山間部で暮らしていると、収穫した野菜や果物を貰うことが多くあります。モノを頂いたらお返しするのが「贈与関係」の基本ですが、古い由来を持つ、とある集落を研究していた知人は、その地域の住民からモノを貰うのが怖く、何をお返しすればよいのかで、いつも頭を悩ませると述べていました。このとき適切な価値のあるモノをお返ししなければ、人間関係が難しいものになってしまいかねないからです。日本各地を回ってみた実感としては、古いしきたりや文化が残る地域ほど、その傾向が強いのではないかと思っています。
神に対する贈与
「古代・中世の税のなかには『神にたいする贈与』であったものが税に転化したものが少なくない」と桜井は述べていますが、この有徳者に課される贈与が、室町時代には金融業者に向けられ、それが税のようになる様子を見ていると、贈与というものが、ただの贈り物、プレゼントという素朴なものではなく、「人間社会の業」のようなものを背負った、複雑な文化であったのだと印象が変わります。
『贈与の歴史学』では中世の人が贈与に関してどのような思いを抱いていたのか、日記など数多くの事例を紹介しています。中世の人々は損得で釣り合いがとれていない状態を「不足」、とれている状態を「相当」として、かなり敏感に他者とのやりとりを行っています。中世の貴族たちがモノのやりとりをする中で怒り、喜び、苦悩する様子を見るのはかなりおもしろくありましたが、興味がある人は実際に本を読んでもらうとして、自分が注目した点は、贈与のやりとりのなかで「名物」が生まれていったという箇所でした。
もともとは将軍家などに大切に仕舞い込んであった美術品を、室町幕府が財政的に厳しくなるにつれ、「売物」として切り崩しはじめるのですが、茶器などの品が名物になるには、外見だけでなく、その由緒が大切でした。つまり誰がその品を所持したかによって、その品の価値が変わるということです。名物の原義は「銘を持つ物」とのことですが、権威ある人物がそのモノを所持すれば信用が生まれ、価値が上昇するとも考えられそうです。自分自身、ものづくりや芸術に関わる人間として考えさせられてしまいます。
芸術の価値?
超絶技法を持つ素人が描いた美しい絵よりも、有名画家が描いた落書きのほうが価値が高くなるのは何となくわかるような気もしますが、メーヘレンのように幼い頃から画家を志し、切磋琢磨してきた者からすれば、評論家に認められるか否かで、絵の価値が決まるのは納得いかないのも理解できます。
芸術(モノ)の価値とはいったい何なのか。その答えは簡単に出せるものではありません。現在は、西洋芸術の価値観だけでなく、そのほかの地域の価値観にも目を向けようという動きがあります。そのひとつとして、「ヴェネツィア・ビエンナーレ」と並んで世界で最も重要な芸術祭とされるドイツのカッセルで開催される「ドクメンタ」のキュレーターに、史上初めてアジアからインドネシアのルアンルパが選ばれました。実は僕も、この芸術祭に参加することになっており、次回から「ドクメンタ」で起こっていることについてレポートしたいと思っています。ここでは、芸術とは何なのか? 地域で生きることには、どんな意味があるのか? さまざまな問いと、それに対する切実な試みが行われているのです。
さかもと・だいざぶろう●山を拠点に執筆や創作を行う。「山形ビエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」「リボーンアートフェス」等に参加する。山形県の西川町でショップ『十三時』を運営。著書に『山伏と僕』、『山の神々』等がある。
記事は雑誌ソトコト2022年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。