「一生かかっても極めることはできない」と言われる難易度の高い特殊な釣りがある。「フライフィッシング」だ。これを極めるために、日本でのキャリアや収入、安定を捨てて、ニュージーランドに移住してきたことは何度も書いてきた。
フライフィッシングとは、欧米式の毛バリを使う釣りで、その歴史は古く、文献での初出は1800年以上前だという説があるほど。一般的には、発祥は約500年前の英国と言われている。イギリス貴族が始めたということもあり、「紳士のスポーツ」や「もっとも格式高い釣り」と呼ばれることがある。
当時は、小さな虫を模したフライ(毛バリ)を使って、川で鱒を釣るだけだったが、この釣りがアメリカに渡ると、広大な自然に生息する多様な魚種を相手に大発展を遂げた。釣り場も川だけでなく、湖や海へと広がり、その過程でフライフィッシングは市民の釣りとなって、一気にポピュラー化。そうやってフライ、竿、リールの種類もどんどん増えていき、いよいよ商業化されることとなる。
日本に渡来したのは、商業化されるずっと前、今から120年近く前のこと。ブルックトラウト(カワマス)が放された栃木県日光市の山奥にある湯川と湯ノ湖で、幕末に暗躍した武器商人としても有名なスコットランド人のグラバー卿がフライフィッシングに興じたことが日本初とされている。だが実際に、日本で普及したのは、米国でこの釣りが商業化真っただ中の1980年代に入ってからである。
ちなみに、我が国ニッポンは世界一の釣り大国。その歴史も半端なく長く、遺跡から釣り針が最初に見つかったのが縄文時代初期だから、1万5000年近く前ということになる。欧米では、釣りの起源は1万2000年前の北欧とされるので、これより古いのは一目瞭然。ただ、これらの事実確認は、時間をかけて各種文献を研究する必要があるだろう。
日本では長い歴史の中で、淡水、海水、汽水域と、すべての水域、あらゆる状況における釣法が確立され、日本の仕掛けで釣れない魚はいないと言われるほど。生き餌、死に餌、練り餌、疑似餌、毛バリ、引っ掛け、友釣り……と、釣法は驚くほど多種多様で、挙げ始めたらキリがない。それは、今回の原稿の文字数いっぱいを使っても足りないほどである。
周りを囲む豊かな海には、驚異的なほど多くの魚種が棲む。内陸部に目を向けると、山と森からは大量の淡水が湧き、湖、池、沼、川といった水域が全土に広がる。そういった恵まれた「水環境」こそが、日本の釣り文化を育んだ。ダイワ精工(現・グローブライド)やシマノといった日本のフィッシングメーカーは、衰退する他産業の日本企業を尻目に、未だに世界を席捲している。釣りが生活に根付くニュージーランドでは、日本メーカーは最高峰とされ、日本人ということだけで釣り人たちから尊敬されるほどである。
そんな釣り大国、日本の匠の精神と高い技術のおかげか、フライフィッシングは独自の進化を見せることに。ぼくはその進化が始まったばかりの、1990年初頭、大学生でこの釣りの虜となった。幼稚園に入る前から釣りをやり続けていたので、すでに前述の日本伝統の多様な釣りの大半を経験していた。高校生では、欧米で誕生したルアーフィッシングにハマり、その流れでフライフィッシングの世界に入ったのである。
衝撃だった。過去にやったどんな釣りよりもおもしろく、またとんでもなく奥深くて難しいことを知り、途方に暮れたことを覚えている。そして同時に、この釣りの対象魚の起源である「鱒族」に人生を狂わされることになるのである。
(次号へ続く)