2024年2月号ソトコト 特集「まちをワクワクさせるローカルプロジェクト2」の巻頭言<完全版>をソトコトオンライン読者のみなさんに大公開。
僕が最初に手がけたローカルプロジェクト。
大学4年生のとき、イギリスに1年間ほど留学しました。帰国して、久しぶりに群馬県の友達と一緒に釣りに出かけたとき、「僕らはこんなに釣りが好きで、いつも4、5人で仲よく釣りをしている。そんな関係性や、釣りの楽しさを伝えられるようなものをつくりたい」と、僕がデザインをしてステッカーをつくりました。オレンジ色の、顔のない、笑っているだけの魚の絵をロゴマークに、「TROUT HOLICS」というキャッチフレーズをデザインした楕円形のステッカー。イギリスから帰国したばかりの僕は、「なんとかHOLICS」という当時イギリスでよく耳にした言葉をアレンジして、釣り好きをアピールしました。サブのフレーズは、「100% NATURAL」。これは、おそらく日本で「100%オレンジジュース」とか、純度の高さをアピールする100パーセントという言葉が流行り、使いたくなったのでしょう。
そうやって出来上がったステッカーを、高校生の頃から乗っていたピンク色の自転車に貼りました。その自転車は、雑誌『ポパイ』の懸賞に出品されていた自転車で、おしゃれに生きたいと思っていた当時の僕は、シティボーイとして(笑)懸賞を当てなきゃと手書きで応募ハガキを送ったのですが、当たりませんでした。ただ、落選しましたが、その自転車をつくっていたショップから「あなたは次点だったので特別価格で販売します。どうされますか?」と通知が届き、買いました。貼ったステッカーは、今はもう剥げてほとんど見えなくなってしまっています。貼ったことさえ忘れかけていた頃、ステッカーをつくった仲間と久々に釣りに行ったとき、仲間はまだステッカーを貼ってくれていて、懐かしく、うれしい気持ちになり、「つくってよかった」と思いました。それが、僕が最初に手がけたプロジェクトです。
アウトドアや釣りの雑誌の編集部に入社して数年が経った1995年頃、僕はプライベートで、イギリスやアメリカの釣具店にメールオーダーや国際電話で連絡を取り、70年代のアンティークの釣具を買うことを楽しみにしていました。中学生、高校生のときから、そのために一生懸命英語を勉強したことを覚えています。日本に入って来ていない希少な釣具や、日本で買うよりも4分の1くらい安い値段の釣具が手に入ったからです。
アメリカへ取材に行くと、自分の趣味も併せてロサンゼルスやシカゴ、フロリダのウインターヘイブンなど中西部や南部のダウンタウンのアウトドアショップや釣具店を訪れ、記事にすることも多かったです。「こういうのを探している」と店主に伝えると、「ちょっと待ってろ」と言って店の奥から70年代の竿やリールを持ってきてくれて、「古いから安く売るよ」と見せてくれたりします。そういうやりとりが楽しくて、いろいろな店を巡っていると、パタゴニアの80年代のデッドストックで日本に入って来ていなかったフライフィッシングのシャツとか、僕の心をくすぐる品物が安く手に入ったりしたので、個人的にアメリカに行ったときも、小さな釣具店やアウトドアショップを訪ねてデッドストックを買うのが楽しみになっていきました。
そんななか、ロサンゼルスのある小さな釣具店に、チラシが置いてありました。手に取ると、「mini meet」と書いてありました。何だろうと思って店員さんに尋ねると、「いらなくなったものを持ち寄って、売ったり、交換したりする小さなイベントだよ」と教えてくれました。滞在中にチラシにあったmini meetに行くことは叶わなかったのですが、日本に帰ってからmini meetを開いてみようと思いました。キャンプや魚釣りは、冬場は寒いので行く機会が減り、読者の皆さんも「何かおもしろいことがないかな」と思っているタイミングだろうから、mini meetを開くにはいい時期だと思い、取材を通して仲よくなっていた山梨県の西湖のキャンプ場のオーナーさんに連絡をとり、「釣具やアウトドアが好きなみんなが、自分の道具を持ち寄って販売や交換をするフリーマーケットのようなことをしたいのですが、いいでしょうか?」とお願いしたら、「冬場はお客さんが少ないから、ぜひ来てください」と快諾してくださったので、雑誌の巻末に小さく「mini meetをやります。ぜひ来てね」と書きました。10人ほどから「出店してみたい」と編集部に連絡が入り、「ぜひ」と返事しました。mini meetの前日、僕ら出店者仲間はキャンプ場に前乗りしてロッジでお酒を飲み、釣具について楽しく語り合っているうちに、いつしか眠ってしまいました。
すると、朝5時か6時頃だったでしょうか。「指出さん、大変です!」と仲間の一人が血相を変えて、気持ちよく眠っている僕を文字どおり、叩き起こしたのです。「何百台もの車が列をなして、mini meetが始まるのを待っています!」と叫びながら。僕はその声に驚いて飛び起きました。西湖のキャンプ場と河口湖をつなぐ道にはトンネルがあって、そこまでお客さんの車列が続いてしまうという大変な事態になってしまったのです。僕らは慌てて外へ飛び出し、「申し訳ありません。今すぐ駐車場を開けます!」と車一台ずつに謝って回りました。釣りやアウトドアを愛する人同士、その道具について、のんびりと楽しく語り合えたらと思っていたのですが、予想をはるかに超える人数のお客さんが来てくださり、大賑わいの一日に。これが、僕のローカルプロジェクトの原体験です。行政や会社のように綿密な計画を立てて行うものもありますが、仲間同士の勢いやノリで「やっちゃおうか!」と始めるプロジェクトも楽しいものです。
自分で主催したり、ゲストとして呼ばれたり。
「綿密な計画を立てて行う」という意味で学びになったのは、時間は少し戻りますが、大学時代の山登りのサークル活動です。上智大学には釣り部がなかったので、山に行けばイワナ釣りをする機会もあるだろうという下心もあって山岳系のサークルに入りました。実際、1年の夏休みに山形県の朝日連峰で縦走の合宿が行われましたが、そこには矢口高雄さんの漫画『釣りキチ三平』に出てくる「O池の滝太郎」という幻の魚が棲む大鳥池があったのです。先輩から、「今年は大鳥池でキャンプだ」と言われ、「僕はなんて素晴らしいサークルに入ったのだろう!」と感激したことを覚えています。
朝日連峰縦走の行程は先輩が作成しました。体力に差がある部員全員が安全に帰ってこられるような行程をつくり、縦走のポイントをレクチャーしてもらうことで、4泊5日の登山を楽しく過ごすことができましたが、これを一つのプロジェクトと考えると、勉強になった部分がたくさんあります。
2年生になると、自分でプロジェクトをつくるようになりました。たとえば僕は、鹿児島県の屋久島に登るプロジェクトや山梨県の北岳、間ノ岳、農鳥岳からなる白峰三山を登るプロジェクトづくりに関わりました。山登りは1人ではなく5、6人のパーティで行いますが、いちばん体力のない人が列の2番目を歩くということも学びました。先頭を歩くサブリーダーが、すぐ後ろを歩く2番目の人の様子に目を配りやすいからです。最後尾を歩くのはリーダーです。みんなの足並みが揃っているか、このあたりで休んだほうがいいか、雨が降りそうだからルートを変えようかなど考えながら歩きます。山登りなんて一度もしたことがなかったひよっこの僕に先輩たちが、安全に登れるルートや怪我がないようにする注意点や仮に怪我をしたらどう対処すればいいかなど、山登りのノウハウを教えてくれました。そのときに教わったことは今でも役に立っているし、まちづくりのプロジェクトを行うときにも、それを頭に置いて考えたりもします。
ただ、僕は釣りオタクなので、僕が好きなように行程を組むと釣り三昧になってしまいます。だけど、「礼文島に行く」となると、「礼文岳は花の百名山ですよね」と後輩の女の子が参加してくれるなど、楽しい雰囲気になったりします。しかも、礼文島にはいい海と湖があるので僕は釣りにも出かけられ、一石二鳥です。そうやって、参加するみんなが楽しめる行程を考えることの大切さは山登りから学びました。先輩の、「晩ご飯にはチーズフォンデュが食べたいな、指出くん」という無理難題にも答えました。チーズフォンデュ用の鍋を背負って歩いて(笑)。
『ソトコト』の編集長となってからは、さまざまな地域で多種多様なまちのプロジェクトに携わらせてもらっています。最近、監修したのが、東京湾よりも宇宙のほうが近いと言われている33階建ての群馬県庁の31階に2023年6月にオープンしたソーシャルマルシェ&キッチン『GINGHAM』です。半年間足らずで約6万人が来場してくださり、とても喜んでいます。『オープン・エー』代表の馬場正尊さんたちがアドバイスしてくれた、廃材からつくった「ごっこ屋台」を使って自作の焼き菓子やアクセサリーを販売するマルシェ、広いスペースで料理をつくることができるシェアキッチンなど、利用者がやりたいことを一歩踏み出して実践できる場として楽しく活用されています。ワークショップを開いたり、何かを販売したりすることで、「私、できるかも」と自信を持ち、そこからまちのプロジェクトが生まれるといいなと思って監修しました。気軽に利用できる雰囲気に包まれ、気の合う仲間のコミュニティも生まれているようです。
群馬県つながりでもう一つ言うと、「拝啓ボウイ様」というプロジェクトが高崎市で開催されました。僕は携わっていないのですが、高崎市から生まれたロックバンド『BOØWY』をリスペクトするたくさんのコピーバンドが一日中ひたすら『BOØWY』の曲をまちなかの野外ステージで演奏するというイベントです。高崎市民の「BOØWY愛」が感じられる、まさにローカルプロジェクト。大人も子どもも「B・BLUE」を歌いながら、超盛り上がっていました。
自分が主催者になるプロジェクトだけでなく、ゲストとして呼ばれることも少なくありません。最近だと23年11月に、兵庫県神戸市の元町高架下で開かれた「モトコーミュージアム」(23年末まで開催)という、アーティストの岡本亮さんがディレクションしたプロジェクトで、「モトコーガード下酒場」というスナックのマスター役として参画しました。占いあり、屋台あり、マッサージありのカオティックな酒場で、賑やかで楽しい時間を過ごしました。何を目的に開催したのかと問われると、「レトロな情緒漂う横丁パーティー」。大勢の大人が集まって、楽しくワイワイと時間を過ごすなかで、知り合いになったり、ならなかったり。むやみにゴールを見据えず、声の大きなメッセージも発せず、とにかくやってみようというプロジェクトです。こういう、「ざらっ」とした感じのプロジェクトは最近、少しずつ目にするようになってきています。「爽やか」「ピカピカ」という感じのプロジェクトもいいですが、何が起こるかやってみないとわからないプロジェクトはスリルがあって、僕自身も楽しめました。
日本各地を巡る寅さんは、関係人口。
何かプロジェクトを立ち上げようというとき、自分でハードルを上げる必要はまったくありません。逆にハードルを下げるくらいのほうがスムーズに始められると思います。
僕の息子の話をしましょう。コロナ禍の初期、臨時休校などで小学5年生の息子は学校へ行くことがままならなくなり、公園で遊ぶことも許されないから、「することがない」と家で暇そうに過ごしていました。「そんなに暇なら散らかった部屋を掃除して、使わないものは外へ出して、みんなにあげたらいいじゃないか」と言ったら静かになって、自分の部屋を片付けはじめました。そして、使わないものをガレージに運び出すと、「無人マーケット」を始めたのです。本とか虫籠とかを並べて、「自由にお持ち帰りください」と書いておきながら、小さな字で「お金を入れてもらっても構いません」と書き足していました(笑)。息子は、「どんな人が持って帰るか見てみたい」と、ガレージで車の陰に隠れて覗いていました。誰かが近づき、ものを持ち帰ろうとすると顔を出し、「これもどうぞ」と別のものも勧めていました。ある人は、「こちらのお宅のお花が気になっていたのよ」と言って、妻が庭に植えている花をしばらく眺めておられました。息子が、「お母さんの花を褒めている人がいたよ」と話すと妻も喜んでいました。
3日間ほど経つと、息子のガレージセールはほぼ売り切れ、「2800円も売り上げた」とうれしそうにしていましたが、その3日目にある変化が起こりました。斜め前の家に小学校低学年と未就学児の姉妹が住んでいるのですが、その家の前に「自由にお持ち帰りください」と小さな靴がたくさん並んだのです。息子が始めたことが斜め前の女の子たちに届き、2つの小さなマーケットが開催される、近隣のちょっとした和みの場所になっていました。ハードルを下げ、今ここにあるものから始めたら、ご近所の何人かが反応してくれたという話です。
地域と関わろうとするときに、ハードルの高さをまったく感じさせないのが、映画『男はつらいよ』の寅さんです。寅さんは関係人口なんですよね。マドンナが関係案内人。関係人口の寅さんは啖呵売をなりわいにして日本各地を巡るなかで、課題に煮詰まっている関係案内人であるマドンナと出会い、彼女の課題を解決しようと寅さんは地域に入っていきます。よそ者ならではの歯に衣着せぬもの言いと向こう見ずな行動力によって地域の人たちとハレーションを起こしつつも、マドンナの課題や地域の困りごとを解消していきます。解消とまでいかなくても、寅さんの関与から互いが冷静に話し合える関係に戻ったりします。
寅さんにはバックキャスティングのような考えもありません。とにかく、やってみるのですが、相手との間合いを詰めすぎたり、暑苦しがられたりして最初は失敗するのですが、真っ直ぐな人柄がマドンナの心を動かし、地域の人の心も動かしていくのです。初めは寅さんに反発していた地域の人たちも実は人間味のある人たちで、寅さんの提案を受け入れるようになります。課題が解決したら、よそ者の寅さんはまたほかの地域へ旅立っていくという、『男はつらいよ』シリーズそのものが壮大なローカルプロジェクトと言ってもいいような気がします。
ただ、僕は映画『トラック野郎』のほうが好きでした。『トラック野郎』の主人公「一番星」こと星桃次郎や、「やもめのジョナサン」こと松下金造も関係人口です。ただ、子どもに見せてはいけないシーンが満載なので詳しくは語りませんが(笑)、子どもと一緒に見るなら寅さんがおすすめです。
もう一本、映画の話をしましょう。僕は年に2回ほど九州の水辺を歩くことを自分に課していて、その旅を淡水魚を釣る楽しみと重ね合わせています。その旅に出かけたときは、福岡県柳川市の天神大牟田線西鉄柳川駅前に泊まることが多いです。柳川は掘割のまちとして知られています。北原白秋の『水の構図』という水濠・柳川の写真集を大事にしていたり、明治から続く『鶴味噌醸造』の少し甘みのある麦味噌が好きで、買ってみそ汁にして飲んだりしています。『スタジオジブリ』の映画『柳川堀割物語』も、実写とアニメーションのハイブリッドで、『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』の風景や環境を自分たちの表現の中心に置くことになった大事な作品と言われています。
Google Earthで柳川市内を解像度を上げて見ると、ものすごい数の水路が張り巡らされているのがわかります。おそらく昔は道路よりも水路で移動していたのでしょう。ただ、高度経済成長期に生活排水の汚れや臭いが激しくなり、暗渠化しようという話が持ち上がりましたが、それに待ったをかけたのが柳川市の一人の職員でした。その職員は水路があるまちの美しさやよさを保っていこうと市民に訴え、意識の変換を図りました。そして、市民総出で掻い掘りを行い、きれいにしました。そんな、地道な活動を続けることによって柳川の水路が守られたことを、高畑勲さんや宮崎駿さんが感激して2時間半ほどの映画『柳川堀割物語』をつくり上げたのですが、これが『スタジオジブリ』の財政を圧迫したと言われています。『柳川堀割物語』の製作費を捻出するために、後に続くアニメーションの名作たちをつくったそうです。それだけ力を入れた映画ですから、素晴らしい作品になっています。
『スタジオジブリ』作品が全世代に愛される作品をつくるモチベーションを高め、原風景として強く影響を受けたのが柳川の掘割ですが、その掘割を守ったのが一職員のプロジェクトだったということが僕にとっては美しく、ますます柳川が好きになりました。
映画の次は、本の話です。小説家で詩人の池澤夏樹さんのお父さんの福永武彦さんの作品で、「未来都市」という短編小説があります。人生に絶望した人たちがある酒場に集まり、そのなかでも最も絶望している「僕」という主人公の画家がバーテンダーに選ばれます。「僕」は禁断の飲み物を飲みそうになるのですが、飲む直前に未来都市の人に助けられ、未来都市に連れて行かれます。未来都市では人を憎んだり、悪事を働いたりする人はいなくて、ある時間になると「僕」が聴いたことがあるようなないような音楽が流れます。それは合成音楽と呼ばれ、古今東西のありとあらゆる音楽のいいところだけを抽出したものでした。市民が描いている絵も合成絵画で、絵画史のなかでいいとされている絵を合成したもの。音楽や絵だけではなく、まちそのものが合成したまちだと知らされます。でも、誰もが幸せを目指しています。未来都市は最終的には悲しい結末を迎えるのですが、僕は合成というのが風刺的だと思いました。たとえば、あっちのプロジェクトのいいところと、こっちのプロジェクトのいいところを合わせれば最良のローカルプロジェクトになるかというと、そうでもないでしょう。合成音楽のように、たしかに聴いたときには耳慣れない音楽だと感じますが、よく聴くと、どこかで聴いたことのあるような音楽。本当に心を揺さぶるようなものは、合成からは生まれないということを福永さんは書こうとされたのかなと思いました。ローカルプロジェクトは粗削りであっても、いや、粗削りであるほうがむしろ人の気持ちを揺さぶるものになるのかもしれません。今号の特集にご登場いただいた皆さんも、まさに合成ではない、オリジナルで、ワクワクする活動をされている方々。楽しみにして読んでいただければと思います。
やってみたいのは、スギの釣り糸づくり。
関係人口のローカルプロジェクトのなかで、今、僕が注目しているのが、南北連携事業としての関係人口です。実践されているのは、北海道・利尻島の利尻町と、鹿児島県・沖永良部島の知名町。利尻島は弊誌でも取材しましたが、夏は昆布漁が盛んで、大勢のアルバイトの人たちが夜明け前から手伝うほど多忙な日々が続きます。一方、知名町は冬にサトウキビ畑の収穫作業が最盛期を迎えます。そこで、両町が夏の漁業と秋から冬にかけての農業に、季節労働的に従事する人材をシェアするという連携を始めました。僕は『地域総合整備財団(ふるさと財団)』のアドバイザーとして両町を訪ねましたが、これは新しい関係人口だと思いました。行政のプロジェクトとして、とてもおもしろい取り組みであり、今後、広がりを見せる可能性を強く感じました。
そして、そのときに、あるものを見つけました。リゾートバイトの20代の女の子たちの流れです。知名町のスナックで働いて、利尻町のスナックで働いて、というふうにローカルの島から島へ渡って仕事をしているのです。沖縄県の宮古島や石垣島、沖縄本島に行ったりもするそうです。僕も視察ということでスナックへ行き、めっちゃ楽しかったです(笑)。島のスナックは彼女たちにシェアハウスを用意して、安めの家賃で稼ぎをキープできるようサポートしているようです。知名町は合計特殊出生率が2.0以上の高さを保っていますが、それもスナックで働いていた女の子が地元の男性とご縁があり、結婚され、子育てをされているという背景があるからとも聞きました。リゾートバイトの若い女の子が関係人口的に動いていることにも、もっと注目したほうがいいと思いました。
今後、やってみたいプロジェクトが2つあります。
1つは、縁あって2023年から理事を務めさせていただいている兵庫県芦屋市のNPO『フライパン』の活動です。団体名は、「地域課題を料理する」ので『フライパン』。まちづくりや食、教育などさまざまな分野の課題解決に向けて、若いメンバーたちが取り組んでいるNPOで、僕も大変刺激になっています。活動のなかで、芦屋にある公園をおもしろくしようというものがあります。公園にフードトラックがやって来たり、野菜を販売したり、子どもたちのための遊具を運び込んだり。活気が少なかった公園に人が集まり、元気を取り戻したりしています。
僕も1つ提案しました。公園の池を釣り堀にすることです。子どもから大人まで、多様な世代の市民が公園で魚釣りを楽しめるようになります。都市のなかに自然を持ち込むことで、気軽に自然とふれ合うことができるようになればという思いから出たアイデアです。このアイデアをプロジェクトとして立ち上げられたらと考えているところです。
もう一つ、これも釣りに関するものなのですが、釣り糸をつくるプロジェクトです。アウトドア用品やレジャー用品、僕が好きな釣りの道具もそうですが、まだまだ石油由来のプラスチックなどの商品が多いので、もう少し自然のものを選ぶ機会を増やすことができればと発案しました。
今の釣り糸はテクノロジーの進化でとても細く、しかも強いので、大きな魚も力のある魚も、どんな魚も釣り上げられるようになってきています。釣り糸のほうが魚よりも偉くなってしまっているのです。釣り糸と魚の力関係を互角にして、地域の環境に負荷をかけない遊びとして続けていけたらと願い、釣り糸のことをもう一度考え直してみました。
注目したのは、長野県・根羽村がスギを使ってつくった糸です。根羽村は人口900人ほどの小さな山村で、森林が92パーセントを占めるスギ、ヒノキの産地の林業の村です。「ネバーギブアップ宣言」を掲げ、「NEVER FOREST―いまだかつてない森」という次世代に向けた森の活用の仕組みを森林組合が中心となってつくっています。その活動の一つで、スギから糸をつくり、その糸を使って、タオルや布をつくるプロジェクトが進められています。スギの糸の利用では、例えば東京学芸大学附属国際中等教育学校の生徒たちがスギの糸を使ってハンカチをつくりました。僕はそのハンカチをいただいて、大事に使っています。とても使い心地のいいハンカチです。そのような糸を使って、釣り糸ができればおもしろいですよね。根羽村の協力を仰ぎながら、クラウドファンディングで資金を集めるかもしれませんが、つくりたいなと強く思っています。
ただ、スギの釣り糸が世の中に登場しても、使わない釣り人も多いかもしれません。なぜなら、切れる糸だからです。化学繊維の丈夫な釣り糸ではなく、スギの釣り糸はある程度の力がかかると切れるようになっています。切れることをよしとしているからです。釣られた魚にも過度な負担はかかりません。釣り針も返しがないものにすれば、魚は自力で針を外せるのでダメージは最小限ですむはずです。とにかく、魚より強い釣具がどんどんつくられていくなかで、魚よりも弱い道具で釣りをするのも、長く釣りを楽しんできた僕の人生のなかのプロジェクトとしてやってみたいことの一つです。
矢口高雄さんの漫画の短編集『岩魚の帰る日』(山と溪谷社)に、伝説の6代目の和竿職人が大好きな子どもたちと一緒に釣りをする話「枯尾花」があります。子どもの一人に達観したような男の子がいて、「こんな化学素材を使った釣竿や仕掛けで、人間が強くなった釣りのどこがおもしろいんだ」と言い出して、彼はススキで釣り竿をつくるのです。ススキは細く、弱いので、ていねいに扱わないとすぐに折れてしまいます。ただ、折れても、その辺にいくらでも生えているのですぐに新しい竿をつくれます。その様子を見ていた和竿職人が開眼します。自分もススキで竿をつくり、その竿には7代目として男の子の名前を入れたのです。素敵な話ですよね。負けるという感覚も大事だということを教えてくれる漫画で、僕がスギの釣り糸を発想したのも、この漫画が根底にあったからかもしれません。
すべてに勝っていかないといけない社会そのものは本当にいいのかなと思います。ローカルプロジェクトもそう。「絶対に成功させるぞ!」「にぎわいをつくるぞ!」と、ほかと比べて勝つこと(成功すること)ばかりに注力するようなプロジェクトに発展性は感じられません。「やっぱりダメだったね」という繰り返しのなかから、自分らしいプロジェクトが生まれていくほうが、持続性が感じられます。捕れない魚は捕らなくていい。ススキのように風をいなしながら、力強く根を張るローカルプロジェクトのほうが、社会を変える力を持っていそうな気がします。
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