形には意味がある。標本になった皮や骨をいくら眺め続けても不思議なだけ。
『パンダの親指』は、僕が大好きなスティーブン・J・グールドのエッセイである。ジャイアントパンダの前足には5本の指に加えて、親指のさらに外側に突起があり、ヒトのような母指対抗性を可能にしている。つまり大好物の竹を握ることができるのだ。このアイデアは博物館の先輩の遠藤秀紀東大教授が発展させ、小指側の手首あたりにもう一つの突起があって、5本の指及び偽の親指と小指とも称せられる2つの突起を駆使して竹を握る機能が明らかにされた。この話は上野の博物館でも紹介されており、収蔵庫に保管されているジャイアントパンダの骨格標本を使った解説でも定番のものだ。
ジャイアントパンダはクマ科の動物だが、クマの手では竹を上手に持てない。竹を握るために、掌から手首の部分にある骨を大きく変形させて握ることを可能にしたのだ。指の位置を変えることはできないから、それ以外の部分で偽の親指をつくってしまおう、というところがおもしろい。進化の過程では、既存の構造を変化させて別の用途を見出すことはよく行われる。偽の親指的存在は、さまざまな哺乳類で見られる。ムササビの場合は大きな被膜を維持するために軟骨が手首から後方へ突出している。最大の哺乳類であるゾウも、重い体を支えるために、弧を描くように配置された指の扇の要のあたりに似たような構造を持っている。そしてモグラにも類似した構造がある。
モグラの場合、前足の手首のあたりから親指側に鎌状の長い骨が埋まっていて、多くの土を掻けるように手掌の面積が大きくなっている。この「鎌状骨」は有名な話だが、同様の骨が後ろ足にもあることは知られていない。この骨は外形からも明らかにわかる指状の突起をしており、一見モグラの後ろ足には6本の趾があるように見える。僕はこの「偽の親趾」にどんな役割があるのか疑問に思っていた。モグラの後ろ足は普通のネズミと大差ない形をしているので、前足の「鎌状骨」のように、面積を広げるものではない。ものをつかむほど器用なものでもない。
最近、この謎がようやく解けてきた。1月に研究所がある植物園内に生息する動物の展示をやったが、生きているモグラも展示することになった。金網でモグラの体にぴったりなトンネルをつくり、餌場や水飲み場を設けてその行動を来園者に見ていただく。この飼育法は、普段は見ることができないトンネル内でのモグラの行動を観察するのに優れている。モグラの研究を開始した1998年から、コウベモグラでこの手法を取り入れた飼育を行ったことがあるが、“形態屋”としては未熟で、モグラの偽の親趾に対する疑問はなかった。せっかくの機会だから今回はこれをじっくり観察してやろう。
驚くべきかな、モグラは頭を下にして垂直な金網のトンネルを上下方向へ移動する際に、この偽の親趾と後ろ足中央に突出した肉球を金網のメッシュに引っ掛けるようにして、滑り止めとして使っているではないか。形には意味がある。標本になった皮や骨をいくら眺め続けても不思議なだけ。実際に動いている様子を見るのが大切なのだなあ、と反省した次第である。
※著者の意向により、前足の指を「指」、後ろ足の指を「趾」と表記しています。