、たとえ論理的ではなくても、内なる声を信じて行動するようにしています。アントレプレナーセンターの福島正伸さんは「万策つきたときあきらめないという名案がある」と語っています。まさにその通りだと思いますね。やりたいことに向かってとにかく頑張る。そうすれば、幸せな人生につながるのだと思います。

では僕の幸せとは何か。それは、次の世代を生きる子どもたちにとって住みよい世界をつくり、笑顔が溢れている未来を想像する瞬間です。このうえない喜びが湧き上がりますね。まさに僕が手がける2つの事業は、僕の幸せそのものです。

未来は、自分自身の力だけでは実現できないかもしれません。でも「夢」と「志」は違います。「夢」は自分ひとりで見るもの。お金持ちになりたいという夢だとしたら、自分が死んだら終わりです。でも「志」は、みんなで見る夢です。パブリックな志を掲げることで、みんなと共に、みんなが喜ぶような世界を作ることにこの上ない喜びを感じます。

まだまだやりたいアイデアがどんどん浮かんでいます。今あるアプリ以外にもサービスを広げることで、誰もが環境をよりよくするためのアクションができるプラットフォームになりたい。庄内を国内外の起業家が訪れて移住・進出していくような文化をつくりたい。たくさんの志があります。今後もみんなの力を合わせて、世界を変えられるような挑戦をしていきます。

インタビュー:伊東 真尚 ライティング:林 春花
この連載記事は、自分らしく生きたい人へ向けた人生経験のシェアリングサービス「another life.」からのコンテンツ提供でお届けしています。※このインタビューはanother life.にて、2021年8月26日に公開されたものです。

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