やるかやらないかは、自分で決める。

連載 | 「自分らしく生きる」を選ぶーローカルプレイヤーの働き方とは | 46 やるかやらないかは、自分で決める。 普通の主婦が、ラジオ番組を持つまで。

2022.05.10

ママの活動を応援するラジオ番組「ママ夢ラジオ」の制作チームをまとめる、竹岡さん。自信を失った看護師時代、孤独を味わった産後を経て、やりたいことに向かって動き出しました。主婦だった竹岡さんが、ラジオ番組を制作することになった経緯とは。お話を伺いました。

竹岡 望
たけおか のぞみ|一般社団法人夢ラジオ代表理事、株式会社わたしたち取締役副社長
1986年、北海道生まれ。日本赤十字北海道看護大学卒業後、2008年に国家公務員共済組合連合会 虎の門病院に入職。看護師として血液内科、整形外科、消火器内科にて勤務する。2018年、ママ夢ラジオスタート。2020年に一般社団法人夢ラジオを設立し、代表理事に就任。2022年株式会社わたしたち設立。取締役副社長を務める。

看護師になることが決まっていた

北海道北見市で生まれました。母は介護の仕事をしていて、「女は手に職を持った方がいい」といつも言っていました。母自身が、本当は看護師になりたかったこともあって、私も看護師になることを勧められていたんです。物心ついたときから、自分は看護師になるんだと思っていました。

幼稚園のとき、ケガで入院したのをきっかけに太ってしまい、男の子に容姿をからかわれることがありました。内心傷ついていましたが、言い返せず、笑いにして返していましたね。気にしていないフリをしていたんです。

小学校に入ってからも、おちゃらけて周りを盛り上げるタイプ。中学校では、学級委員長をやりました。たくさんの人をまとめたり、みんなで楽しめる場をつくるのは好きでした。人とのやり取りが苦ではなかったんです。

その後も看護師になろうという気持ちは変わらず、大学は看護大学へ進学しました。看護師の仕事がどういうものなのか、実際にはよく分かっていませんでした。人と話すのは好きだったので、できるのではないかと。看護師になることが決まっていたようなものだったので、他の選択肢は思いつきませんでした。

守ってきたものがなくなる

看護大学を卒業後、東京の病院に就職しました。学生時代、血液内科に興味を持ったので、血液内科で有名な病院を選びました。

しかし、現場はシビアでした。もう厳しいと言われているような患者さんが、たくさん来る病院だったんです。午前中に会った患者さんが、夜にはもう亡くなっている。元気だった若い患者さんの心臓が、突然止まってしまったこともあります。もしかしたら、自分が担当したときの何かが原因で、状態を悪化させてしまったんじゃないか。仕事を終えて家に帰っても、気が休まらない日々でした。

人の助けになりたいという思いはあっても、忙しすぎて、患者さんの話をゆっくり聞くこともできませんでした。思いと現実がかけ離れていき、自分を責めることもありました。厳しい現場では、コミュニケーションも殺伐としたものになります。看護師はたくさんの人の調整役を担うことが多いのですが、それも大変で。いろいろなことが重なって、気持ちが落ち込んでいきました。

就職して4年目のとき、大学で知り合った人と結婚しました。彼はパイロットで、家を空けることが多かったです。妻には、家庭にいて欲しいと考えている人でした。あるとき、私がつらそうに働くのを見て「辞めた方がいいんじゃないか?」と言われたんです。

その言葉を聞くまで、辞めることを具体的に考えてはいませんでした。周りも頑張っているのだから、途中で投げ出してはいけないだろうと思っていたんです。「辞めたら」と言われたことは、ショックでしたね。小さい頃から、看護師になろうと思ってここまで来たので、自分が守ってきたものを失うような感覚がありました。でもやはり、「辞めてもいいかな」という気持ちが大きくなっていって。悩んだ末に辞める決意をしました。

自分は看護師に合わなかった。看護師のキャリアに終止符を打ったことは、私にとって一つの自信を失った出来事でした。

話せる人が近くにいてくれれば

仕事を辞めてから横浜に引っ越しました。その後、娘を出産。身内も知り合いもいない土地で、初めての子育てをすることになりました。赤ちゃんを連れて飛行機に乗るのは心配で、生後数ヵ月は北海道に帰りませんでした。

友達ができるかと、近所の子育て支援センターにも行ってみましたが、もうお母さん同士のグループができていて、中に入りづらかったんです。初めましてと話しかける勇気も出なくて。外に出るなら綺麗にしないといけないし、持ち物も多い。いろいろ考えたら面倒くさくなってしまって、そのうちに出かけることもなくなりました。

産後4ヵ月間は、ほぼ家にこもりっきりで、鬱々とした時間を過ごしていましたね。話す相手がいないことが一番つらかったです。娘はアトピーだったので、不安になるとスマホでいろいろと調べていました。そうすると、ネガティブな情報がいっぱい出てくるんです。そこからまた検索していると、夜も眠れなくなって。負のループにはまっていました。もし誰かが近くにいて、「大丈夫だよ」と言ってくれたら、そんな不安にも陥らなかったと思います。

生後5ヵ月になった頃、地域の育児教室が始まりました。そこで初めて、同じ月齢の子がいるお母さんたちと友達になったんです。近所のお友達と美味しいものを食べて、話ができる。そんな普通のことが、本当に嬉しかったですね。

そこから、外に出て活動し始めました。ママがつくる新聞の制作に参加したり、友達のお店を間借りしてワークショップを開催してみたり。看護師の仕事は合わなかったけれど、自分にも他にできることがあるのではないかと、ずっと何かやりたい気持ちがあったんです。

活動を通して、ハンドメイドや料理など、さまざまな得意分野を持つママたちと出会い、みんなの活動をもっと多くの人に知ってもらえたら、と思う気持ちが芽生えていきました。

やるかやらないかは、自分次第

ある日、SNSにこんな投稿が流れてきました。「ラジオで喋りませんか?」。テーマはお金の失敗談。50分の枠があるので、来られる人みんなで話しませんか?と。自分も話せるテーマだったし、ラジオを使えば、ママたちの活動を広く伝えられるかもと思いました。

参加したい人は、夜7時に渋谷に集合。子どもが生まれてから、夜に出かけるのは初めてです。友達に子どもを預け、ドキドキしながら出かけました。

集まったメンバーは7名でした。出身地も仕事も年齢もバラバラ。ほとんど打ち合わせもなく生放送は始まりましたが、それでも楽しく話すことができたんです。初対面の人たちとその場で番組をつくっていくことに、すごくワクワクしましたね。

同じことをやってみたい人が、他にもいるかもしれない。またこんなことができないかと考えていたとき、前回と同じラジオプロデューサーが「半年間、ラジオ番組を持ちませんか?」と呼びかけているのを見つけたんです。

その投稿を見た瞬間、「呼ばれた」と思いました。ラジオ番組を持てるなんて、こんなチャンスは今しかない。すぐに、やりたいですと連絡をしました。ところが、番組スポンサーになるのに必要なお金が、予想した以上に高かったんです。仕事もしていないのに、そんな大金が払えるわけありません。

周りに相談すると、やめた方がいいと言われました。やったこともないことを、どうやってやるの?と。私自身も、あと何人か意見を聞いてみて、諦めようという気持ちになっていました。そして最終的に、プロデューサーご本人にも相談してみたんです。すると「やるかやらないかは、自分次第じゃない?」と言われて。

その言葉を聞いたとき、本当にそうだなと思いました。相談しても、心配してくれる人はみんな「やめた方がいい」と言うに決まっている。自分が決めないと進まないんだと思ったんです。やると決め、そしてやる方法を考えようと、気持ちを切り替えました。

考えた結果、一人では難しくても、20人以上集まれば、一人あたり数千円の出費でできると思いつきました。SNSも使って、とにかく周囲に声を掛けたんです。内容は何も決まっていないけど、半年間お金を出して一緒にやりませんか、と。友人の中には「竹岡さんがやるなら、面白いことになりそう」と出資してくれた人もいました。そして、ひと晩で23人のメンバーが集まりました。

ラジオの活動が、自信をくれた

番組スポンサーになることができて、とにかく番組をスタートする準備はできました。最初の放送日までに、残された準備期間はひと月。決まっていたのは、ママが主体となって何か発信しようということだけです。集まったメンバーのほとんどは初対面だし、住む場所もバラバラ。ラジオ番組をつくった経験がある人はいません。

そこから、オンラインで23名のメンバーとミーティングを重ね、ラジオの制作者に話を聞きに行ったり、番組名を考えたり、番組のロゴをつくったりと、忙しく動き回りました。企画を立て、台本をつくり、ラジオでの話し方についての講習を受けました。まるで文化祭に向かって準備しているみたいでしたね。

放送日は、とにかく与えられた時間にちゃんと放送することに必死。反響を気にする余裕もありませんでした。でも何とか放送を終えたとき、その達成感はすごかったです。みんなでやり遂げられた、という。

来月にはまた次の放送があるので、燃え尽きている暇はありませんでした。1回目を終えて、その様子をSNSで発信したり、周囲に喋ったりしていると、「楽しそう」「やりたい」という声が他にも挙がって。メンバーが集まり、3ヶ月後にはもう一つ番組の枠を持つことになりました。次第に個人での管理が難しくなってきたので、「ママ夢ラジオ」という名で事務局をつくり、主要メンバーを決めて、チームを運営していくことになりました。

メンバーが増えて、全国各地で番組を持つようになると、活動はメディアにも取り上げられました。「金持ち妻の道楽じゃないか」と、批判的なコメントをされたこともあります。「意味が分からないことをやってる」と言われたこともありました。

それでも、この活動が必要とされているから、広がっているんだろうと思いました。自分がやりたくて始めたことが、他の人のやりたいに繋がっていった。ママ夢ラジオの活動が広がっていくことは、私の自信にもなりました。

看護師に合わなかったと結論づけたとき、私は一つの自信をなくしていました。でも、ママ夢ラジオのチームで活動するうちに、自分の苦手な面を見て、自信を失わなくてもいいと気づいたんです。苦手なことは他の人に任せてもいい。得意なことを頑張って、感謝されることを続けていけば、どんどん面白くなるんじゃないかと。

その都度、面白そうな波に乗って

今は、一般社団法人夢ラジオの代表として、地域のラジオ局での番組制作に取り組んでいます。毎年参加希望者を募り、会費を払って参加する仕組みです。応募資格は、ママであることだけ。過去4年間で約360名の方が参加しています。

参加者は、番組の台本づくりから関わり、ゲストを呼んだり、地域のお店を取材したりします。公共の電波を使って放送するので、月1回は放送倫理などの勉強会も行っています。

参加する人の動機は、ラジオパーソナリティに挑戦したい、聞く人の役に立ちたい、地域で何かやりたいなど、さまざまです。思いを持った初対面のメンバーが集まり、一緒に番組をつくっていく。ママ夢ラジオというコミュニティを通じて、地域のメンバーと繋がりができることも、魅力の一つだと思います。

ママ夢ラジオは「話すことから、つながろう。」というミッションを掲げています。一くくりにママと言っても、本当にさまざまな方がいる。子育ての話題に限らず、その多様な生き方を発信できたら、と思っているんです。メンバーには、一人ひとりの人生すべてが価値あるもので、番組の企画になるくらい素晴らしいものだということを伝えています。話すことで、聞いた人が応援してくれたり、誰かと繋がったりすることがある。だから、まず話してみよう、と伝えたいです。

2022年には、運営メンバー4名によって、株式会社わたしたちを設立しました。主にWebやSNSを活用した広報、PRをお手伝いする会社です。この4人は、それぞれPRやコミュニティ運営などの分野で仕事をしてきたので、その力を持ち寄って事業を立ち上げようと考えました。ママ夢ラジオで培ってきた力が、他にもどのくらい通用するかという、一つの挑戦でもあります。

ラジオに参加して、新たな夢を見つけるメンバーも多いので、この会社から仕事を斡旋したり、新しい仕事をつくったり、そんな循環ができたらと思っています。ママ夢ラジオを通じて、たくさんの方が変わっていく様子を間近で見られるのが、本当に嬉しいですね。実際にラジオパーソナリティになって、長年の夢を叶えた方もいますし、ガラケーしか使っていなかったのに、動画の編集をできるようになった方もいます。この場で繋がったメンバーで、また新しい何かが始まったりと、活動が広がっていくのも楽しみです。

私は、これをやってみたら面白そう、を続けて、ここまで来ました。半年前には予想もしていなかったことが、今起きているので、ずっとこういう感じを楽しんでいきたいなと思っています。フットワーク軽く、世の中が変化する流れに乗って、やりたいことにどんどんチャレンジしていきたい。最終的には、宇宙に行きたいなと思っています。それをやるためにどうすればいいか、作戦を練るのが楽しいですね。

この連載記事は、自分らしく生きたい人へ向けた人生経験のシェアリングサービス「another life.」からのコンテンツ提供でお届けしています。※このインタビューはanother life.にて、2022年4月7日に公開されたものです。

インタビュー・ライティング:塩井 典子