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人々

連載 | 「自分らしく生きる」を選ぶローカルプレイヤーの働き方とは

困っている人の役に立つことが使命。 介護医療福祉×サーフィンでバリアフリーを。

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神奈川県にて複数の介護事業所を運営するかたわら、介護医療従事者、認知症患者や障がい者が所属するサーファーズケアコミュニティを立ち上げた柴田さん。根底にあるのは、人の役に立ちたいという想いでした。その想いが生まれたきっかけとは?そして、実現したい介護やコミュニティの形とは?お話を伺いました。

柴田 康弘
しばた やすひろ|株式会社ジョイ&ホープ代表、株式会社メディカルケア湘南代表
神奈川県横浜市旭区出身。米・フレズノアドベンチストアカデミー高校、東海大学を卒業後、介護付き有料老人ホームの介護職員・施設長、居宅介護支援事業所のケアマネージャーを歴任し、デイサービスや老人ホームの立ち上げを経験。2010年、株式会社ジョイ&ホープを立ち上げ。2015年、Nami-nications~サーファーズケアコミュニティを開始。2017年、株式会社メディカルケア湘南から事業譲渡を受ける。
目次

窮屈な規則への反発

神奈川県横浜市の旭区で、三兄弟の次男として生まれました。父母ともにクリスチャンで、キリスト教の教えを受けて育ちました。教師をしていた祖母も厳しく、ゲームや映画などの遊びからは遠ざけられていましたね。テレビを見られるのも土日だけで、見終わったら感想文を書かなくてはいけなくて。勉強にはなったのですが、遊びたい気持ちが強くて窮屈さがありました。

その後、中高一貫のミッション系の全寮制の学校に入学。そこでも、寮生活ということもあり規則や上下関係が厳しくて。これまで厳格に育てられてきたこともあって、鬱憤が溜まっていました。目立ちたがり屋な性格だったこともあり、窮屈さから抜け出し注目を浴びるために規則を破るようになったんです。

山の上にある学校をこっそり抜け出して外出したり、街まで行って規則で禁止されていたさまざまなものを買い出したり。しょっちゅう規則を破っていたところ、高校2年生になったとき、数々の問題が重なり、退学することになってしまったんです。勉強は嫌いでしたが、友達はとても好きでした。残りたかったのですが叶わず、学校を去ることになりました。

どん底で感じた、人の役に立てる喜び

その後、地元の高校の編入試験を受けたのですが、勉強をしていなかったのでまるで受からず。定時制の高校に行くことを考えていたとき、親の知人がアメリカで牧師さんをしているから「アメリカ留学はどうか」と勧められたんです。だったらアメリカの方がいいなと感じて、何も考えずにアメリカ行きを決めました。

しかし実際留学が近づくと、だんだん行くのが怖くなってきたんです。なんとか頑張って渡米しましたが、着いても英語が全くわかりません。高校に行ってみても周りが何を言っているのか全くわからず、ぼーっと時間を過ごすしかありませんでした。

日本の中高ではなんでも自分の思い通りにやれて、友達にも囲まれていたのに、アメリカでの自分は誰からも相手にされない存在。まるで空気、無になったみたいで、自分の存在の小ささに打ちのめされました。授業中、時計を見ては「今頃日本は何時だな」「日本に帰りたい」とばかり考えていました。

1週間ほどそんな時間が続いたある日の授業中、なんの気なく鉛筆を指で回していました。すると周りの子がびっくりした様子で「それはなんだ?」「どうやるんだ?」と話しかけてきたんです。アメリカではペン回しを見たことがなかったみたいなんです。そこから言葉がわからないながら、少しずつ周りとコミュニケーションできるようになりました。

もともと洋楽が好きだったこともあって、流行っていたアーティストのコンサートに誘ってもらえるようになり、友達ができました。3カ月くらいすると相手が何を言っているかが雰囲気でわかるようになり、1年経つ頃には会話ができるようになりましたね。

日本では全然しなかった勉強も、英和辞典を引くところから地道に頑張り、なんとか宿題を提出していました。やってみると理解できることが増え、勉強の楽しさを実感しましたね。言葉ができないぶん、美術のクラスは特に力を入れ、美術の先生を手伝えるまでに。少しずつ無くした自信を取り戻せました。

学校以外の時間は、両親の知人の牧師先生の手伝いをすることが多かったです。牧師先生は、アジアからきている難民の方々に、食べ物や洋服を届けたり、学校の入学手続きをしたり、教会までの送迎をしたりしていました。

アメリカでは16歳から免許が取れるので、私も送迎を手伝ったり、習っていたピアノの腕を生かして教会で賛美歌を弾いたりしていました。日系人のおばあさんにアルバイトを頼まれ、家の芝刈りなど庭の手入れをすることも。私がしたことで、相手が喜んでくれるのを目の当たりにしました。

活動の中で、自分が人の役に立てている実感があったんです。無になった自分でも、人の役に立つことができる。そのことがすごく嬉しかったです。「困っている人を助けさせていただくことが自分の使命なのかもしれない」と思うようになりました。

バリの夕日と本当の幸せ

アメリカで勉強の楽しさを感じたので、日本でもう一度勉強したいと思い、高校卒業後は帰国子女枠で日本の大学に進学しました。何か人の役に立つことをしたいと考えていました。しかし、時代はバブルの絶頂。就職が難しくなかったこともあり、周りの大学生達は遊びやアルバイトに夢中でした。私もその空気に流され、サーフィンをするなど遊んで過ごしたんです。

就職活動の時期になると、周囲と同じように企業の選考を受け、内定を得ました。サラリーマンとして出世してお金を稼げるようになろう、と思っていましたね。

卒業旅行で友達とバリに行くことに。海で遊んで楽しく過ごし、夕日が綺麗だと有名なビーチで、夕暮れを迎えました。日が沈む頃になると、周囲からいろいろな人が夕日を見に集まってきたんです。バカンスに来ているようなお金持ちも、この土地に住んでいる貧しい物売りの人も、みんな一緒に、同じように綺麗な夕日を見つめていました。

その光景を見たとき、「これが幸せなんじゃないか」と思ったんです。お金のあるなしに関わらず、こうやって綺麗な夕日をみることができれば、幸せなんじゃないかと。

これまで無意識のうちに、企業戦士になり、出世してお金持ちになることが幸せだと考えていました。でも、休みなく会社のために働く歯車になることが、本当に自分のやりたいことだったのか、と自問したんです。ハッと目が覚めた気がしました。人の役に立つことをしたいと思っていた、アメリカでの気持ちを思い出したんです。帰国すると内定を辞退し、しばらく好きなサーフィンをしながら、生きがいとはなんだろうと考える日々を過ごしました。

この介護は正しいか?

親の知人が海の近くで特別養護老人ホームを経営しており、そこに来ないかと誘われました。海が綺麗だったのと、「福祉」という言葉がやりがいに繋がるように感じて就職することに。その施設は人手が足りていたので、千葉県の施設で働くことになりました。

福祉の勉強をしたことがない私に、最初に与えられたのは布おむつをたたむ仕事。半日間ひたすら、オムツを3枚セットにして畳んでいました。ショックでしたね。「なんで自分はこんなことをやっているんだろう」と感じて、早々にやめようと決意。次の日は出勤しませんでした。すると施設長から電話がかかってきたんです。

「おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に育っているから、君はこの仕事、大丈夫だよ」と言われて。何が大丈夫なのかはわからなかったですが、施設長から直接声をかけてもらって申し訳なさもあり、仕事を続けることにしました。

本格的に働き始め、様々な仕事を覚えていきました。そのころの介護は流れ作業が当たり前。お風呂に入れる時間、ご飯を食べる時間とやることが決まっていて、時間勝負で物事を進めていました。嫌がる人を無理やりお風呂に入れることもありましたが、それを疑問に思うこともありませんでした。

そんなある日のこと。いつも午前中のお風呂の時間になると暴れてしまう認知症の方がいらっしゃったのですが、その日だけ入浴の時間が夕方にずれたんです。すると、全く嫌がることなく、すごく喜んで入ってくれました。それを見て、今まで自分がやってきたことは間違っていたのかもしれない、と気がついたんです。

そこから、認知症とそのケアについて学ぶようになりました。先駆的な取り組みをされているグループホームの見学に行くことも。その施設では、施設内をぐるぐる徘徊してしまう方が、役割を与えたり得意なことをしてもらったりすることで症状がおさまることがある、と教えていただきました。目からウロコでしたね。認知症の患者としてだけではない、入居者の方の新たな面を発見できた感覚でした。

時間内に効率的にお風呂に入れたいというのは、いわば施設側の論理。そうではなく、夕方や寝る前にお風呂に入りたいという入居者の方の目線に合わせ、スケジュールを組み直せないか。「危ないから」とレクリエーションをやめるのではなく、できるきっかけを考えられないか。そんな風に考えるようになり、介護の仕事の魅力に取り憑かれてきました。

認知症の方も、本人が持っている力を活かしながら生き生きと暮らしていただきたい。そう思いながら介護を模索している中で、いろいろな方から声をかけていただき、ケアマネージャーをしたり、デイサービスの立ち上げを担当したり、有料老人ホームの施設長をしたりと、様々な経験をさせていただきました。

もう一度サーフィンをしたい

40歳になったとき、自分の理想の介護を実現させようと独立し、湘南の海の近くに施設を立ち上げることにしました。一戸建ての民家を借りて、認知症の方をメイン対象としたデイサービスを開始したんです。「これは危ないから」「時間がかかるから」と施設側の理論で効率重視で管理するのではなく、その人のできることを大事に引き出していく。そんな介護を実現していくために、同じ志を持った方に集まっていただいて作りました。

湘南で仕事するようになると、サーフィンを愛好する介護職、医療職の方と出会う機会も増えました。そこで、飲み会でコミュニケーションをとる「飲みにケーション」になぞらえ、波に乗りながらコミュニケーションをする「ナミニケーション」という名前でサークルを作ったんです。

海に集まって一緒にサーフィンをしながら情報交換をする。加えて、サーフィンを掛け合わせることで介護職のイメージアップをしたいという想いもありました。

そんな活動を初めて2年目になった頃、認知症を啓発するランニングイベントに参加し、ある男性に出会いました。その方はサーファーだったのですが、52歳で若年性のアルツハイマーを発症し、お医者さんに止められて以来、サーフィンをするのを諦めていたのです。それを聞いて、「ぜひ私たちと一緒にもう一度サーフィンを復活させませんか?」と声をかけました。ナミニケーションには、介護職やお医者さん、ケアマネージャー、看護師、理学療法士など専門家が揃っていたので、私たちと一緒ならできると思ったのです。

一緒に海に行き、サーフィンをしました。板の上に立つことは難しかったですが、板に腹ばいになった状態でうまく波に乗り、岸まで乗りついていくことができたんです。その方は最高に良い笑顔になって、自信を取り戻してくれました。

一緒にサーフィンしていた仲間たちもみんな感動して。冬をのぞいて毎月その方を中心に集まって、活動をするようになりました。

数年経つと、車椅子の方や視覚に障がいのある方、知的障がいのあるお子さんなど、一緒にサーフィンをしたいという方が徐々に増えてきました。認知症や障がいに関係なく波に乗れる。それがわかると、みなさん笑顔になっていただけるんですよね。

自分自身が波に乗って楽しむのと同じくらい、他の人が波に乗るのを助けることもやりがいになります。その笑顔見たさにみんなが集まり、楽しむようになりました。

困っている人の力になる

今は、株式会社ジョイ&ホープ、株式会社メディカルケア湘南の代表として、デイサービスや老人ホーム、訪問看護リハビリテーションなど、計8ヵ所の介護事業所を運営しています。加えて、ナミニケーションの活動も続けています。

介護では、事業所が増えてもコンセプトは変わりません。認知症を発症しても、嬉しい楽しいなどの感情や、本人が得意なことを引き出すことで、自信を取り戻して生き生きと暮らしていただく。それぞれの施設で、それを実現していきたいなと思っています。

例えば、その人の趣味を生かしたお菓子作りやフラダンスをしたり、お掃除などの役割を持っていただいたり。地域と連携してお花を植える活動をし、地域貢献できる機会を作ったりしています。今後は、農作業をリハビリにつなげる取り組みも進めていきたいですね。できた野菜を販売するなど、将来的には活動をお仕事にもつなげられればと思っています。

ナミニケーションは、知り合いや口コミで湘南で働く医療介護従事者、障がいや認知症のある方など、様々な人が関わってくれる50名ほどのコミュニティになりました。

サーフィンで五感を通した気持ちよさを感じることと同時に、仲間とつながることも大事にしたいと考えています。メンバーも増えているので、サーフィンだけでなくビーチクリーンをしたりなど、より多くの人が海に来て一緒に過ごせる取り組みもはじめました。自分も体が動かなくなった時、誰かに助けてもらって海に入りたいと思うし、サーフィンができなくても海で仲間と一緒に過ごしたいと思うでしょう。それができるコミュニティにしたいですね。

サーフボードの上に立ってパドルを漕ぎながら進む「SUP(サップ)」による、介護予防のプログラムも開発・提供していきたいと思っています。サップは簡単そうに見えて意外に筋肉を使いますし、波の揺らぎは脳に良い影響を与えるとも言われています。元気なシニアの方に向けた、介護予防のプログラムにしていきたいですね。

海にいると、誰が障がい者で誰が認知症患者なのかなんてわかりません。みんながフラットです。全てのバリアをフリーにしてくれるように思います。そんな風に繋がっていければ良いですね。フラットに繋がれるコミュニティを、海からまちに拡げていきたいです。
介護も、ナミニケーションの活動も、根幹にあるのはアメリカで感じた人の役に立ちたいという想いです。尊敬するマザー・テレサも、こんな言葉を遺しています。

『だれでも、あなたのところにきた人が、前よりもっと気分よく、もっと幸せな気持ちで帰ることができるように。あなたの顔やまなざし、あなたのほほえみに、親切をみることができますように。喜びは、わたしたちのまなざし、ことばや振る舞いにあらわれます。それは決して隠すことはできません。それは外に作用します。喜びは、とても伝わりやすいものなのですよ』

自分の強みやできることを通して、仕事でも活動でも、少しでも困っている人の役に立てればと思っています。

インタビュー・ライティング:粟村 千愛
この連載記事は、自分らしく生きたい人へ向けた人生経験のシェアリングサービス「another life.」からのコンテンツ提供でお届けしています。※このインタビューはanother life.にて、202年11月29日に公開されたものです。

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