困ったことを減らし、前向きな気持ちになっていく子どもとその家族を増やしたい。web上の小さなお店『tobiraco(トビラコ)』は、子どもたちの心と体をそっと支える、ウェルビーイングな道具を販売しています。
「将来、どんな仕事をしてみたい?」「タイムマシンがあったら、どの時代に行きたい?」「いまいちばん会ってみたい人は?」。そんなユニークな質問に答えていくカードゲームがある。ルールはひとつ。聞き手はカードに書かれている以上の質問をしたり、からかったり、せかしたりせず、ひたすら黙って相手の話を聞くだけ。
「自分の話を聞いてもらえる安心感が担保されていくんでしょうね。ゲームをしていると、子どもも、大人も、だんだんと“こころが開いていく”のがわかるんです」と、「きいて・はなして はなして・きいて トーキングゲーム」を再編集し販売する『tobiraco』代表の平野佳代子さんはいう。
このカードゲームは、ひとりの生徒のためにつくられた。成績はよかったけれども、他人とのコミュニケーションがうまくいかず、引き込もりがちだった生徒とどうにか話をしたい。当時、筑波大学附属大塚特別支援学校に所属していた安部博志先生が、試行錯誤をしながら考案したものだ。相手への質問を手書きした手づくりのカードを使って、何度も遊んでいくうちに、だんだんと自分のことを話しはじめた。「心を開いてコミュニケーションをする楽しさを知ったのでしょう」と平野さん。
その後、安部先生は、自身が担当する発達障害児が通う教室でもこのカードを使うようになり、その評判が人伝に広がり、平野さんの元へと届いた。現在は、障害のあるなしにかかわらず、人の話を最後まで聞けない、自分の気持ちをうまく表現できない、自分だけしゃべり続けるなど課題を抱えた子どもや大人たちに、コミュニケーションを深めるゲームとして親しまれている。
必要としている人に道具を届けたい。
手にすることで、「できた!」と子どもたちが晴れやかな気持ちになれる。そんな40種類ほどの“道具”を『tobiraco』では扱い、webショップで販売している。商品はすべて、学校や塾、療育の先生たちが、「目の前にいる特定の人」のことを思い生み出されたものだ。そこには、道具を使うことで自分に自信をもてるようになった子どもたちがいる。さらには、考案者の思いに共感し、もっと多くの人に知ってほしいと行動した平野さんによって教育現場を飛び出し、同じ悩みをもつ人や、その周りにいる当初想定していなかった人にまで届いている。このように「目の前の人をよくしたい」という思いでつくられたプロダクトから始まる連鎖的な広がりも、ウェルビーイングにおけるひとつのあり方なのだろう。
「取り繕うのではなく、なんでもいらっしゃいとウェルカムな心持ちでいる、つまり自分を開いている状態って、ウェルビーイングですよね」と平野さんは話す。『tobiraco』の名前も、自分で扉を開けて、新しい世界へと行く子どもをイメージしたものだ。「なんらかの課題をもっている子でも、道具を手にすることで、閉ざされていた扉を自分で開ける。『向こうにはなにがあるんだろう』、そんな思いになってもらえるとうれしいですね」。
フリーの雑誌編集者だった平野さんが『tobiraco』を立ち上げたのは2016年のこと。きっかけは『tobiraco』の開業前に10年間ほど携わっていた教育雑誌で、発達障害を取り上げたことだった。それまでは教育雑誌で発達障害を取り上げることもなかったし、平野さん自身が詳しいわけでもなかった。けれども、読者の要望を受け、取り上げると反響が大きく、悩んでいる人、知りたいと思っている人が多いことを知った。読者に背中を押されて、特集や連載をしていくうちに、数々の現場へ行き出合ったのが、「トーキングゲーム」のような教材だった。
「療育の現場には、一人ひとりの特性に合わせた教え方をするために、先生がその子に向けて手づくりした教材が当たり前のようにたくさんあります。伺う度にこんな素晴らしいものがあったなんてと感動しました。そして教室のなかだけに閉じ込めておくのはもったいないとも。だったら私が改めて編集して商品化し、発信したらどうだろうと思ったんです」と平野さんは振り返る。
もともとものづくりが好きで、本づくりや雑誌の付録を考えることが楽しかった平野さん。仕事の関係で信頼できるデザイナーやカメラマンが身近にいたことも大きかった。これまでも市販されている福祉の教材はあったけれど、もっとデザイン性があってもいいのではという思いもあった。
「の形をした『きもち・つたえる・ボード』は、もっと地味な教材だったのですが、どうせだったら、かわいくつくりたいと思い、絵本のようなテイストにしました。これがあることとで、話さなくても共感と安心感が生まれ、『トーキングゲーム』のようなコミュニケーションゲームが一層盛り上がるんです」
この「きもち・つたえる・ボード」は、コロナ禍で思わぬ広がりを見せている。オンライン会議の最中、「なるほど〜」「いいね!」など、そのときの思いをのせてボードを挙げることで、流れを止めずに意思表示できると、働く大人たちの間でも重宝されているのだ。
大切なのは現場の声。そこを拾うのがおもしろい。
ものづくりで大切にしているのは、編集者時代も今も現場の声。商品にした後は、使われている現場に足を運び、反応を受け取り、より多くの人に楽しんでもらえるための使い方セミナーを繰り返す。
「つくって終わりじゃない。その後が大事で、そこからこそ、おもしろい」と平野さんは目を輝かす。「放課後等デイサービス」では、普段輪の中に入っていけない子も、「トーキングゲーム」だと、せかされることなく話せるから、第一声を発しやすいという話を聞いた。最近では、外国人に日本語を教える教材としても使われているとも。「そういう声を聞くと、本当につくってよかったと思います」と顔をほころばせる平野さん。現場へ行くことで、次の道具の“原石”に出合うこともある。
たとえば、発達障害の子のための補完医療として生まれたアロマのシリーズは、「少しでもリラックスできるように」と「放課後等デイサービス」で実際に使われているのを見たことが出発点。そこに通っていたクリニックの院長や「放課後デイサービス」代表などとともに試作を重ねて商品化をした。「『tobiraco』のサイトに行けば、なにかおもしろいものがある、安心できるものがある。そういう場所となるように、今後はもっと商品を増やしていきたいですね」と平野さんは抱負を語る。
「ひとりのため」が、「みんなのため」に。『tobiraco』の道具は、考案者や現場で使用する人たちの声や思いを平野さんが全部ひっくるめて伝えているからこそ、ウェルビーイングな広がりを見せているのだろう。