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連載 | 体験にはいったい何があるというんですか?

観光資源を全国へ届ける?!温泉都市別府を支える陰の立役者の想いとは【後藤寛和・中屋祐輔対談】

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物や情報が簡単に手に入りやすくなった今、便利になっているはずなのに心が満たされず、どこか物足りなさを感じている人が多いように感じます。モノ消費からコト消費へと変わって行く中で、どんな体験をするかによって人生の豊かさや経験値が大きく変わっていくのではないでしょうか。今回は大分県別府市で地元に根付いた活動をしている、一般社団法人別府市B-bizLINK 観光マーケティングチーム コーディネーター 後藤 寛和(ひろかず)さんとの対談記事をお届けします。

目次

留学生との出会いが自分の価値観を変え視野を広げてくれた

温泉都市別府の風景
温泉都市別府の風景

中屋 後藤さんは別府市役所の職員としてさまざまな取り組みをされてきたと思いますが、どのような活動を行っているかお伺いしたいです。

後藤 別府市役所の職員でありながら、2017年から一般社団法人別府市産業連携・協働プラットフォームB-bizLINK(※2017年、別府市の出資により設立された「別府の稼ぐ力向上」を目的とする組織)に出向しています。活動としては、観光マーケティングチームのコーディネーターとして、国内海外問わず観光コンテンツの企画開発を主に行っています。

中屋 別府は毎年新しいプロジェクトを始めていて、僕も刺激をもらっています。後藤さんは出身も別府なんですか?

後藤 別府で生まれて、隣町の日出町(ひじまち)で育ちました。大学は2000年に開校した、立命館アジア太平洋大学(APU)に一期生として入学したんです。留学生と日本人学生の数が半数ずつという、国際色豊かな大学だったので、片田舎で育ち海外とも関わったことがなかった私はカルチャーショックを受けましたね。

中屋 新しい大学ができてたくさんの留学生が街に住むと、急に環境が変わって街の雰囲気も一変してしまうのではないかと感じました。海外の方が増えることはとても大きなインパクトがあったと思うんですけど、街の変化はありましたか?

後藤 飲食店やスーパー、コンビニなど、自分たちの生活圏である空間にバイトをする留学生が多くなることで、別府市の住民も次第に環境に慣れ親しんでいったと思います。

中屋 海外の方と接することで新しい情報を入手することもあれば、さまざまな考え方に触れる機会も多いと思いますが、後藤さんの価値観も変わっていきましたか?

後藤 生活習慣、食事、信仰の違いを知ることによって、自分の常識や価値観も変わっていきました。大学では初日から中国人の先生が英語で授業を始める状況だったので、すごいところに来てしまったなと(笑)。授業中も学生主体で進んでいくことが多かったですし、多様な価値観に触れる環境で過ごせたことは非常に良い経験になったと思います。

中屋 環境がガラッと変わるのは、自分の街にいながら遠出しているような感覚にもなりますよね。自分の視野を広げるために留学を経験する方が多いと思いますが、後藤さんの場合は自分が育った街に留学生が来たことで、ある意味留学に行ったような感覚を味わえたのかもしれませんね。

後藤 大学設立から20年が経ちましたが、「卒業生が家族を連れて別府を訪れてくれることが近年すごく増えてきている」と、大学側が仰っていました。それだけでなく、ご本人の経験、見たもの、聞いたもの、食べたものを口コミで広げてたくさんの方に話してくれているんですよね。

実際に別府に来られているお客様に「どうやって別府のことを知ったのか」アンケートを実施したとき、口コミと回答してくれた方が多かったんです。観光客として別府に足を運んでくれる方の満足度を上げるためにも、APU在学中の学生に別府の良いところを知って体験してもらうことが大切になってくると思っていて。卒業後も別府に遊びに来たくなるような循環を生み出せたらいいなと思います。
 

大好きな地元・別府の魅力を伝えたいと思い市役所に入庁

後藤さんが学生時代ボールルームダンスをしていたときの様子
後藤さんが学生時代ボールルームダンスをしていたときの様子

中屋 青春時代を過ごした場所というだけではなく、食や環境、温泉など魅力的なものが別府にはあるので、家族や友人を連れて行きたいと思うんでしょうね。自然とファンマーケティングができているのかもしれません。大学生活を通して、視野が一気に広がっていったと思うんですけど、後藤さんはどのような経緯で市役所に入庁したんですか?

後藤 伯父がボールルームダンス(※社交ダンス)をしながら地元で仕事をしていて、地元に関わりながら自分の好きなことができる生活に憧れていました。地元で就職先を探す中で、ちょうど別府市役所が『一芸に秀でた者』という採用枠を当時募集していて。私自身も中学1年生の頃からボールルームダンスをやっていて、10年間で7度『九州アマチュアラテン』のチャンピオンに輝いたので、その成績も評価され採用となりました。

中屋 ボールルームダンスをしてきた経験が採用に繋がったんですね。海外の人たちとも関わりがある中で、「友達の国で留学してみようかな」と思うのではなく、地元に残ることを決めたのは何か理由があったんですか?

後藤 自分の将来を見つめ直したときに、留学をするよりも「生活や文化が違う海外の人と、共生して街を作り上げている別府のことを伝えていきたいし、多くの方に知ってもらいたい」という想いが芽生えたので地元に残ろうと決意しました。
 

父親の死をきっかけに、人の喜ぶ顔を見たいと思うようになる

後藤さんの幼少期時代の写真
後藤さんの幼少期時代の写真

中屋 実際に市役所に入庁されてからはどのようなことをされていましたか?

後藤 市役所に入庁後、最初は文化国際課に配属され、その後は社会福祉課で生活保護の現場(ケースワーカー)に入り、介護、障がい、生活保護について広く学ばせていただきました。ちょうど社会福祉課に異動する前に父親が心筋梗塞で他界してしまったんです。そのため、生きている時間の大切さを改めて実感しながら仕事に打ち込んでいました。

中屋 僕も父親を病気で亡くしているので、後藤さんの気持ちは痛いほどわかります。父親の死をきっかけに、後藤さん自身の変化はありましたか?

後藤 父親が亡くなってから、自分の人生を見つめ直したときに、写真を撮ることが好きだと改めて思ったんです。それから、友人の結婚式の写真もよく撮っていますが、当事者だけではなく、そのご両親や親戚、その方々の成長を見てきた周りの人が喜んでいるのが素敵だなと思って。渡した写真を見て「当時の情景を思い出す」「いい記念になった」と言ってもらえることがとても嬉しくて、自分ができることで人に喜んでもらいたいと思うようになりましたね。ケースワーカーとして5年働いた後は広報課に異動し、これまでの経験を踏まえて奮闘しました。

中屋 写真で思い出を刻むことは、すごく貴重で価値のあることだなと思います。後藤さんは仕事をしている中でどんなことを大切にしていますか?

後藤 バランスが大事だと思っているので、同僚や先方に対しても程よく甘えていくことを常日頃から心掛けています。その方が、お互いに気持ちよく仕事ができると思うので。ボールルームダンスをしていた際に、自分だけが良ければいいという訳ではなく、相手を立てることで結果的に自分にも成果が生まれることを自然と学びました。縁の下の力持ちとして、周りの輝いている人やプロジェクトのサポートができれば嬉しいなと思っています。
 

今までの経験を活かして新たなプロジェクトに取り組んでいく

温泉に浸かりながら楽しめる施設『湯〜園地』実現に向けて取り組んでいる様子
温泉に浸かりながら楽しめる施設『湯〜園地』実現に向けて取り組んでいる様子

中屋 全部を自分だけで頑張るのではなくて、少しでも甘えることができれば、思ったより上手く回ることってありますよね。ここからは現在のプロジェクトに繫がる話を聞いていこうと思うんですが、広報のポジションに就いてから後藤さんはどんなことに注力しましたか?

後藤 大きく二つあって、一つは趣味である写真を活かして、誰でも自由に写真を利用することができる市の公式サイトを同僚と一緒に立ち上げたことです。今でこそSNSが普及してフリー素材の写真も増えてきましたが、当時(10年ほど前)はあまり流通していなくて。別府市は観光の街なので、「景色や入浴施設などの写真を提供してほしい」というお問い合わせを受けることが多かったんです。著作権、肖像権上問題のない写真を自由に使ってもらえるサイトを立ち上げることによって、別府市を知ってもらうきっかけにも繋がると思いました。

もう一つは、OAB大分朝日放送が毎年行っているCMコンテスト『大分ふるさとCM大賞』で18市町村中、4年連続で1位を獲得したことです。副賞として、大分県内100本、全国朝日放送系列50本、30秒CMを無料で放送してもらえる権利をいただけたことはとても嬉しかったですね。

中屋 CMコンテストではどのような動画を制作したんですか?

後藤 テーマは毎年自分たちで決めていたんですが、その中の一つに、留学生をテーマにした作品がありまして。別府の留学生が街に馴染んできたことを何かしらの形で表現したいと思って。留学生に取材をした内容からヒントを得て「別府は留学生と一緒にご飯を食べて、一緒に育って、一緒に温泉に入っている街」だとわかる内容をCMで表現しました。

その後は観光課に異動になり、温泉都市別府の魅力を国内外に向けて幅広く発信する“遊べる温泉都市構想”実現に向けての一人としてプロジェクトに関わっていきました。その実現に向けた取り組みとして、温泉に浸かりながら楽しめる施設『湯〜園地』計画に、市民の皆さんと一緒に参加することができたのはとても大きな経験です。
 

温泉都市別府の恩返し!全国各地に温泉を届けるユニークな取り組み

『別府温泉の恩返し』で全国各地に温泉を届けに行っている様子
『別府温泉の恩返し』で全国各地に温泉を届けに行っている様子

中屋 『湯〜園地』は全国的なニュースになりましたね。動画が100万回再生されると実現するプロジェクトだったので、当時のクラウドファンディングの中でも一番インパクトがあったと思います。

後藤 実は『湯〜園地』と同時期くらいに『別府温泉の恩返し』というプロジェクトが進行していたんです。2016年に熊本地震が発生して、観光客が一時的に減りましたが、市の政策や国の復興割のおかげでV字回復して。お世話になった皆さんに温泉を届けられるプロジェクトを実行しようと『別府温泉の恩返し』が立ち上がりました。

中屋 実際に『湯〜園地』が100万回再生されて実現することが決まったときは、別府すごいなあと驚きました(笑)。『別府温泉の恩返し』はどのようなプロジェクトだったんですか?

後藤 別府市民の感謝の気持ちをたっぷり含んだ温泉を、日本全国の施設やご自宅に無料でお届けするプロジェクトです。配達や連絡の調整、電話での取材対応、現地での写真撮影をしながら大分を除く46都道府県でやり取りを行いました。プレスリリースを配信することや、「温泉を全国に届けにいく」というインパクトを伝えることをメンバーで意識していましたね。

2つのスケジュールを同時に進めていたため、当時はとてもエキサイティングな毎日でしたが、「一人でも多くの方に良い情報をお伝えするために、報道の方に取材していただきたい」という想いが根底にあったので乗り切れたんだと思います。メンバーに恵まれていたので乗り越えられたし、日々充実していたのでとても濃い時間を過ごすことができました。
 

『別府温泉の恩返し』プロジェクト集大成の様子
『別府温泉の恩返し』プロジェクト集大成の様子

中屋 プロジェクトの中で思い出に残っているエピソードはありますか?

後藤 「昔、新婚旅行で別府温泉に入ったのよ」と言ってもらえたことや、温泉が大好きだったお父さんが怪我をして、お風呂に入ることさえ嫌いになっていたのに、「もう一度温泉に入れるとは思わなかった」と喜んでいただけたことが印象に残っています。

温泉に入っている人は、皆さんすごくワクワクした顔をしているし、入った後も昔の旅行の思い出話をしてくれるんです。「入浴した本人が生き生きした顔をしているから、その顔を見たご家族が喜ばれるんですよ」と施設の方から伺ったこともあって、プロジェクト自体が、誰かと大切な人との思い出を繋いでいるものだと改めて気付けて。現在の所属先である一般社団法人別府市B-bizLINKに出向してからは、温泉をお土産にするような事業ができないかメンバーと話し合った結果、『別府温泉おみや』というプロジェクトを展開することになりました。
 

次々と新しい仕掛けを生み出す別府のこれからの挑戦

『&FLOW』の取り組みとして、自動販売機でマスクを販売
『&FLOW』の取り組みとして、自動販売機でマスクを販売

中屋 「温泉が来てくれる」という発想は新しいですよね。これからは観光客に来てもらうだけではなくて、自分たちで届ける時代へと変わっていくのかもしれないですね。温泉以外の観光資源は世の中にたくさんあると思うんですけど、他の地域が別府の活動に刺激されて事業を行ってみるとまた新しい可能性が生まれるんじゃないかなと思いました。4月には新しい形のプロジェクトも立ち上げていましたよね。

後藤 世界的な問題ですが、年間約900万人の観光客が訪れている別府市には、コロナウイルスの影響で苦境に立たされている施設が多くあって。何かできないかなと考えた結果、感染拡大防止のメッセージを込めたロゴマークを制作し、最前線で頑張っている人、苦境にあえぐ観光地や飲食店、そして世界中の辛い思いをしている人などをメッセージで応援するプロジェクト『&FLOW』を立ち上げました。

Web上で仮想の別府温泉を作り、“温泉の適温”と言われている41.5°に掛けて41.5文字のメッセージを送って温度をキープしあうプロジェクトです。

『&FLOW』プロジェクトのロゴマーク
『&FLOW』プロジェクトのロゴマーク

中屋 9割が観光で回っている街なので大変でしょうし、別府が好きな方も現状遊びに行くのが難しくてもどかしい状況だと思うんです。そんな中で、もどかしい気持ちのはけ口を作って、「別府温泉は繋がっているよ」とプロモーションをしているのを見て、とても温かい気持ちになれました。刻一刻と状況が変わっていると思うんですけど、観光地としての次の展開は考えていらっしゃいますか?

後藤 いわゆる新しい生活様式、観光ルールに則った中で、みんなが気をつけながら楽しんでもらえる仕組みを作りたいと思って準備中です。

コロナ禍で世界中の人が少なからずストレスを抱えていますよね。そのストレスを解消できるような温泉地になっていきたいんです。別府温泉だけにこだわる必要はまったくないと思っているので、全国の温泉地とも協力しながら「この危機を乗り越えよう」という動きを作っていければいいなと思っています。
 

体験には何があった?

『別府おんせんおみや』プロジェクトの様子
『別府おんせんおみや』プロジェクトの様子

地元である別府の観光業に携わる後藤さんが市役所に入庁した背景には、地元が好きという想いと、大学時代を留学生と共に過ごした体験が大きく関わっていました。今まで過ごしてきた街に新しい文化が加わることによって自分の価値観も変化し、海外の人と共生して街を作り上げている別府のことを周りに伝えていきたいと思うようになります。

父親の死をきっかけに、写真を撮ることで誰かを喜ばせたいと思った後藤さん。プロジェクトを行う上でも、相手が喜ぶために自分たちができることは何か真摯に向き合い、仲間たちと一緒に今までにない新しいプロジェクトを立ち上げていきます。

自分が表舞台に立つのではなく、周りで輝いている人のサポートをしながら熱い闘志を燃やしていく後藤さんは、陰の立役者だと感じることができました。

文・木村紗奈江

【体験を開発する会社】
dot button company株式会社

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