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連載 | デジタル地方創生記 くじラボ!

J昇格に湧くFC今治がサッカーと同じくらい力を入れる意外な取り組みとは? 愛媛県今治市(前編)

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くじらキャピタル代表の竹内が日本全国の事業者を訪ね、地方創生や企業活動の最前線で奮闘されている方々の姿、再成長に向けた勇気ある挑戦、デジタル活用の実態などに迫ります。

今回は、愛媛県今治市にFC今治(株式会社今治.夢スポーツ)様を訪ね、経営企画室長の中島啓太(なかじま けいた)様と、しまなみ野外学校エデュケーションプロデューサーの木名瀬裕(きなせ ひろし)様にお話を伺いました。

5年前に元サッカー日本代表監督の岡田武史氏がオーナー兼代表取締役会長に就任し、今期Jリーグ(J3)昇格を決めたFC今治ですが、実はサッカーと同じくらい力を入れているのが教育事業。その背景にある岡田会長の思いとは。

目次

FC今治・岡田会長の誕生

竹内 この度はJ3昇格決定、おめでとうございます!(筆者注:本稿の取材日は2019年11月23日で、Jリーグ理事会においてFC今治のJ3昇格が正式承認された5日後。)

FC今治と言えば、元サッカー日本代表監督の岡田武史氏がオーナー兼代表取締役会長を務めるチームということで、今や全国的な知名度を誇ります。ただ、岡田会長が来られる前のFC今治について知っている人はサッカーファンでもそんなに多くないのではないでしょうか。

FC今治(株式会社今治.夢スポーツ)経営企画室長の中島啓太(なかじま けいた)様
FC今治(株式会社今治.夢スポーツ)経営企画室長の中島啓太(なかじま けいた)様

中島 FC今治は、元々1976年に「大西サッカークラブ」として設立され、当初は地元の子供たちの小さなサッカーチームだったと聞いています。その後何度か名前を変え、2012年に現在のチーム名となり、2014年10月に岡田がFC今治の運営母体である「株式会社今治.夢スポーツ」の過半数持分を取得して新オーナーに就任し、丁度丸5年が経ったところです。

竹内 岡田会長が過半数持分を取得された経緯はどのようなものなのでしょうか?

中島 今治に本社を置く「株式会社ありがとうサービス」という上場企業があり、飲食店のフランチャイズや小売事業などを営んでいるのですが、そこの社長である井本さんという方が以前のオーナーでした。井本社長と岡田とは早稲田の先輩・後輩の関係にあたり、その縁もあって、以前から岡田も年に数回は今治に来て人材教育の領域で色々手伝いをしていたみたいです。

ワールドカップ南アフリカ大会後、日本代表監督を退いた岡田は、中国サッカー・スーパーリーグの杭州緑城の監督を2年務めましたが、その時思うところがあり「日本サッカーの新たな型を作りたい!」と決意したようです。ただ、新しいことを始めるのであれば、大きなチームからスタートするのではなく自由に取り組める新しい場所がいいということで、丁度チームを探していた時に、ありがとうサービスの井本社長に「今治で自分がサッカーチームを持っているから、そのオーナーになってやったらどうか?」と言われたのがきっかけと聞いています。

岡田は大阪出身ですが、前述の縁で15年以上今治に通い続けていたので、今治という町がどんな町で、どう変わってきているのか肌感覚で分かっていたみたいですね。

竹内 FC今治と言えば当然ながら誰もがサッカーを思い浮かべますが、実はサッカーと同じくらい力を入れているのが教育事業と聞いています。意外な感じがするのですが、一体どのような取り組みなのでしょうか?

8泊9日、子供たちがシーカヤックで瀬戸内海を渡る

中島 FC今治では、「しまなみ野外学校」という実体験を通じた野外冒険教育と、「Bari Challenge University」という地域課題解決型ワークショップの2つを運営しています。

しまなみ野外学校というのは、野外体験を通じて子供たちの生きる力を育み、地球環境への関心を持ってもらうことを目的とした場です。具体的には、小中高生やファミリーを対象に、無人島に泊まったり、8泊9日で瀬戸内海を横断したり、チームで山中をめぐるチームハイクなどを開催しています。

法人向けにも開催しており、実際に上場企業や団体職員、国家公務員の皆さまの研修として活用頂いた実績もあります。

Bari Challenge Universityというのは、全国から若者を集め、地域社会の課題を発掘・解決を目指すワークショップです。FC今治の16名のアドバイザリーボードメンバーも参画し、4回目となる今年は1週間かけて、今治市の地域課題を解決し地域の活性化に結びつくアイディアを競い合いました。

竹内 JFL所属のサッカーチームであることを考えると、どちらも他に類を見ない非常に興味深い取り組みですが、小学生の子供がいる自分としては8泊9日の瀬戸内海横断が非常に気になります。自分もシーカヤックを少しやりますが、やっても葉山から江の島までせいぜい往復数時間が関の山。8泊9日というのは想像を絶します。

FC今治(株式会社今治.夢スポーツ)しまなみ野外学校エデュケーションプロデューサーの木名瀬 裕(きなせ ひろし)様
FC今治(株式会社今治.夢スポーツ)しまなみ野外学校エデュケーションプロデューサーの木名瀬 裕(きなせ ひろし)様

木名瀬 プログラムの内容は、野外学校のエデュケーションプロデューサーである私が作っています。広島から今治まで瀬戸内海を横断するのですが、最初は短い距離から始めて・・・という感じではなく、いきなり8泊9日で横断するプログラムを作成しました。

子供とカヤック

今治に来て瀬戸内海を見たら、ここは横断したいな、と自然に思ったのです。瀬戸内海には700以上島があるのですが、それぞれに色々な物語が存在していて、実は今でも電気も水もひかずに暮らしている島があります。そういう環境に出会うことって今の子供たちにアリだなと思いました。

今はスマホもなんでもあるので、そういう島に行くと1日目、2日目ぐらいは非常に不便で、なんか遠いところに来たな、子供たちも帰りたいなという表情になるんですけども、数日経つとその不便の先に自由を感じ始めるんです。制限がないので。

そこに初めて足を踏み入れた時、新しい顔に変わることがよく起こります。今まで1人称、2人称ぐらいで、スマホとかデジタルを経由した関係性だったものが、10人ぐらいの数ですよね。10人でAという島からBという島まで息が合わないと渡れないっていうことに初めて気付いたときに、普通の言葉でいうと協調性ということになるのでしょうが、初めて心が通じ合うっていう経験をするケースが多くて。その時の表情のキラキラ感がおもしろいです。

竹内 それにしてもすごい距離を漕ぐことになります。

木名瀬 今年瀬戸内海を縦断した時は、1番長い距離を子供たちが自分たちで設定したんです。距離にして25キロ。これを1日で漕ぎます。朝6時にスタートして、10キロ先まで1個も島がありません。

明け方の瀬戸内海

その時はガスがかかり始めて、視界は4キロでした。ですから10キロ先の緯度・経度を、全部コンパスと地図・海図で読み取って、進路を自分たちで全部決めなくてはなりませんが、海のど真ん中、海路半ばまで行っても目的地が見えず愕然とする訳です。

そこへたどり着いた時に、子供たちに「なんとかしよう!」という力が湧いてくるのが見えてくるんです。1人、2人、力が弱くなって漕げなくなってくる。じゃあカバーしなきゃいけない、乗員を変えようか、と自発的に動きます。自分たちで決めて、自分たちで海に飛び込んで、泳いで、カヤックを乗り替えて漕ぎ手を変える。

私やインストラクターは安全のため周りで見ているだけですが、その姿に感動して涙が出ました。すごいなぁ、この子たちって。

閉ざされた島が一番楽しかった

木名瀬 こんなこともありました。去年、瀬戸内海横断をやっている最中に台風が来て、ある島に足止めされてしまったんです。瀬戸内海のいいところは外洋と違って台風が通過してしまえば波が残らず、体力と技術さえあればちょっと大げさかもしれないけど数時間後には出発できるんですね。でも子供なのでそう簡単ではない。

その中で、行けるか行けないかという判断を子供たちに委ねました。その島には台風の都合で4日間も滞在していたので「俺は行ける、行きたい」っていう子と、「いや私は無理」っていう女の子達とすごい激論が始まるんです。泣きながら喧嘩してるんです。時には取っ組み合いになって。

その中で、「じゃあとにかく1回荷物をカヤックに積んで、出られるか出られないか、湾の外をみんなで偵察してから判断しよう」ということになり、偵察に行きました。そうすると、「行ける」と言ってた男の子が、波でひっくり返りそうになりながら押し戻されてしまい、進めなかった。それを見て、「行けない」と言っていた女の子が、責めることなく、押し戻されてしまった男の子を優しく抑えてあげるんです。

あぁ、人間ってこういうことなんだなぁ、とウルウルしました。

で、結局その日は出発を見送るんですが、静かな夜なんです。4日間もいるので食べ物も尽きてしまい、電気も水もなく、みんな口数も少ない。

竹内 その時は、追加で食べ物を渡したりするのですか?

木名瀬 しません。自分たちで持って行っているものが全てなので。

僕は正直、その時の子供たちは今回の活動は嫌だったのではないか、と思っていたんです。台風のためダイナミックに海で遊んだり島の中を巡ったりすることができず、島にずっと足止めされていたので。

でも今年になってその子達と話すと、あの閉ざされた空間が一番良かったと口を揃えて言うんです。それまで本気でケンカしたことなくて、初めて本音でケンカしたとか(笑)、ケンカってもっと安心してやってもいいかもね、とか。

竹内 聞いていてるだけでじんと来る話ですね。しまなみ野外学校の冊子で岡田会長が語っている「遺伝子にスイッチを入れる」を地で行くような素晴らしい体験ですね。

パンフレット
しまなみ野外学校の冊子の冒頭には岡田会長の直筆メッセージが綴られており、「遺伝子にスイッチ」という言葉が二度出てくる。

竹内 それにしても、ここまでの話を聞くと、とても来年Jリーグに昇格するチームがやっている取組とは思えないですね(笑)。そもそも、お二人がFC今治に参加された経緯はどのようなものなのでしょうか?何かサッカーとの接点はあったのですか?

岡田会長に惹かれて集結した経営コンサルと「羊飼い」

中島 私は前職が経営コンサルタントでした。デロイトトーマツコンサルティングのコンサルとしてFC今治に常駐していたのがご縁で、参画しました。

デロイトはFC今治のスポンサーでもあったので、支援活動の一環としてお金やノウハウ、知恵、人材を使って下さい、ということで、2015年8月末にコンサルタントとして一人で今治に常駐することになりました。翌2016年9月までコンサルタントとして働き、2016年12月にFC今治に転職して今に至っています。

FC今治は多くのスポンサーやパートナーに支えられている。
FC今治は多くのスポンサーやパートナーに支えられている。

僕は1990年生まれなので、今29歳です。生まれた瞬間にはベルリンの壁がなくなっていて、小学校4年生の時にはニューヨークの高層ビルに飛行機が突っ込み、「テロリズム」という言葉が日常的に使われるようになったのを覚えています。中学生になると「ヨーロッパがやばいぞ」、高校生になったら朝礼の時に先生から「君たちは大変な時代に生きることになりました」と急に言われ、何のことかと思ったらアメリカでリーマン・ブラザーズという証券会社が破綻したと。

竹内 すいません、僕はリーマン・ショックを引き起こした側で。朝礼でそんなことがあったんですね。

中島 その後、大学に進み、僕は世界中旅行していたんですけど、チュニジアでジャスミン革命が起きたり、ギリシャが今日の議会総選挙でこっちに行っちゃったら明日からユーロは使えないかも知れないというレベルの大イベントが、立て続けに起きている。一方で自分の目の前は何も変わっていない、何も侵されていないという不思議な感覚です。

それは東日本大震災の時も同じで、当時はイギリスに住んでたので、テレビで家々がプールのように流されていく映像を目の当たりにしても、それを見ている自分は特に困っていない。どこかで誰かが困っているし、自分達の年金とか、これから日本の人口がどんどん減少したり世界が違う方向に向かっていく状況は確実に頭では理解しているのに、自分は困っていない。これってなんなんだろうなぁって、ずっと思っていたんです。

コンサルに就職しても、本当にこのままある種のうのうと生きてていいのかと悩んでいる時に、岡田と出会いました。「FC今治をサッカー以外でもこうしたい」という理念を明確に話してくれたのが当時の自分にはものすごく衝撃的で、自分の父親より年上の人がそんな考えを持ってるんだったら自分はそういう人と1秒でも早く、多く、働くことが自分のこれまでの葛藤の答えになるのでは、感覚でした。「リーダー岡田武史」に惹かれたんです。

竹内 木名瀬さんはどうですか?

木名瀬 僕はどこから話そうかな(笑)。小さい頃から集団行動が苦手で、だけど旅が好きで、小学生の時に初めてお年玉で買ったのはテントと寝袋。中学生になったら、日本を歩いて横断するような子供でした。その後はイタリアで羊飼いをしたり・・・。

竹内 イタリアで羊飼い?すごい話になってきましたね。順を追って教えて下さい。

(後編に続く)

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