2020年4月、長野県・軽井沢町に「人が集まる場所」が生まれます。診療所とデイサービス、病児保育を中心にした在宅医療拠点『ほっちのロッヂ』は、だれが来てもいいし、どんな過ごし方をしてもいい場所。「好きなこと」「興味のあること」でつながることで、「高齢者」「障害」「介護」「子ども」などの枠を取り払い、互いが混ざり合って新たな文化を発信する場所になります。
障害も病気も、その人のひとつの要素。「ケアする、される」だけではない関係を。
長野県・軽井沢町で2020年4月に開業を予定する『ほっちのロッヂ』。診療所のほか、デイサービス、訪問看護ステーション、医療ケアが必要な子どもの保育室があり、町の人がふらりと立ち寄ることもできる、いろいろな年代の人、立場の人が時間を過ごせる場所だ。
運営とプロデュースを担うのは、20代の頃から介護ベンチャー事業の立ち上げなどに携わり、人が集まる場所づくりを模索してきた藤岡聡子さんと、福井県内で地域医療や在宅医療を行っている医師の紅谷浩之さん。
実は『ほっちのロッヂ』の近接地に、幼稚園から小学・中学校まで一貫の『軽井沢風越学園』(設立設置認可申請中)が、同じく20年4月に開校予定となっている。
そもそも、藤岡さんと紅谷さんは知り合いではなかったが、どちらも『風越学園』の設立理念に惹かれ、同学園の理事長を訪ねたことがきっかけとなってつながり、意気投合し、『ほっちのロッヂ』の計画が持ち上がった。
ゆくゆくの構想としては、『風越学園』の児童や生徒たちにもいつでも自由に『ほっちのロッヂ』に出入りしてもらい、大人や高齢者と交流してもらいたいと考えている。
『ほっちのロッヂ』って?
2020年4月オープン予定の在宅医療拠点。症状や状態、年齢で対応を決めつけず、その人のやりたいこと、没頭できることを働き手や行き交う人とのつながりの中で実現していく。「働き手も、町の人も、ほっちのロッヂに行き交う人も、みんなが幸せになれる場所づくり」を目指す。建築家の安宅研太郎さんと池田聖太さんに設計を依頼、ランドスケープ・デザイナーの田瀬理夫さんに全体ランドスケープを担当してもらっている。下の写真はすべて©泉山朗土
それぞれがつくってきた、人が集まる場所。
二人はどのように意気投合したのだろうか。
藤岡さんは小学6年生のときに父親の死に遭い、その後“グレ”て、夜間定時制高校で学び、バイト先で年代や立場がまったく違う人と出会ったことなどをきっかけに、「人の育ち」や「生きて老いる本質」などを考えるようになった。24歳のときには友人とともに住宅型有料老人ホームを立ち上げた。その老人ホームには、子どもたちに老いや死を間近で感じてその意味を考えてほしい、という思いから誰でも来られるカフェをつくり、その2階には学童保育的な場所をつくることを構想した。
「父は2年間の闘病生活を経て亡くなったのですが、私はその間、父ときちんと向き合えなかった後悔があるのです。もっと話をして、父のことを知ることができていたらという思いがあります」
その後、結婚、出産があり、そのホームの運営からは退いた。そしてまた、東京都豊島区の駅前商店街で場所を借り、『長崎二丁目家庭科室』を開いた。「地域に住む人が得意なことを教え合える」場所にしたいと、名称を「家庭科室」にした。
藤岡さんの狙いは、家庭科という切り口に惹かれ、高齢者から子どもまで、また、障害がある人、ない人、要介護者、誰でもやって来たくなる場所にすることだった。まちの人が表現者として暮らしの文化を発信し、それがまちの文化にもなっていく手応えを感じた。
こうした経験を通し、藤岡さんは確信を抱いた。このような年齢、性別、健康状態に関係なく、人が集い、自由に何かを発信できたり、没頭できる場所をつくることは、いずれは老い、また病にも見舞われるかもしれない、ほかならぬ未来の自分のためにも必要だ、と。
一方、紅谷さんは子どものころに診てもらった医師に憧れて、同じ道を志した。紅谷さんが生まれ育った福井県の小さな町では、医師は、専門分野はあっても、求められれば外科的なことでも内科的なことでも診なければいけないし、クリスマスの夜には診ている子どものために「サンタクロース」にもなってくれた。そんなふうに「医師」という肩書を超えて、人と密接に関わる存在になりたかった。
数年間、僻地医療を経験した後、福井市内で複数医師の勤務による24時間365日対応の在宅医療専門クリニック『オレンジホームケアクリニック』を開業。そして、医療ケアが必要な多くの子どもたちと出会った。
2012年から、そんな医療ケア児の日中活動拠点『オレンジキッズケアラボ』を開設し、紅谷さんは医療ケア児の暮らしについて考えを深めるようになっていった。
「重症心身障害児のなかで、医療ケアが必要な子どもは『最も弱く、絶対的に守られるべき存在』で、外出なんてとんでもないと考えられています。でも、ずっと病棟にいて、外の世界を知らない子どもたちはそれで幸せなのでしょうか。本人たちは外の世界を知らず、『病棟で守られている』ことが幸せかどうか、その判断すらできないのだと気づき、悩みました」
そこで考えたのが、夏の軽井沢に子どもたちと行き、滞在し、できる範囲で野外体験をすること。こうして2015年、『軽井沢キッズケアラボ』が始まり、毎年夏に実施している。
そんななか、藤岡さんと出会った紅谷さんは、子どもたちが滞在できて多くの人と交わり、病棟ではできない経験ができる『ほっちのロッヂ』計画を二人三脚で進めることになった。
紅谷さんがつくった場所・『みんなの保健室』
藤岡さんがつくった場所・『長崎二丁目家庭科室』
紅谷さんがつくった場所・『軽井沢キッズケアラボ』
藤岡さん、紅谷さんに協力してくれる人たち
場所の象徴となるものや、人に訴えかけるものをフックに、自然とやって来たくなる場所をつくる。
福祉の古い価値観を、アップデートさせたい。
藤岡さんが最初に思い描いた『ほっちのロッヂ』のイメージ図は、「果樹園」だった。
「緑豊かな軽井沢で、みんなで収穫を楽しめたり、木陰で休める場所として『果樹園』が思い浮かびました。その土地の象徴的なものが媒介になり、人が集まる場所ができると思います」
そして今、『ほっちのロッヂ』を紹介する際は、「診療所と大きな台所があるところ」というフレーズを添えている。
「『大きな台所』というのは、食をはじめとする『人に強く訴えかけるもの』の表現、フックとしてつけました。おいしそうな匂いがするところには行ってみたくなりますよね。自然に興味が湧いて行ってみたくなる。最初から人が混ざり合う場所をつくるのではなく、結果としていろんな人が集まり、境界が曖昧になる。普段はケアされる側の人も、ケアする側の人も、垣根をなくして、『やりたいこと』に応じて互いに支え合うような環境ができれば」と藤岡さんは言う。
紅谷さんは「『病気や障害のある人、高齢者は“不幸”だから、そうではない人が助ける』という古い価値観をアップデートさせたいです。社会では、これからもっと高齢者が増えていきます。病気も障害も加齢も、ただの要素であり個性のひとつ。個性を持ったそれぞれがなにをやりたいのか、それぞれがベクトルとなって動くとき、周囲とどう関係を築けるのか。力のないおじいちゃんの荷物を持ってあげる一方で、おじいちゃんからはそばの打ち方を教えてもらい、結果的にみんなでおいしい食事をいただく……というイメージです」と話す。
そんな関係性づくりから『ほっちのロッヂ』ならではの文化を生み出せる、「ケアの文化拠点」を目指している。