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場づくり・コミュニティ

連載 | 田中康夫と浅田彰の憂国呆談

憂国呆談 season 2 volume 101

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目次

【今月の憂いゴト】
『新潮45』の休刊、
ポリティカル・コレクトネスから、
東京医科大の女性差別、
アメリカ最高裁判事候補への告発まで。

豊洲へ移転した直後に東京・築地市場に足を運ぶも、入口で都職員に制止され、敷地に入れなかった田中・浅田両氏。波除神社の境内や場外市場を散策しながら、『新潮45』の休刊やヘイトスピーチ規制条例、東京医科大の女性差別や「#Me Too」運動まで、マイノリティや人権問題について語り合った。

「豊洲」という新天地の行方、
「TSUKIJI」という文化の行方。

浅田  豊洲への移転直後の築地市場に行ってみたら、もう中には入れなかったけど、外にある波除神社に行ってみたら、案外おもしろかったね。鮟鱇塚とか海老塚とか、魚介を供養する塚がいくつもあって、なかには昆布塚や寿司塚なんてのもある。狛犬の代わりなのか、左右に巨大な獅子頭が祀られてて、それを担ぐ「つきじ獅子祭」ってのが毎年6月に行われるみたいだけど、その大獅子頭や大神輿を新調・修理するのに数千万円もかかったらしい。そうやって事あるごとに寄付金を出してた氏子が築地には大勢いたわけだ。そういうのを含めた文化が築地の魅力だったんで、それがない豊洲を観光地にしようとしてもねえ……。

田中  パリ第1区のレ・アールに12世紀からあった中央卸売市場は、19世紀半ばのナポレオン3世の時代に上下水道整備と共に現在のパリの街並みを形づくったセーヌ県知事のジョルジュ・オスマンが、当時としては斬新な鉄骨とガラス屋根の建物に改造して食都の胃袋を満たしてきた。その後、賛否両論の中で1970年前後にオルリー空港の近くに移転して、跡地にはフォーラム・デ・アールとジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センターが出現した。
 イタリア出身のレンゾ・ピアノとイギリス出身のリチャード・ロジャースが設計した近・現代美術の拠点の後者のデザインは今でも評価が分かれているし、郊外からの列車や地下鉄が地下に乗り入れる複合商業施設の前者に至っては悪評紛々で、2001年にパリ市長に就任したベルトラン・ドラノエが全面改築を提唱して15年、今から2年前に新レ・アールが誕生した。オスマン時代を意識してかガラスを多用して自然光を取り入れているけど、こちらも評価は微妙でしょ。この一廓には建築家ヴィクトール・バルタールの亡霊が徘徊しているんじゃないかと「都市伝説」が囁かれる始末。

浅田  近くの旧・商品取引所をフランソワ・ピノーの依頼で安藤忠雄が美術館に改築中。昔の建物を残しつつ中に新しい空間をつくる手法はおもしろいんじゃないかな。来秋完成予定なんで要注目。

田中  交番、カラオケと並んで今や世界用語となった「TSUKIJI」の場内・場外市場をサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフを超える文化拠点として再整備してこそ、国民1人当たりの魚介類消費量がアメリカの3倍の日本を訪れる来訪者にとってもハッピーなクールジャパン。実は2007年の『ソトコト』12月号から「憂国呆談」が再開したんだけど(スタートは1989年創刊の『CREA』、その後自動車雑誌の『NAVI』『GQ JAPAN』『週刊ダイヤモンド』と流浪の旅の末に『ソトコト』へと河岸を移す)、その初回でも「築地移転問題と賞味期限切れ」を「今月の憂いゴト」として語り合っているんだよ。(HPのバックナンバーで閲覧可能)
 県知事から参議院議員に転身した僕は、場内市場の人たちと一緒に築地から銀座、日本橋へと、絶叫型でなく語り掛け型のデモ行進を2008年と2009年に行った。その中心人物として活動してくれたのが『築地を考える会』代表の山崎康弘さんで、彼は今年で創業60年になる仲卸の『(株)山治』で、今や父親から代替わりして社長を務めている。当時、僕が司会していたTV番組でも熱弁を展開してくれてね。ところがビックリ、豊洲オープンのニュース映像を観たら、東京都知事の“緑のおばさん”と握手を交わして、「世界一の豊洲市場にしましょう」と喋っていた。いやぁ変わり身の早さは彼女に負けないなぁと感服(苦笑)。
 『週刊新潮』は「潜入取材! 来場者は知らない『豊洲新市場』のトラブルガイド」特集を組んで、「冷凍マグロが解けだした!すでにゴキブリ大繁殖!」「設計は本当に最悪 ターレで死亡事故の危険性」と見出しを打っている。移転後の築地跡地がどうなるのか、東京都はまったく決められないでいるけど、石炭を原料に1日200万立方メートルの都市ガスを20年間製造していた豊洲ガスふ頭跡地の「風評問題」が再燃すれば、横浜の中央卸売市場や千葉の地方卸売市場がイメージも交通の便も含めて相対的に浮上してくるかも知れないね。

『新潮45』の休刊と、
ポリティカル・コレクトネス。

浅田  その新潮社の『新潮45』が、LGBTは「生産性」がないっていう杉田水脈衆議院議員の寄稿文が炎上したあげく休刊に。仮にも論壇誌なら賛否の論争を深めていくべきところ、誰も責任を取らずに逃げるのは最低。また、そんな低水準の戦いに勝った勝ったってマイノリティの正義を振りかざす物書き連中もなあ……。

田中  文芸出版社の新潮社ともあろうものが、なあんてコメントを新聞で語っている作家や評論家が多かったけど、それこそ鼻持ちならない上から目線だよ。じゃあアダルト・サブカル系のコアマガジンや『白夜書房』、以前は水木しげるや白土三平の作品を出していたのに今やネトウヨ本で嫌中・嫌韓を煽り続ける『青林堂』ならば、我々の範疇外だから無関心ってことですか。『新潮45』の編集長は学研の『ムー』編集部出身だったから、オタク的に突っ走るのを新潮社上層部も止められなかったと、したり顔で経営責任回避の忖度発言をする連中に至っては呆れて二の句が継げないよ。

浅田  むろん「杉田論文」は問題外。仮にも「個々人の個性と多様性が尊重される一億総活躍社会」をつくるって公約してる自民党がまず彼女を辞めさせるべき。そもそも、あの論法では安倍首相夫妻も常陸宮夫妻も「生産性」に欠けるってことになるわけだし。しかし、そういう常識を超えた問題もあるんで、それはそれで議論しないと。

田中  ところが、新潮社社長の佐藤隆信がペラ1枚で9月21日に発表した声明は「『新潮45』2018年10月号特別企画について」のタイトル。つまり、8月号の「杉田論文」掲載には瑕疵はないという判断なのよ。読書好きの間では、新潮社と講談社の校閲部は出版社の中でも一騎当千の、単なる誤字や脱字にまらぬ的確無比な指摘を行うプロフェッショナル集団と一目を置かれていた訳でしょ。なのに、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女たちは子どもを作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」という大炎上を招いた彼女の文章は、結果として「ノーチェック」で掲載された。最近の日本のモノ作り産業の現場での不祥事と並んで出版業界でも「劣化」が進んでいるという深刻な話だよ。
 しかも、「弊社は出版に携わるものとして、言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立の重要性などを十分に認識し、尊重してまいりました」と現社長が声明の冒頭で大上段に構えた新潮社は、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と表紙に大書きして「特別企画」を10月号で組んだ。9月18日に発売されると前回以上の炎上を招く。すると「今回の『新潮45』の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」のある部分に関しては、それらに鑑みても、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました」と2段落目で白旗を掲げてしまう。
 じゃあ、「ある部分」とはどこかというと、『約束の日 安倍晋三試論』の著者である小川榮太郞の「満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深ろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。触られる女のショックを思えというか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」という文章らしいと。だけど、その「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」も「ノーチェック」で掲載して大炎上したんだからね。

浅田  小川論文について言えば、どうしても痴漢行為をしちゃうような人に必要なのは、痴漢行為の自由じゃなくカウンセリング。その上でなお残る問題については大江健三郎の『性的人間』をはじめ文学が深く掘り下げてきたわけだけど、彼の議論はとてもそこまでいってない。

田中  「私を非難した新潮社とリベラル諸氏へ」という抗議文を「産経デジタル」サイトに寄稿した小川のトンデモな主張を敷衍すると「夜道ですれ違った女の匂いを嗅ぐと性欲を抗しきれぬ強姦症候群・絞殺症候群の男の権利を社会は保障すべきではないのか」ってことだ。
 そんなこんなで発売から1週間後の9月25日には「『新潮45』休刊のお知らせ」がHPに掲載されて、実質的に「廃刊」となった。少なくとも「論壇誌」なんだから、浅田さんも仰るように、アリバイ的にせよ一冊丸ごと11月号を「甲論乙駁」特集企画にして有終の美を迎えるべきだったね。
 秋田県は角館出身の文学青年で、新聞配達や荷車引き、印刷所の職工等を経て出版事業を興した初代の佐藤義亮は、物の本に拠ればPL教団前身の『ひとのみち』教団の熱心な信者で、「良心に背く出版は殺されてもせぬ事」を掲げていたそうだけど、矯風会的な「良識派」からさまざまな意味でインモラルだと目くじらを立てられた谷崎潤一郎や三島由紀夫、更には島崎藤村の著作も刊行しているのを意識してか、広告代理店勤務を経て社長を務める創業家4代目は、「差別やマイノリティの問題は文学でも大きなテーマです。文芸出版社である新潮社122年の歴史はそれらとともに育まれてきたといっても過言ではありません。弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です」と文章を締め括っている。
 「LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものなのだというなら、SMAGの人たちもまた生きづらかろう。SMAGとは何か。サドとマゾとお尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである」と高言した小川から、澁澤龍彦の著作を扱う新潮社が私を切り捨てるとは何事ぞ、と難癖を付けられないよう願うばかりだよ(苦笑)。

浅田  僕は政治的にはマイノリティの存在と権利の承認をもっと徹底すべきだと思う半面、それはポリティカル・コレクトネス、つまり政治的正義なんだから、文学や芸術もそれで割り切ろうとする「意識の高い優等生」には反対。「差別を撤廃し、すべての人間に自由と平等を」なんて建前ではすまないところまでいくのが文学や芸術なんで、それは場合によっては人を傷つける劇薬でもある。「弱者を傷つけないポリティカリー・コレクトな表現を」とか言ってそれを去勢するのは、文化の自殺行為だよ。

田中  “緑のおばさん”が主導して東京都がつくったヘイトスピーチ抑止とセクシュアルマイノリティの差別禁止の条例はその最たるもの。しかも「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」という名称が、なんともいかがわしい。石原慎太郎をはじめとする歴代都知事が追悼文を寄せてきた関東大震災で虐殺された朝鮮人を追悼する9月1日の式典を昨年に続いて無視した女性に「多種多様な個性が輝いて活力あふれる東京の実現に邁進したい」と言われてもねぇ。

浅田  「そんなのは理想論だ」って言われるのを覚悟で言えば、ぼくはヘイトスピーチの法的規制に反対で、あくまで自由な言論の場で差別や偏見と闘っていくべき。

田中  まったくだ。法的規制は法務官僚や警察官僚、更には文科官僚のさじ加減で戦前・戦中の特高=特別高等警察となり得る。その蓋然性が理解できない「リベラル派」国会議員には困ったもんだ。

浅田  性的マイノリティについて言えば、LGBTのほかにQってのがあって、いろんな解釈がある中のひとつを言えば、「自分はLGBTとして市民権を与えてほしいんじゃない、ご立派な市民なんかじゃなくあくまでクイア(変態)として好きにやる自由がほしいんだ」と。とくに文化に関してはぼくはそっちに共感するな。

田中  それはいいね。左右を超えて鋳型の中に押し込める同調圧力が強まる世の中だからこそ、大切な感覚だ。

東京医科大は女性差別?
女性の労働条件を議論すべし。

浅田  佐野太・文部科学省前局長が、「私立大学ブランディング事業」(何という名前!)の対象に選定する見返りに息子を東京医科大学に不正入学させた事件をきっかけとして、あそこの医学部医学科の一般入試で女性受験生の得点を減点してたことが発覚、最近他の医科大学でも似たようなケース(多浪生を不利にするといった例も含め)の露見が相次いでる。あからさまな女性差別は許しがたいけど、女医にアンケートを取ったら「理解する」って声も多かったのは意外だった。そりゃ、週3回当直なんて労働条件じゃ、大学病院でもどこでも男性医師に頼らざるを得ない。女医が安心して働ける環境をつくらないと、形式的平等だけじゃ問題は解決しないんだよ。一般に、女性が男性と同じく戦士や企業戦士として酷使されるようになるのが女性解放じゃない。出産や育児も含め、男女が余裕をもって働けるようにしなきゃ。

田中  アルゴリズムなマニュアル判断こそ恣意性を排除する公正さだ、ってな考えが横行しすぎると、人間が判断する面接試験は印象等に左右されるからペーパーテストだけで判断しろとなりかねない。もっと言えば、肉体も頭脳も酷使する料理店の厨房も男女半々にせよ、というのは平等でも公平でも公正でもない。身長も勤務も違うけど、皆がそれなりにその場において満足感を味わって社会貢献ができる、それが評価される社会になるしかないのに。

浅田  障害者の法定雇用率を引き上げながら、政府自体、雇った障害者数を倍くらい水増しして数字合わせしてたのを見ても、現実と遊離した形式主義じゃダメなんだ。

田中  最近は医学部も女性が4割前後を占めるようになってきたからこそ、ホームドクター制度を導入して、家に居て子育てしながら診療して、難しい病気は基幹病院に引き継ぐシステムを構築すべきなんだ。

浅田  ポリティカル・コレクトネスの問題に戻ってアメリカの例で言えば、バラク・オバマ前大統領は「チェンジ」を掲げて当選したにもかかわらず、安全運転に徹するあまり弁護士的な妥協に終始して政治経済面で根本的な変革ができない分、社会文化面でのマイノリティの承認を強調、そのポリティカル・コレクトネスへの反動がドナルド・トランプ旋風を生んだ。ただ、50年前のマーティン・ルーサー・キング牧師暗殺を思い起こせば、かくも短期間にあれほどクールな黒人大統領が生まれたってのは、すごいことには違いない。最近、黒人ソウル歌手アリサ・フランクリンが死んだとき、2015年のガラ・コンサートでアリサが「ナチュラル・ウーマン」を歌い、オバマが思わず涙を拭うシーンを、アメリカのTV局が軒並み放送した、あれもトランプの醜さに辟易したアメリカの、オバマへのノスタルジーの表れだろうね。アリサは、キングのみならずアンジェラ・デイヴィス(ブラック・パンサー)をも支援した黒人解放運動の同伴者であるとともに、男が女にリスペクトを求める歌だったオーティス・レディングの「R-E-S-P-E-C-T」をカヴァーして女が男にリスペクトを求める歌に変えたフェミニストでもあり、最後の「ウーマン」の連呼は最近のフェミニズムを先取りするようでもあった。で、このカッコいいシーンに羨望と憎悪の視線を注ぐ遅れた連中が、最もダサくイケてないトランプの下に結集したってわけ。サンタ・モニカの「進んだハイ・スクール」で「ダサくてイケてない保守派」としてハブられ、逆ギレで保守の若手論客として頭角を現したスティーヴン・ミラーが、スティーヴ・バノンに見いだされ、いまや大統領のスピーチ・ライター(そしてとくに移民問題でのアドヴァイザー)として活躍してるのは、その典型例。逆に言えば、トランプがダサければダサいほどその種の支持が強まるわけで、実際トランプの支持率は4割前後なのに共和党支持者に限ればいまだに9割前後を保ってるんだからね。
 フェミニズムに対しても、「involuntary celibate(不本意ながら独身の人)」略して「インセル」の逆ギレが目立つ。イケてない男にも性を楽しむ自由はある、と。「#Me Too」運動が盛り上がるきっかけのひとつが映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインシュタインによるセクシュアル・ハラスメントや暴行への抗議だった。お義理にもイケてるとは言い難い彼は、「頼むからヤラせてくれ、嫌なら手だけでも、いや、俺の手淫を見ててくれるだけでもいい」って懇願した──権力と金を背景にしてではあるけど。むろん「ジョージ・クルーニーやブラッド・ピットみたいにイケてないからハーヴェイがあんなことをしたのも仕方ない」とは言えない。しかし、クルーニーやピットが「ハーヴェイの噂はうすうす知っていながら彼と仕事をし続けたのを恥じる」みたいな記者会見をしてるのを見ると、何とも偽善的な感じが……。ここまでくると、イケてない人も排除されない乱交的ユートピアを夢見たシャルル・フーリエには先見の明があったのかも……。とにかく、マイノリティの承認の正義を振り回すだけじゃ問題が片付かないことは確かだよ。

田中  同感だね。「コネクテッド」は自動車や家電をはじめとするIoTの分野でばかり話題となっているけど、誰もがどこでもいつでもつながれる社会は、実は好ましきフーリエ主義の定着でもあるんだよ。

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