考えさせる“姿”がある。

考えさせる“姿”がある。

2022.02.08

渋谷の雑踏。カメラの前で話している最中、「その人」のセンサーが、スクランブル交差点を渡ろうとしている白い杖を手にした女性に反応する。朝起きて、家族に「おはよう」というのと変わらないトーンで女性に声をかけると、その人は自分の肩を貸し、彼女を駅へと案内する。一緒に電車に乗り、話し込んで乗り過ごしそうになって、慌てて席を立つ。別れ際、その人が手を振ると、目の見えない彼女も手を振り返す。
 
これは『テレビで会えない芸人』の冒頭のシーン。舞台稽古中でも、本人や周囲の人へのインタビューでもないけれど、この女性とのやりとりは、芸人・松元ヒロと社会に生きる者のひとりであるヒロさんが同一線上にいることを、そして彼の人間性を、それ以上でも以下でもなく伝えていると思う。
 
1990年代、社会風刺コント集団『ザ・ニュースペーパー』のメンバーとして、テレビでも人気を博した松元ヒロさん。だが、彼は90年代末にテレビを離れ、舞台へと、表現の場を移す。
 
かつてはテレビに出たくてやっていたけど、今はテレビに出なくても生きていけるのがうれしいと話すヒロさん。取材者の、「(撮った映像に)使っていいところ、悪いところはありますか」という問いに、「それを考えながらテレビに出たくないんですよ」と彼は答える。
 
以前ほどではないにしろ、今もテレビに出ない役者や芸人に、その人なりの筋の通し方を感じる人は多いと思う。さらにいえば、テレビに出ない=世間に与しない、ちょっと扱いにくい人という印象を持つ人もいるかもしれない。
 
カメラに映るヒロさんは、当たりの柔らかい人だ。けれど映像からは、その笑顔を武器に、社会に斬り込んでゆく姿が見えてくる。131冊目になるネタ帳に綴られてきたヒロさんの関心、その源にあるのは、力を持つ人間が当然のように発する、大きな声への違和感ではないだろうか。

©2021 鹿児島テレビ放送

名立たる人々に絶賛され、20年以上語り続けている『憲法くん』をはじめ、ヒロさんの芸は政治・時事ネタが多い。だからテレビ向きではない、という言葉がまことしやかに続く。だけど、ヒロさんのネタやその視点は、本当にテレビで放映できない内容なのか。それはつくり手の、過剰反応ではないのか。映画は観る人にそう問いかけ、考えることを促す。
 
そう、人間が人間らしく生き、成長するうえで大切なのは、自分の頭と身体で考えること。30年前から体験学習を実践している『きのくに子どもの村学園」を追いかけた『夢みる小学校』は、そのことを明快に伝えている。
 
遊具も鳥小屋も、渡り廊下の屋根もテラスも、すべて子どもたちが自からの手でつくったもの。宿題も、テストもなく、自分で選んだプロジェクトでのつくる行為を通じて、興味・関心が自在に広がってゆく子どもたちの姿に、やらされている感はまったくない。
「自由にしていいよ。責任は大人が取るから」。子どもたちに対する学園のこのスタンスは、今後の公教育の鍵となるのだろう。

©まほろばスタジオ

『テレビで会えない芸人』

ポレポレ東中野、鹿児島ミッテ10ほかにてロードショー、全国順次公開中。

『夢みる小学校』

アップリンク渋谷ほかにてロードショー、全国順次公開中。

text by Kyoko Tsukada

記事は雑誌ソトコト2022年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。