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結婚と出産で2度の移住。家族で沖永良部島に住む西温子さんの決断力と実行力

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地方への移住を考えている人、または考えたことがある人、きっかけは何だろうか。結婚、出産、転職…。特に今ならコロナの影響で働き方の変化が理由になることもあるだろう。現在、鹿児島県の沖永良部島に家族と暮らす西温子さんは、これまで結婚と出産で2度、移住を経験。その決断と実行の背景、移住先での暮らしぶりについて話を聞いた。

西温子さん
西温子さん/1979年生まれ、埼玉県出身。20代前半から全国を旅する生活に。旅の途中で出会った現在の夫と2004年に福岡へ移住し、地元誌のアルバイトなどを経て2008年から手芸雑貨店を経営。2016年2月より家族で鹿児島県・沖永良部島へ移住。現在はおきのえらぶ島観光協会スタッフとして働きながら、個人的に手芸のワークショップなども行なっている。(c)nagasenatsuko
目次

すべての始まりは20代の旅暮らし

埼玉県出身の西温子さん。22〜3歳の頃、「このまま大学を卒業し普通に就職して、私の人生これでいいのか」という迷いがあり、家出同然で東京に出たのが旅暮らしの始まり。アルバイトをしながらユースホステルのような安宿を探しては泊まるという日々で、各国から訪れたバックパッカーたち、漫画家を目指す若者、一流企業に勤めながら安宿から通勤する会社員など、多種多様な人生を目の当たりにする。「どんな風にも生きられるんだ」と、今で言う“ダイバーシティ”を実体験していた頃、のちに夫となる男性と出会う。最初は気の合う友人で、それぞれまた旅に出ては旅先からメールのやり取りをする程度だったが、あるとき2人の仲が進展する。

西さん「沖永良部島に長期滞在していた彼から、彼女ができたとメールが来て。その時なんだかモヤモヤしてしまって」

そして「自分の気持ちを確かめたい」と、沖永良部島へと向かった西さん。島で仕事の傍ら観光地などを案内してくれる彼もまた、わざわざ会いに来た西さんへ気持ちが傾くのに時間はかからなかった。2人の恋をスタートさせた沖永良部島が、移住先となるのは10年以上も先のことだ。

沖永良部島の海
沖永良部島の海。「この非日常感に素直な気持ちが暴走したんでしょうね。でも暴走しないと恋は始まらないでしょう(笑)」と西さん。(c)西温子

 

最初の移住先は福岡。いわば押しかけ婚!?

ほどなくして2人は交際を始めたが、東京で働きつつ旅を続ける西さんと、沖永良部島から福岡へと移っていた彼は遠距離恋愛を続ける。

西さん「しばらくすると埼玉の親から『福岡で一緒に暮らしたらそのうち結婚できるんじゃない』と言われて。フラフラと旅をしている娘を心配していたんでしょうね。それで私も福岡へ行って一緒に住み始めたんですが、2年くらいするとまた、『あんたたちそろそろ籍入れなさいよ』と。福岡移住も結婚も親に背中を押された形です(笑)」

手芸雑貨店
福岡時代に経営していた手芸雑貨店「Tutti Frutti(トゥッティ・フルッティ)」。(c)西温子

福岡では手芸雑貨店を経営。出産後、再移住を決断

2004年から暮らしはじめた福岡では、手芸店や地元フリーペーパー編集部でのアルバイトなどを経て、2008年、29歳の時に手芸雑貨店をオープンする。多忙な日々を送りつつも、仕入れと称しては国内外へ旅へ出ることもあった。夫は鮮魚店で働く傍ら、ライブハウスのスタッフやミュージシャンとしても活動。夫婦それぞれ、結婚前と同様に好きなことをしながら暮らす日々を送っていた。そして2014年初頭、西さんは35歳で出産を機に店を畳み、育児をしながら時々ワークショップを行うという生活に。

西さん「結婚してからも夫とは、いつかまた移住したいという話はしていて。育児が始まってしばらくして、現実的に考えるようになりました。赤ちゃんとの暮らしは、公園か、授乳室がたくさんあるショッピングモールなど、行動範囲が決まってきます。同じような毎日を過ごすうち、『あれ、昨日何したか覚えてないな』と思って。福岡はどこに行くにも便利だし子育てはしやすいけど、つまらなくなってしまったんです」

「便利で暮らしやすい」これほど育児に必要なことはなさそうだが、旅を続けてきた西さん夫婦は、想像がつく毎日を少しずつ窮屈に感じていたのだ。

西さん「多少不便でも工夫しながら子育てしたいなと。それで移住を決めました」


決め手は「沖永良部島移住体験ツアー」

決め手は「沖永良部島移住体験ツアー」

移住先を決めるにあたっては、夫婦それぞれが旅してきた場所から候補を出し合った。与論島や沖永良部島など「奄美群島のどこかにしよう」と話しているとき、ネットで運命的な発見をする。

西さん「『奄美・移住』で検索すると、2ヶ月後(2015年11月)に『沖永良部島移住体験ツアー』があるという情報を見つけて。これはもう行くしかないと。ただ子どもがまだ小さくて長旅が心配だったので、夫だけ行ってもらいました。『いい家見つけてきてねー』と(笑)」

移住先を決めるにあたって下見は必須だが、ここで夫に一任できるのは旅暮らしを続けてきた西さんならでは。沖永良部島へ行ったことがあったのも大きかったという。
そしてこの「移住体験ツアー」で庭付きの一戸建てが見つかり、2015年の年末には契約、翌2016年2月には住居を移した。
しかし、移住体験ツアーの参加から引っ越しまでたった3ヶ月。資金の準備など不安はなかったのだろうか。

西さん「不安もありましたが、お店も畳んで何にも属していないタイミングだったこと。リセットできるのは今しかないという気持ちが大きかったです。移住の準備資金は、お店をやっている時に一時『出産後もしばらく休んだら続けよう』と思っていたことがあって、その運転資金を貯めていたので、なんとかなりました」

沖永良部島の家
沖永良部島へ移住後まもない頃。庭の開墾作業中の写真。(c)西温子

観光協会の仕事と手芸を通した地域活動 

西さんは現在、「おきのえらぶ島観光協会」に勤務し、夫は鮮魚店で働いている。西さんが観光協会で働くことになったのは、移住後2ヶ月ほど経ってから夫が見つけてきた求人がきっかけだった。

西さん「観光業は初めてでしたが、せっかくリセットして移住したのだから挑戦してみようと。それに、観光業であればお客様と同じ目線に立てる外の人材は必要かもしれないなと。それで面接を受けてみたら雇っていただけました」

おきのえらぶ島観光協会/西温子さん
「おきのえらぶ島観光協会」で働く西さん(左)。気候の良い日は外で打ち合わせをすることもあるそう。(c)古村英次郎

客観的な目線と、福岡時代にフリーペーパー編集部で働いた経験や人脈などを生かし、このフリーペーパーの女性読者を集めたツアーを企画したり、島の広報誌の編集長を任されたこともある。また、自らも経験者ということで、移住コーディネートを担当したことも。

現在は子どもを朝、保育園に送ってから観光協会へ出勤し、18時頃まで働いている。鮮魚店で働く夫は朝が早く16時頃までの勤務なので、保育園の迎えと夕食作りを担当。西さんはこの夕方以降の時間や休日を使って、手芸のワークショップなどを行なっている。

西さん「よく借りている会場は、移住者も多く集まるんです。移住してきた人は新しい風を持ち込みやすいから、島内外の人たちのコミュニティが広がるきっかけになる。私もその一役を担えたらと思って、自分ができる手芸を教えています」

手芸ワークショップ
西さんが企画した手芸のワークショップ。沖永良部島の草花をイメージした刺しゅうなどをレクチャーすることもある。(c)井戸端あ〜みちゃ/吉成泰恵子

子どもの遊び力が育つ島の環境 

「不便さを工夫しながら子育てしたい」と移住してきた沖永良部島。家から歩いて海までいけたり、子どもを見守る大人達のつながりを含め、子育ての環境としては満足度が高いと西さんは言う。

西さん「福岡で特に都心に住んでいると、公園でもどこでも、子どもだけで遊ぶことは少なくて必ず親が一緒について行きますよね。でも沖永良部島では、子どもだけで遊ばせることも多いです。例えばうちの子も保育園が終わって夕食までは、近所の団地のそばで友達と遊んでいます。うちから夫が時々見ていたり、地域に住む大人たちが声かけしたりと、ご近所付き合いがしっかりしているからできることだと思います」

子供と海
家の近所にある海岸へ出かける西さんの娘さんと友達。(c)西温子

ポイントは不便さを面白がれるかどうか

一方で、島ならではの不便さも当然ある。例えば安いと思われがちな物価は、基本的に高いそう。食品は生鮮も加工品も島外から入るものは全て移送コストがかかるし、家賃も高い。借家として利用できる物件の数が少ないので競争率が上がるからだ。

西さん「台風の時はスーパーの品物が2週間くらい無くなることもあります。でも、おすそ分けもしょっちゅうで、ジャガイモがたくさんとれる春は本当に食べきれないくらい頂きますよ。それに、物価が高いことで、本当に必要かどうかを見極めて買うクセがついて節約するようになります」

また、島人は人懐っこく優しいが、それゆえ人間関係を守っていくバランス感覚も必要だという。地域の集まりや飲み会、自治会の活動なども頻繁にある。

西さん「全部参加したり引き受けたりしていると体が持ちませんが、かといって『うちは一切やりません!』というスタンスでいると、暮らしにくくなります。不便さも人付き合いも、面白がりながらやれる人が移住には向いているのかもしれません」

ハンモックと海
近所の海岸にてハンモックでリラックス。(c)西温子

移住者は、その土地にとってジグソーパズルのピースのようなものだと西さんは言う。欠けていたピースを集めて一つの絵にするように、移住者それぞれが持つ力で、土地の新しい魅力を生み出していけたらと。

西さん「またどこかが欠けるかもしれないけど、他のピースがそれを補えばいいと思います。私たちも今、沖永良部島で暮らさせてもらっているからには役に立ちたいし、今後もし他の土地に行くことがあっても同じ気持ちを持ち続けたいですね」

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