僕はこれまでの標本収集が認められた思いがして、涙がこぼれそうだった。
9月に行われた日本哺乳類学会富山大会は、印象に残るイベントだった。学会参加のための出張前日、発表のスライド作製をしていたところで、動物園でキリンが死亡の連絡を受けた。大急ぎで骨格標本の処理槽に入っていたイノシシなどの骨を片づけ、2つの発表の準備を放り出して、夕方、死亡した個体の受け入れのため動物園へ。その後4日間不在となるため、朝までに処理槽に入れる作業を行う必要がある。搬入が完了した22時ころから剥皮・除肉を開始した。同じく学会参加のキリン研究者、郡司芽久さんとほか2名がつき合ってくれ、午前3時に作業が完了した。彼女は解剖の過程で新たな発見があったようで、その内容を同日の夜紹介するという、超とれたて新鮮話題で会場を沸かせることとなった。
収集した標本が多くの方に利用され、学会の場で発表されることは、至福の喜びだ。今回の大会では、最近収集した哺乳類の標本が多くの学生によって調査され、その成果が発表された。数百点という大量の標本を用いた研究もあり、集めるだけ集めて調査・利用することを怠ってきた僕に代わって、若者たちが研究成果を発信してくれるわけだから、感謝している。
酪農学園大学4年の板倉来衣人くんはその一人で、ニホンカモシカの頭骨約800点を用いた歯列異常について発表した。彼は大学2年生の時、博物館に研修に来た学生である。カモシカの頭骨を洗ったり、仮剥製を作ったりと、僕の標本作業も手伝いながら、卒業研究について野望を膨らませていった。3年生になった時、現在の卒業研究テーマを決めて、埼玉県の実家から調査のためにつくば市まで通ってくれた。彼の観察眼は鋭いところがあり、僕がこれまでに見逃していた細かい歯の変異まで発見してくれて、興味深い成果が得られていた。
学会発表はその数か月前に講演内容の要旨を作成・提出することから始まる。僕は彼に研究成果を発表するよう強く勧めた。彼にとっては初めてのことである600文字ほどの要旨を書くのにも苦戦している。彼の指導教官からは「見送ったほうがよいのでは」という意見もあったが、何とか発表の登録にこぎつけた。学会までの2か月ほど、彼は夏休みを利用して研究室に通い続け、発表用のポスターを作製していた。ところがこれまた進行状況は芳しくなく、富山へと移動する前日に、僕の最終チェックを経て、ポスターを印刷する予定にしていたところで、上述のキリンが死亡したのである。最終チェックをできず、ふがいない思いで動物園へと移動した。
キリンを片づけて新幹線で自分の発表を完成させ、板倉くんに再会したのは富山だった。彼のポスターは、最後に見た時には空白が多かったが、見事に完成していた。そしてあろうことかそのポスターが、優秀ポスター賞を受賞したのである。学会の懇親会の場でこの発表があった時、彼の努力も報われて嬉しかっただろうが、僕はこれまでの標本収集が認められた思いがして、涙がこぼれそうだった。
標本の神様は時にいたずらし、また時にご褒美をくれる。