会社の代表でありながら、別会社の役員も務める角田さん。住まいを定めず、愛媛県と静岡県を中心に多拠点生活を続けています。一見ハードルの高い働き方を実践する角田さんが、自身の姿を見せることで伝えたいメッセージとは。お話を伺いました。
やりたいことに挑戦させてもらえた
愛媛県伊予郡松前町で生まれました。もともと吃音があって、人に話しかけることが上手くできなかったんです。一学年に約100人の幼稚園に通っていましたが、友達と呼べたのはたった2、3人。周囲に馴染めず、パズルや積み木など、一人でできる遊びに没頭していました。
一人でじっくり向き合えるので、勉強も好きでしたね。幼稚園のうちに、九九は全部言えるようになっていました。
友達は少なかったものの、好奇心は強く、何でも挑戦してみたいタイプでした。両親は、僕がやりたいと言ったことは何でもやらせてくれて、習い事をたくさんしていましたね。ピアノ、書道、野球、テニス。小学校では、4つの習い事を掛け持ちしていました。やりたいことを自由にできる環境が有り難かったです。
小学校では、勉強もスポーツもできたので、学年の中でも目立つ存在でした。ところが、中学校に入ると周囲も部活を始めたりして、能力が横並びになったんです。小学校から一転、目立つ存在ではなくなり、時にはいじめられることもありました。決して楽しい学生生活ではなかったですね。しかし、その分勉強を頑張って、ここから抜け出そうというモチベーションが生まれました。
チームみんなが勝ちに貢献している
高校卒業後に学びたいことは特にありませんでしたが、どこかの大学へ進学しようと考えました。何か目標を立てろと先生に言われ、たまたまリストの最初に載っていた北海道大学を受けることにしたんです。広大で自然豊かなキャンパスに惹かれたのと、北海道は未知の土地だったので、行ってみたいと興味を持ちました。難易度は高く、一生懸命勉強しましたね。何とか受かったのが土木工学科でした。
入学後は、野球を小学校から続けていたので、そのまま野球部に入りました。個人よりも、チームで頑張ることが好きだったので、野球だけをずっと続けていたんです。メンバーと苦しみや喜びを分かち合えるのは、チームプレーをする野球だけでした。
ところが、3年生のときに右足をケガしてしまい、一年間試合に出場できない状態に。4年生になって復活したのもつかの間、また最後のリーグ戦直前にケガを負ってしまいました。
もう試合に出られる状態ではないことは分かっていました。それでも腐らず練習に参加し続けたんです。自分が少しでも這い上がれば、メンバーの気持ちも高められると思いました。同じように試合に出られず、士気が上がらない他のメンバーに対しても、自分の姿を見せて「諦めるな」というメッセージを伝えたかったんです。チームのモチベーションを上げることが、自身のモチベーションになっていましたね。
結局、1試合もベンチに入ることができませんでした。でも、悔しい気持ちを抱えながらも練習や試合を見ていると、それぞれの役割が絡み合って組織は成立していると初めて気付いたんです。監督、コーチ、マネージャー、ベンチにいる選手、スタンドにいる選手や応援団。みんながそれぞれの持ち場で頑張ることが、勝ちにつながっている。僕も、スタンドからできるだけ大きな声を送りました。それによって、選手の士気を高められたのを感じましたね。チームは試合に出る選手だけで成り立っているんじゃない。ケガをしたからこそ、そこに気づくことができました。
4年間部活に全力を注いでいたため、もう少し勉強してから社会に出たいという想いがありました。土木工学も、川の波形を数式で表せるなど、自然の現象と知識がつながるのが面白くて。もっとこの分野を学んでみたいと、大学院への進学を決めました。
やりがいや魅力を発信したい
大学院卒業後は、東京の重工メーカーに就職しました。土木の知識を活かせるだけでなく、機械や電気などにも幅広く携われる大手企業です。そこで、土木建築の設計、施工管理をすることになりました。
仕事は、スケールが大きく、やりがいがあるものでした。しかし、求められるレベルが高く、ここでいつまで働けるだろうかという不安も抱えていましたね。そんなとき、現場に一緒に入ったある上司と上手くコミュニケーションが取れず、きつくあたられるようになったんです。ストレスが積もり積もって、会社を休むようになりました。
2週間休養し、現場から本社に戻って復帰しました。しかし、復帰して目に入ったのは、仕事に疲れている周囲の様子だったんです。会議や飲みの場で集まれば、皆不平や不満を口にしている。その原因は何だろうと考えた結果、本来のやりがいや魅力を忘れ、仕事がタスク化しているせいじゃないかという結論に至ったんです。
設計や施工管理の傍ら、社内メディアの運営にも関わっていました。社内コミュニケーションを活性化するためのメディアで、入社2年目の社員が制作を担当するという決まりがあったんです。人の話を聞き、その想いを他の人に知ってもらうのは、楽しかったですね。他の人に比べて、自分は文章を書くのが得意だとも感じました。
そのような経験を重ねるうちに、仕事のやりがいや魅力を発信すれば、世の中の、仕事に疲弊する人が多い状況をなんとかできるのでは、という考えが生まれたんです。発信するためにメディアで働くという選択肢が生まれました。
東京だから「すごい」のか?
求人サイトでメディアの仕事を探し、見つけたのがベンチャーの出版社。「人のストーリーを伝える」をコンセプトにメディアを運営する会社で、編集者として社内コンテンツや書籍の編集に携わり、企業や働く人の背景にあるストーリーを伝えていく仕事でした。全く異業種からの転職でしたが、メディアの仕事は楽しかったですね。初めて、仕事が好きだと思えました。
編集は、いろいろな人と関わりながら素材を集め、一つの作品をつくり上げる仕事。そこには、野球のチームプレーにもつながる要素がありました。みんなが適材適所で力を出せるような環境をつくるのが、僕は得意だったんです。編集者の仕事が、自分に合っていると感じました。未経験で入社したにもかかわらず、入社半年で編集長を務めるまでになりました。
あるとき、愛媛での同窓会に呼ばれました。東京で働いていることを話すと、同級生から「東京ってすごいね」と言われ、その言葉に違和感を覚えたんです。「東京だからすごいのだろうか?」と。東京で働いているからといって、みんながハッピーになっているわけじゃない。逆に言えば、愛媛で活躍している人もたくさんいます。
自分も、一度は東京に出てみたいという想いがあったし、愛媛には何もないと思って地元を離れました。でも、同窓会での違和感をきっかけに「場所は関係ないのかもしれない」と初めて気づいたんです。その後、東京では人のつながりもできて、ある程度楽しくやれるようになった。それなら次は地方で何か始めてみたい、と思いました。
ちょうどその頃、地方移住をサポートするベンチャー企業から依頼を受け、複業でライティングの仕事をしていました。出版社では、一通りのスキルを得られたと感じたこともあり、地方に関わるこのベンチャー企業に転職を決めたんです。
同時期に、静岡県下田市でお試し移住者を募集しているのを知り、下田へ移住することに。東京と下田、2拠点での生活を始めました。自分が地方で活躍して、「場所は関係ない」を自ら証明したいと考えたんです。
やりたいことは口に出せば叶う
下田では、本業の傍ら個人事業主としても仕事も始めました。企業のデジタル化や和菓子屋のプロモーションなどにも関わりました。それらは全く未知の領域でしたが、お客さんとの信頼関係を築ければ、未経験でも仕事を任せてもらえることが分かりましたね。
移住してみて感じたのは、やっぱり活躍するのに環境は関係ないということです。もちろん東京と比べて、仕事の種類やスケール感に違いはあります。でも、その人がイキイキと前向きに働けるかどうかは、今いる環境でいかに行動するかにかかっているんです。さらに言えば、経験があるかどうかも、それほど重要じゃないんです。やりたいことを口に出せば任せてくれる人は必ずいると感じています。
下田で活動するうちに、自分の領域がどんどん広がっていくのを感じ、自分の力でやっていけるのではと考えるようになりました。それで独立し、会社を立ち上げることにしたんです。
会社の立ち上げは、「やりたい気持ちさえあればやれる」を、自分で体現することでもありました。
やりたいことを、探求する箱をつくる
今は、株式会社midnight sun(ミッドナイト サン)の代表であり、株式会社しもズブの取締役も務めています。また、住まいを持たず、愛媛と静岡を中心に多拠点生活をしています。
midnight sunでやりたいのは、コミュニケーションを軸にした事業です。コミュニケーションにこだわる背景には、メーカー時代に上司と上手くいかなかった経験がありますね。今思えば、自分からちゃんと話をしようとしていなかったからかもしれない、最初に自分のモチベーションや相手への期待を伝えるべきだったのかもしれないな、と。それをしなかったことで、お互いに牽制し合い、摩擦が生まれてしまったのでは、と考えています。
人同士の揉め事の多くは、コミュニケーション不足が原因で生まれていると感じます。日々の会話が不足しているせいで、お互いの考えに気づけなくなってしまう。摩擦なんて、そもそもいらないんです。だから僕は、コミュニケーションによって摩擦を防いでいきたい。そして、誰もが心から笑える環境をつくりたいです。
そのためにまずやりたいのが、コミュニケーションの活性化です。ワークショップなどを主催し、参加者がお互いの想いを知る機会をつくりたいと考えています。話すのが得意か不得意かにかかわらず、しっかり会話できる仕掛けをつくりたいです。
また、チャットツールでのやり取りなど、テキストコミュニケーションに着目しています。そこには、もともと自分自身が話すのは苦手であることも関係しています。仮に上手に話せなくても、テキストで意志を伝えることはできる。僕と同じように、話すのが苦手な人にとって、テキストコミュニケーションは必要とされる手段だと思っています。
さらに、テキストを使えば、コミュニケーションを効率化できます。ミーティングなど対面でのコミュニケーションをスピードアップしたり、無くすことも可能です。今はインタビューもテキストで行っていて、仕事を効率化できるのを実感しています。そのノウハウを広めていきたいですね。
もともと、ビジネスのためというより、自分のやりたいことを探求する箱をつくるために会社を立ち上げました。やりたい気持ちに蓋をしたくないんです。小さい頃から、好奇心を一つに絞ることができず、やりたい習い事を自由にやらせてもらっていました。そのスタイルが、現在の複業にもつながっています。やりたいことが複数あるなら、全部やっちゃえばいい。完全に一つに決めなくてもいいから、決断のハードルも下げられます。
この会社で、自分のやりたいことは全部やりたいですね。そして、誰かがやりたいことをやれる場にもしたいんです。やりたいことをやれないのは、大きなストレスだと思うから。社名のmidnight sunには、「真夜中の太陽」という意味を込めました。たとえ世の中が暗くても、僕は太陽のように輝いて、その背中を見せ、いろいろな人を照らす存在になりたいです。