神奈川県・真鶴町は、北に箱根の山、南に相模湾という眺望に恵まれた小さな半島にある。人口約7000人の小さな町だが、「美の基準」という取り組みで有名だ。
「美の基準」の独特な点は、真鶴の美しさを「生きている屋外」「柱の雰囲気」「さわれる花」など、69の詩的な言葉と具体的な場所の写真で記していることだ。文学作品のように読み応えのある条例は前代未聞と言ってよいだろう。読んでいくと、先人たちがどのような想いでこの町並みをつくってきたのか、心に染み入ってくる。
「美しさ」ということは、個人の主観であり、ぜいたくや余剰が生み出すものとも思われがちだが、実は誰でも参加できるものだし、暮らし方そのものに「美しさ」が内在していることが分かる。
今回紹介する『真鶴出版2号店』は、「泊まれる出版社」というコンセプトのとおり、真鶴の魅力を国内外に発信していく仕事場であり、同時に真鶴を訪れた人をもてなす宿になっている。「背戸道」と呼ばれる、真鶴独特の、斜面を縫うように走る路地をぐねぐねと歩いていくとこの建築が現れるのだが、背戸道を歩いているだけで真鶴に暮らしているような、豊かな気持ちになってくる。
建築デザインに、深い主張はないのだけど、路地に続く一体感とともに、手仕事的な温かさがあふれ、実に居心地がよい。
設計したのは、若手建築家ユニット『tomito architecture』で、彼らは背戸道で起きる日常の出来事と、出来事を引き起こす秩序を精緻に観察し、建築の中に取り込んでいった。また、時にはまちの人との交流の結果として譲り受けた事物を建築の一部とした。そのせいか、この場所に身を置くだけで、まちをつくってきた多くの人の物語が、発話されているように感じてくる。まちの物語の中を漂い、泊まる──。「まちがつくる演劇を観る」小劇場、そんな建築である。
『真鶴出版2号店』
住所:神奈川県足柄下郡真鶴町岩217
施工年:2018年