斜面地で放置されていた空き地を、地域住民の手によって花いっぱいのコミュニティ広場に再生させたプロジェクト。ゆっくり、コツコツと変わっていく広場には、環境美化だけじゃない色々な成果が実っていた。
地域で放置される空き地、誰が引き受ける?
「まちづくり」という言葉を一つ取っても、行政の施策的な取り組みから市民による自発的な行動まで、今日では幅広い解釈が存在する。それを一括りにすることは難しく、お互いに一長一短があるものだ。
地域の課題解決には革新的でスピード感のある変化を期待されることが多いが、一方で漸進的にゆっくりと塗り替えられていくような変革も無視できない。小さな日々の営みこそ、まちの大きな変化へと昇華していく種になるのだ。
日本有数の坂の町・長崎県長崎市。斜面地が広がる東琴平2丁目は港を見下ろす素晴らしい眺望があり、この地区の住人にとっては生活の中に溶け込む一部。しかし、斜面地には光もあれば影もある。
斜面地での生活は不便だというイメージが強く、次第に人々の生活エリアは坂の下の平地へと降りていった。その結果、地域から若者が少なくなり、住人の高齢化や空き家・空き地が問題に。そのような社会課題に頭を抱える自治体は多く、この東琴平2丁目も例外ではなかった。しかし、この地域で描かれたのは、地域住民の営みの中で荒れ果てた空き地が再生され、他の住民を巻き込みながらコミュニティ広場へと生まれ変わる、温かい物語であった。
プロジェクトの経緯を教えてくれたのは、東琴平2丁目の自治会長・この地域を含む7地域「浪の平地区」の連合自治会長を兼任する鮫島さん。
事の始まりは、毎年夏に行われる地域の市民大清掃。とある空き地の地主から依頼を受け、一年に一回の地域清掃行事の際に、その空き地の草刈りまでついでにやることが慣例となっていた。
しかし、清掃に参加する人も高齢者がほとんどとなっていたことから、これ以上は手に負えないと地主の元へと返上したのだった。ところが、地主もその地域に住んでおらず、日常的に世話をする人もいなかったため、結局1年間空き地は管理されることなく放置されてしまうことに。結果、空き地には草が生い茂り、景観や治安、環境の悪化へと繋がった。
住宅街の中に、突如として現れる茂み。その空き地の前を安心して通ることができない…という声も上がり、やはり地域の手で何とかしないといけないということになった。
1年間放置された空き地問題は再び地域の元に戻ってきて、2年越しに地域清掃の際に草刈りを実施。その後、住民間で「これからあの場所をどうしようか?」と協議をする流れに。
話し合いの末に出した答えは、
「地域にあるものだから自分たちの好きに使わせてもらうのが一番良い。」
そうして、地主からも許可をもらい、住民による空き地活用プロジェクトがスタートしたのだった。
空き地からコミュニティ広場へ、ゆるやかに変わっていく
まずは、あの場所をどうしていきたいか、方向性を決めるための話し合いが必要だった。鮫島会長は、常会(自治会の班長や役員の集まり)での協議では人数も少なく限界があるので、もっと参加者の枠を広げることを検討。
それと同時に、まずは空き地の状態を改善することが急務であるので、草刈りと土を掘り返して根をあげる作業から手をつけていった。
夏の市民大清掃を終えてから秋・冬にかけて、地域内での役職に関係なく自由な意見交換ができる場を幾度か開いた。垣根を越えて知恵を出し合う中で、空き地に花を咲かせる「空き地花いっぱいプロジェクト」や「整備した空き地でラジオ体操」などの意見が。
話し合いが進んでいく中で、次第に自治会の役員でなくともまちの環境美化に意欲的な者も現れるようになる。
それを受け、鮫島会長は2017年4月から自治会の役員の中に「交流部長」を新設。自身は取りまとめ役となり、地域住民に空き地の再生プロジェクトをリードしていく役目を任せた。「若者も住んでみたくなる、安心・安全で快適なまち」を目指して。
それから、意見交換の場は「2丁目喋り場」(以下、喋り場)という名称で月に一回の開催。
空き地整備は毎週水曜日の朝8:00〜9:00の一時間だけを作業日と定め、コツコツと進めていった。
約半年間かけて空き地は整備され、花が植えられてゆき、広場としての装いを見せ始めるのだった。
それに伴い、喋り場では広場完成に向けてアイデアが持ち寄られる。
完成披露パーティの開催と、この広場とメインストリートの名称を住民による公募で決定しようという流れになった。
2017年11月。
爽やかな秋晴れの日に、住民による手作りで生まれ変わった広場の完成披露パーティが開催。
たまたま通りがかった人も一緒になって楽しむような、老若男女が交わる賑やか空間に。
また、広場とメインストリートの
名称を決めるべく、住民を巻き込んだ選考が行われた。事前の名称アイデア募集と当日の投票の結果、広場の名称を「花ひろば」に、メインストリートの名称を「琴平小径」に決定。
荒れ果てて放置されていた空き地が、地域住民の愛着が集う“居場所”に変わる瞬間だった。
今では、毎年春と秋に開かれるコミュニティ・パーティも定着し、地域住民の楽しみになっている。
暮らしの中で、無理のない範囲で
鮫島会長は、「1年間やってみてどうだった?」と皆に尋ねた。
「月一の喋り場や、週に一回の広場での作業の中で、自然な形での会話が生まれていた」
「たくさんの人と交流できたのは、まちのメインストリートである琴平小径に面しているおかげだったな」
「子どもや若い人も参加してくれるようになるとは!」
などなど、プロジェクトの参加者はまちの変化を肌で実感。
家に引きこもりだった人が花ひろばのパーティに誘われて以来、積極的に皆の前に顔を出すようになり、今では自治会の班長や役員までも引き受けるようになっているケースもある。
自治会の加入率の低さが叫ばれる昨今であるが、まちと関わる余白があるかどうかも、一つの分かれ目かもしれない。
また鮫島会長は、地域の催しや自治会への加入は、必ずしも同じ地区内の人である必要はないと言う。
「中には、文句を言う人もいるけど、厳密に線引きしたり、よそ者は受け付けなかったりなどはしないよ」
夏休み期間中には、喋り場でアイデアが生まれたラジオ体操も実現。
元々、少し離れたところまで通っていた子どもが、家の近所からラジオ体操に参加できるようになったとのこと。
斜面地の入り組んだ地区の線引きに従えば、坂の上に暮らす隣近所でも自治会の地区が異なることもしばしば。
だが、たとえ地区が違ったとしても、隣近所で声を掛け合ったり、毎日通う道の途中にあるコミュニティに顔を出したりする方が自然である。子どもにとっては尚の事そのような垣根は関係ない。地域の区切りよりも、実体的な生活圏域に沿ったまとまりでコミュニティを形成する方が自然なのである。
ゆっくりと歩む漸進的なまちづくりには「時間的な無理のなさ」と「周囲を巻き込む余白」があったが、所属するコミュニティは住所ではなく「暮らしに寄り添っているか」で決まることもあるのだと教えてくれた。