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サスティナビリティ

特集 | かっこいい農業 これからの日本らしい農業のあり方 !

ほぼ誰かが捨てたものから始まる、『のはら農研塾』の循環。

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熊本市内で「循環型オーガニック農業」に取り組む『のはら農研塾』は、2021年で12年目を迎えました。代表・野原健史さんに活動のきっかけや思い描く未来などについて聞きました。

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田んぼで説明する野原さん。土壌のpH(ペーハー)値によっては適切な有機物を直接入れるなどしているという。
取材時は、ちょうどサツマイモの収穫時期。畑の作業を見せていただいて驚いた。畝の脇には雑草が茂りつつも、サツマイモが大きいのだ。「草ぼうぼうでしょ(笑)。でも、栄養を吸い取られることはない。雑草を刈るのは最低限。イモ蔓よりも低い高さにすることで湿度が保たれるので、日照りでも痛くもかゆくもない!」と野原さん。土中に暮らす益虫や微生物にとってもいいのだろう。さらに、畝に張られていたマルチは、プラスチックゴミをリサイクルしてつくられたもの。収穫後の田んぼも見学したが、稲の株が非常に太いのが特徴的だった。聞けば、育苗期間を通常よりも長くするなどし、強い苗をつくることで虫や病気にも負けないのだとか。
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地域の小学生にオーガニック農業を教えているという田んぼ。湧水を利用し、動植物の栄養を適度に入れた水を使っている。
目次

きっかけは仲間の病気。「普通の土に戻す」農業を目指す。

野原さんの実家は、産業廃棄物処理の会社だ。野原さん自身、かつては家業を牽引する一人であった。しかし、後輩の奥さんがガンを患ったことで、食べものへと関心が向いたという。野原さんは決意する。「無農薬のコメを食わせてやりたい」。会社には25年ほど前から農業部門があったが、そこでは調達できなかった。野原さんは『のはら農研塾』として分社化し、農薬を使わない農業を始めた。それは10年ほど前のこと。

農業について調べていくと、これまでの一般的な農業への疑問が湧いた。「産業としてやろうとすると、肥料をたくさん入れないといけない。すると地中に窒素が増えて、空気中にそれが増えていく。一方、雑草は一生懸命それを吸って栄養に変え、大気を浄化してくれようとする。農薬を入れ除草したり、化学肥料の与えすぎによって、土はどんどん死んでいく。そのいたちごっこ。俺らはただ普通の土に戻しているだけ」。

ただ、オーガニック農業を実践するのではなく、「循環」にこだわった。家業も見てきた中で野原さんが感じていたのは、目の前にあるそれを「ゴミとは思っていない」ということ。幼いころから、処分場で使われなくなったモノをおもちゃに変えたりすることはお手のもの。資材や機材をリサイクルにかける発想は、野原さんにとっては当たり前。焼酎や醤油蔵から出る米や大豆の搾りかす、椎茸栽培に使われた原木や菌床など、普通なら捨てられてしまうものも堆肥づくりに活用したり。「要は使い方次第。誰かが必要とするものってある。おれらの農業が、その指標になればって思ってる」。

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米ぬかなど、普通なら捨てられてしまうような有機物を利活用した堆肥。ほんのりと温かく感じられた。

理解者を増やし、人も育てる。そこから変えていく

とはいえ、既存の価値観を変えることは並大抵のことではない。「たとえばサツマイモでも、うちは大中小交ざっていたり、形がきれいでなくて、多少虫食いがあったりする。オーガニックだったり、循環だったり、手間はかかるからその分は単価に乗ってしまうのだけど、理解してくれる人が買ってくれれば」。

同志を増やすため、人材育成にも力を入れる。『のはら農研塾』の名前に「塾」がつく理由だ。これまで多くの若者が巣立ち、ある者は農家になったり、またある者は起業したり。「細かく指示は出さない。『イモ掘って』って言うくらい。で、順番は彼たちに考えさせる。地元の引退したじいちゃんを雇用して、若者と一緒に働いてもらってもいる。地域の伝承、知恵をつなげていくのも大事だから」。野原さんは、農業を通じてなにか大切なことを伝えようとしているのだろう。「あんまり仕事ばっかすんなって言っている(笑)。どっかにゴールがある。目的を見つけるにはいろんなことを経験しろって。ライブ、スケボー、バイク、DJ……。いろいろ見せる。遊びの引き出しだけは多いんで(笑)」。

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機材などを直したり、場合によってはカスタマイズしたりする工具類。なんでも自分たちでやる。

農業を軸にした、地域の循環をつくる。

野原さんはみんなから親しみを込めて「アニキ」と呼ばれている。芯はとことん熱い。農業というジャンルを超えて、さまざまな人が野原さんのもとへ集う。熊本県では2016年には熊本地震が、20年7月の豪雨では球磨川が氾濫し甚大な被害を受けた。災害時、野原さんは率先してボランティア基地の運営をはじめ、被災地の復旧などに取り組んだ。その際、交流のあったミュージシャンらが野原さんとともに多数加勢していた。彼らはSNSにも公開せず、ひたすら泥のかき出しなど、本気の支援をしていたそうだ。類は友を呼ぶ。みんな熱い。今このつながりから、災害ゴミを活用した新たなプロジェクトも始動しつつあるという。これも循環の一つのカタチ。

野原さんには夢がある。いや、近い将来に実現する目標。「ペットボトルや空き缶を持ってきてくれたら、それをポイントに替え、貯まったらモノと交換できるシステム。コメも、自分たちが育てたものもあげられるし、仕組みがうまくいったら他所からも集まりコメの生産も増える。集まったゴミはリサイクルしたり、エネルギーに変えたりね」。

野原さんが目指すのは地域の中での循環であり、希望の持てる未来。とらわれない発想と実行力。そして信念を胸に突っ走る。

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左から、野原さん、野原さんの奥様・ユミさん、野原さんの長女・カレンさん。「活動の原点は、嫁さんを幸せにしたいから、子どもが好きだから、ただそれだけ(笑)!。居心地のいい場所をこれからもつくっていきたい」と野原さん。
photographs & text by Yuki Inui
記事は雑誌ソトコト2022年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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