純喫茶ファンの若者が増えつつある一方、後継者不足で閉業を余儀無くされる喫茶店も少なくない。そんななか、大阪で「譲り店」というしくみで場を守っている喫茶店がある。
ニューMASAは、「譲り店」として度々メディアに取り上げられる純喫茶。
喫茶店の持続可能性を広げる、譲り店とは?「喫茶店経営に興味があるものの、開業ハードルの高さに足踏みをしている」という人には、ぜひ最後まで目を通してもらいたい。
親族間の承継でもない、居抜き賃貸とも少し違う、譲り店。
「ニューMASA」から徒歩1分の場所に、自身がプロデュースする「common cafe」を構えている山納さん。著書『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』でも、ニューMASAを譲り店として紹介している。
「譲り店」とは、特別なしくみとして名付けられたわけではなく、昔からなんとなく当たり前に使われていた言葉のようだ。
「喫茶・ラウンジ 正」から「中崎町昭和喫茶 ニューMASA」へ。
そんなとき、common cafeのすぐ近くにある「喫茶・ラウンジ 正」という店が「中崎町昭和喫茶 ニューMASA」と看板を変えているのを見かけたという。
山納さん:「僕と同じようなことを考えて、譲り店として喫茶店を始めた人がいるなと。その人物こそ、2代目店主の片牧尚之さんでした」
1982年(昭和57年)に初代店主が開業した「喫茶・ラウンジ 正」。片牧さんは、この店に6年ほど通う常連だった。店主から「もう店をやめようかと思う」と聞き、「今の常連さんたちの居場所をなくしたくない」との想いから2代目に名乗り出たそうだ。
そして、2011年6月に「ニューMASA」とローマ字表記の“半分新しい”店名を掲げ、リニューアルオープン。
山納さん:「内装はそのまま、綺麗に掃除をして、椅子を張り替えて、ほんの10日ほどで店を開けていました。多くのケースでは、不動産契約の都合上、店を閉めた人・次に店を始める人の間に交流がないのが一般的でしょう。いわゆる“居抜き物件”はよくありますが、前の店主がどんな想いでどんな店をやっていたのか知らない。ニューMASAの場合、人と人とのやりとりがあって場がつながれています」
2代目、3代目、4代目… 店主が入れ替わっても続く喫茶店。
山納さん:「若い世代にも、古き良き昭和の魅力を知ってもらいたい。でも、演出された“昭和感”は、常連さんにとっては“違和感”となってしまう。喫茶店の在り方に迷いが生じていたようです。僕が店に立ち寄ったときに“卒業”の相談を受け、新店主を探すことになりました」
現在、ニューMASAの店頭に立つのは4代目の古家慶子さん。ただ、古家さんが引き継げるのは2020年4月からと決まっていた。それまでの半年間3代目を務めたのは、なんと山納さんの息子・慎也さんだ。当時大学3回生でありながら、大学を休んでまで本気で喫茶店経営に挑戦した。
譲る側は閉店時の費用を最小限に抑えられ、譲られる側も開店時の費用を減らせる。
2代目の片牧さんはまさに、先代から譲られて始めたからこそ、今度は自分が譲って見守っていくという選択ができた。もしまた喫茶店の店主に戻りたくなったら、何年後かに再びバトンを受け直すことも可能だ。一度離れてもまた戻れる場所があるというのは、心の拠り所にもなるはず。
場所も、時間も、お客さんとの関係性すらも、継いでいく。
これは喫茶店経営に限らず、地方に移住したときやローカルなコミュニティに入るときも同じことが言えるだろう。先にその場所にいた人たちの話を聞き、気持ちに寄り添わなくては、受け入れてもらうのは難しい。
山納さん:「その点、古家さんはお客さんとの向き合い方をよく学んできた人です。ニューMASAの店主になる前は、『六甲山カフェ』というプロジェクトを続けていました」
さて、ここからは、ニューMASAの現役店主・古家さんに話を聞いてみよう。
4代目店主は、戦前から続く茶屋でカフェ運営を経験。
2005年には、3か月間の期間限定で日曜カフェを開催。その後も、プロジェクトの中心メンバーだった船津智美さんと古家さんが活動を続けていたところ、大谷茶屋の営業を手伝いながらの常設カフェが誕生した。しばらくして、週末ごとに店主が入れ替わるシェアカフェに運営形式を移行。現在も有志メンバーが運営を継続している。
六甲山カフェで、経営の基本やコミュニティづくりには自信がついた古家さん。同時に、週末だけでなく日常的に店頭に立ち続ける経験も必要だと感じたという。
古家さん:「夢に向けて、もっと実践的に経営を学べる場はないだろうかと。ニューMASAの新店主を探していると聞いたときは、こんな“渡りに船”みたいな話はないなと思いました。店舗も設備も揃っていて、店主だけ代わるという好条件。ずばり私が求めていた場所でした」
しかし、代替わりの時期に新型コロナウイルス感染症の第1波が重なったことは計算外。自粛ムードで客足が遠ざかり、出だしから苦戦を強いられた。
古家さん:「3代目から4代目への引き継ぎの際に、2代目の片牧さんが常連さんとの顔合わせの場を設けてくれました。そのおかげで、初代の頃からのお客さんが時々コーヒーを飲みに来てくれるのはありがたかったです。今は、私自身に会いに来てくれるお客さんもちらほらいます。来客数が少ない間にゆっくり経営に慣れることができましたが、まだまだ勉強の途中です」
古家さん:「将来的には誰かに5代目を譲ることになります。そのきっかけづくりとして、店の定休日に間借りとして場所を提供できればと考えています。1日もしくは半日単位で家賃料をいただき、売り上げは全額出店者に還元するという形態で検討中です」
間借りもまた、飲食店を開業したいという人の修業ルートのひとつとなる。特に間借りカレーのブームによって、大阪ではすっかり定着したスタイルだ。
「譲れるしくみ」から広がる、場の可能性。
「喫茶店経営は、儲けとして大きなうまみのあるビジネスではありません。それでも、やってみたいという人が何人かいれば、持続可能なシステムはつくれます。大事なものを誰か一人に背負わせるのではなく、みんなで分担して続けていく。その方法のひとつが、譲り店なのです」
単独でずっと走り抜ける徒競走選手がいなくても、バトンを渡せる次のランナーがいればいい。しばらく休憩をして、またコースに戻ったっていい。
こんなカタチもありなのか!と気づく人が増えるだけでも、喫茶店という場の守り方は、これからもっと柔軟になっていくのかもしれない。
住所:大阪府大阪市北区中崎西1-1-16
TEL:06-6373-3445
写真提供/山納洋さん、古家慶子さん
齊藤 美幸|まちと文化が好きなライター。広告制作会社での勤務を経て、2020年からフリーランスとしてソトコトオンライン他で執筆中。地元・名古屋を中心に、都市の風景や歴史、地域をつくる人の物語などを伝えている。