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サスティナビリティ

連載 | こといづ

ふわふわしたかたまり

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 いよいよ何か月も取り掛かっていた映画『未来のミライ』の音楽が完成に向かっている。これから東京のスタジオでオーケストラの演奏者たちが音を奏でてくれるのだけれど、演奏が始まるとあっという間にすべてが変わるのだろうなと想像している。どれだけ悩みに悩んで、検討に検討を重ねた音符の数々も、実際に演奏されるとあっという間に「その人のもの」になって、あっという間に「あたらしい命」になって飛び立ってゆく。いつも不思議だと思う。

 はじまりは、僕ひとりの頭の中でしか鳴っていなかった音が、楽譜になって、演奏され、録音され、関わる人の数だけいろんな人生が絡み合って、とてもじゃないけれど、こういう音楽になるなんて思いもしなかったと、完成した音楽にいつもびっくりする。

 今回はずいぶんと早い時期から参加させてもらっていて、この1年半、頭の片隅でこの映画のことをずっと考えていた。新しく挑戦したいこと、できるようになっておきたいこと、勉強したり、手をつけたものがたくさんあって、新しい曲もたくさん作ったけれど、いざ映画が完成に近づいてみると、とてもシンプルな響きに落ち着いた。ひとつの映画に使える曲も限られているので、残念ながら使われない曲も出てきて、でも何か、そういうお蔵入りになった曲こそ、この映画に対する自分の一番素直な気持ちで作った曲だったりするので、ふわっと自分の心だけが宙に浮いて残されたようで、それが不思議でおもしろい。

 「仕事、順調かいな」。すぐ隣といっても、軽く谷を下って上った所に住んでいる同年代のミッちゃんが家の音楽室を覗きに来た。「う〜ん、そうやね、ひととおり終わったかな。どうしたん」と、休憩がてら土間でお茶を飲む。「そうかあ。映画の音楽っていうのも大変な仕事やな。僕は映画を観るよりも小説を読むのが好きや。自分の想像で、景色が見えたり、登場人物の声も聞こえるやろ。その声がな、映画になった時に思ってたんと違うってなるのは辛いねん。自分で想像してるのが好きや」。そうやなあ、それは僕もそう思うわ。「音楽も鳴っていたりするかい」と聞いたら「いや、浮かばへんなあ。言われてみたら鳴ってる気もするけどなあ」。

 小説を読んでいて、音楽が聞こえてくることは、僕にはない。演奏の描写でもあれば何となく浮かぶだろうけれど、映画のように音楽が勝手に流れてくることは、まずない。でも、何かふわっと、音楽でもない、色の塊みたいな、響きの塊のような音に満たされることはあったかもしれない。

 ハマちゃんが白内障の手術を受けて街から戻ってきた。「あんたな、何でもハッキリ見えよるで。何にびっくりしたってな、鏡や。こんなシワだらけの顔で、よう平気な顔して、老人会やらにな、ニコニコして行っとったんかと思うてな。恥ずかしい」と、優しい皺がますます増えてきた顔でハマちゃんが笑う。「ほんでな、家のそっこら中、さんこ※なこと。ようあんな汚いとこに平気で住んどったわ。タイルとタイルの間にな、黒いもんが、あんなん見えとらんかったで。見えとらへんかったから、ないのと一緒やったのに、見えてしもたら、どうにかせなならん。そういうこと」。

 どの人も、何となく何かが見えてしまったから、それをどうにかせなならんのだろうな。その人が見えてしまった、何となくふわっとしたものを、どうにかせなならんのだろうな。それが、たまたま、自分だけにしか見えていなかったら、なおさら、どうにかせなならんのだろうな。ううむ、生きるって、仕事って不思議だ。

※兵庫県の方言で、「散らかす、散らかっている」の意。

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