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多様性

連載 | テクノロジーは、人間をどこへつれていくのか

現金が存在しない時代

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 かつて、現金というものがあったらしい。それを収納した財布は、いまでいうサーバーみたいなものか。仮想通貨なんていうものも流行ったと聞いたことがある。オンライン上のデータによってモノの売買をし、資産を形成しているが、当時の名残の技術は活用されている。送金などの取引データは記録されてブロックとなる。データはオープン化されているから誰でも確認できるが、具体的な取引内容は暗号化により伏せられる。欲しいモノを買ったり、サービスを利用したりする時の決済はすべてデジタルマネー、いわば電子的数字の羅列。食品や日用品の購入、光熱費、交通費、病院での治療費はさることながら、自動運転車や住宅のような高額のモノもすべて賄える。
 コンビニエンスストアやスーパーマーケットがほとんど無人になってから久しい。手持ちのモバイル端末か体内に埋め込まれたIDチップで自動的に決済されるので、欲しいものをカバンに入れて持ち帰るだけ。もっとも、多くの買い物はドローン宅配で自宅に届けてくれるから、お店に出かけるのは気分転換かエクササイズの一環である。大型店舗には、2~3人くらいは人間がいるが、極端に気の利いた買い物ナビゲーターとして存在感を示せるかが生き残りの鍵。人気がないとすぐにいなくなるが、スーパーナビゲーターともなると引っ張りだこだ。
 海外とのマネーのやり取りもオンラインで瞬時に完了、送金コストもかからない(昔は送金コストが発生していたというから驚きである)。仕事の報酬もデジタル上の数字に加算される。
 先日の話である。バグで価格設定が間違ったまま商品が売買されていたというトラブルがニュースになった。本当は150グラムで500ポイントの牛肉が3000ポイントとして売られていたのである。
 不思議なのは、500ポイントの時には売れ行きがしくなかったのに、3000ポイントと誤表示されるようになってからは富裕層の購買が相次ぎ、売り上げが急増したのだ。食べてみれば3000ポイントの価値があるかないかの見定めはできるはずなのだが、「3000ポイントだから高価な牛肉なのだろう」という思い込みが味覚まで狂わせてしまったのだろう。思いのほか、味の観点から発生したクレームは多くないとのことだ。
 もっとも、この手のことは日常茶飯事である。電子的桁数の大きいものが評価される傾向が強いし、累計するカウンターが脳に埋め込まれているかのように、最大化することに躍起になる人が後を絶たない。追い求めるのは累計数字(=財産)の大きさであり、それが幸せの尺度として3本の指に入る人がほとんどだ。誰かが決めた基準に、誰もが振り回されている。現金が消滅するとともに、金銭や物質的な豊かさに価値を置くことが下火になった過去もあったが、揺り戻し現象が起きていまがある。
 僕はとりあえず、数字が小さくても、自分の価値基準に合うモノを選んで調達する。幸不幸の基準は人それぞれだけど、少なくとも人の基準に乗っかって生きることには違和感がある。
 誰かが決めた電子的数字に価値を求めて生きる人生はごめんだ。

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