写真だからこそ、伝えられることがある。それぞれの写真家にとって、大切に撮り続けている日本のとある地域を、写真と文章で紹介していく連載です。
子どもの頃に住んでいた団地の前には川が流れていて、よくここで川遊びをしていたものだ。京都市外へ引っ越した先の家の前にも川が流れていた。朝起きると水が流れる音が聞こえるので、「毎朝、今日も雨かな?」と思って起きていた。
今もよく京都には帰るが、京都人の多くは鴨川を中心に場所を考える。鴨川の西か東か、北なのか南なのか。高校生までしか住んでいなかったので、東側という代わりに右側と言ってしまう度、もはや京都人じゃないなあと思ったりする。けれどもやっぱり海よりも川が好きだし、安心する。川があるおかげで向こう側が見えるんだな、とさえ思う。海では広すぎて向こう側がなかなか見えないし、川の上にはビルも建てられまい。分断されているということにもなるけれど(いくつかの国境は川で分断されている)、そこもまた、何だかロマンチックに思ってしまう。
高い建物もあまりないから、近くに山を見ることもできる。ここが京都の本当に好きなところで、川べりに座って近くの山を見る、まあまあ都会であることが奇跡のように
感じる瞬間だ。高いビルが建ってしまわぬことを祈るしかできないが、この風景は残すべきだ。夏は暑く冬は寒い、というのもこの地形ゆえのことだけれど、自然のつくり出すことならば我慢もできるというものだ。とはいえ夏の暑さは相当で、川があればそりゃ入るよね……となる。それを眺めている人も含めて、ああ京都らしい光景だなと思う。
特に好きだったのが高瀬川で、小さな川なんだけれど、人もいなくていろいろとほっといてくれる川だった。一人で考え事をしたい年頃でもあったので、よく学校帰りに一人高瀬川に行っては、何をするでもなくただ座って物思いに耽っていたし、ぼんやりしに行くだけのこともあった。まだティーンエイジャーだった自分は大好きな川に寄り添ってもらい、誰にも言えないようなことを吐き出していた。
京都に暮らす両親は今でも家の前にある玉川の土手を散歩するのが日課になっている。「今日はあの橋の下にカモが何匹いた」だとか、「もうこんな花が咲いてるよ!」などと同じ場所でもいろいろと季節による変化もあって飽きないようだ。土手沿いをぐるっと一周するとどちら側の景色も見えるし、疲れたら一本手前の橋で折り返すもよし、なんだそう。
自分にとっての京都とは、いつもそこに川が流れている場所であり、どんなに観光客が増えようとも、四条河原町が歩けないほどの混雑になろうとも、川べりに座ってしまえばとたんにのんきでいてもいいと思える場所で、ずっとこの川の揺らぎぐらいの気分を保てるまちなのだ。そして人がなんと言おうと自分が行きたいところへ行けばいい、そんな自由な流れる川のような気質も忘れずに、これからも古都として頑張ってもらいたいのだ。
たかはし・よーこ●フォトグラファー。世界の生活文化をフィールドワークするように撮影旅行を続けている。2010年よりカリフォルニアへ拠点を移し、2022年に本帰国。個展を開くなど精力的に活動している。作品集に『WHITE LAND』『EAST SIDE HOTEL』ほか。
記事は雑誌ソトコト2024年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。