広島県尾道市・御調(みつぎ)地区で地域おこし協力隊として活動する大橋和也さん。大手小売会社で会社員として働いたあと、国内外で農業研修を経験したり、ブータンで青年海外協力隊として活動したりと、様々な場所で様々な角度から農業の経験を積んできました。そして次のキャリアとして地域おこし協力隊を選んだ大橋さん。仕事を選ぶときの決断の背景や、現在の活動内容など、お話を伺います。
好奇心をもって、チャンスを掴む
大橋さん「福島県の農家の孫として生まれました。両親の仕事の関係で、幼い頃から高校生までに5、6回は引越しを繰り返していて。ですが夏休みには福島に行き、桃や野菜、お米を栽培する農家であった祖父母を近くで見てきました。
都会にはない、育ったものを食べる環境が福島にはありました。できた農作物を自分で料理して喜んでくれることもありましたね」
農業がいつも近くにあってそこには楽しい思い出がたくさんありました。大学では農業について学びたいと思い、大学院まで進んで農学修士を取得します。修了後は、販売について学びたいと考え、大手小売会社に就職。4年ほど、農作物の販売に関わる業務に携わっていました。
大橋さん「2011年の東北大震災を機に、放射能や風評被害が原因で、実家では桃畑のある山を閉めてしまったんですよね。それで、そこを継ぎたいと思い、会社を退職しました。しかし、その翌年に祖父が農作業中の不慮の事故で亡くなり、同時期に祖母も病気で亡くなりました。私が今後進みたい方向で、支えてくれる人や教えてくれる人もいない、自分の活動をしていきたいと思っていた場所も足元が整っていない、そんな状態でした。これからの人生をどうしよう、と路頭に迷っていましたね」
大学で、農業を学問として学んでいた大橋さん。現場でやってみたいと考え、茨城にある日本農業実践学園に通い農業研修を受けることにしました。1年ほどが経った頃、JAEC 国際農業者交流協会が主催する、アメリカで農業を学ぶ研修プログラムを学園の職員から勧められます。
大橋さん「年齢制限があって、あと一年経てば参加条件から外れてしまうと分かり、すぐに申し込みました。能力の有無ではなく、年齢によってチャンスがなくなるなんて嫌だな、と思ったんです。1年半、現地の農場で、実習手当をもらいながら農業について学びました」
アメリカから帰国したあとは、これまでの経験を活かせるところ行きたい、と考えていたそう。
大橋さん「転勤族だったこともあり、場所にこだわりはありませんでした。また、幼い頃から海外に行くことが多かったですし、アジアを中心に20か国をバックパッカーのように渡り歩いたこともありました。なので、海外に行くのに抵抗はありませんでした」
自分自身のもつ知識やノウハウを活かせる場所を探していた大橋さん。ちょうどJICA 青年海外協力隊で農業技術指導をする、という案件を見つけ、すぐに応募します。
大橋さん「第三希望で出していたブータンに派遣されることになりました。実は、バックパッカーをしていたときに一度訪れたことがあったんです。
自分の市場価値を試してみたい、という思いが強かったですね。知識やノウハウがあっても、履歴書に書いたところでそれがどれだけすごいことなのか、全く分からない。それに、日本では平凡なスキルだったとしても、海外に行けば、すごいスキルだと言って求められるかもしれない。アメリカでの経験が、何に活かせるのか、できるかできないか、試してみたかったんです。
あと、同じ思いをもった人と交流して、人のネットワークが広がることも期待していました」
自分の経験を活かす場所を見つけて飛び込む
大橋さん「任期終了後、何をしようかと悩んでいました。それで、日本のもつ課題に対して何か還元できないか、とも考えていました。そのためにどこか拠点を決めて活動したい。場所は、都心ではなく、地方がいいな、と。
当時付き合っていた彼女で現在の妻は、瀬戸内地域で映像制作などを請け負うフリーランスとして活動していました。瀬戸内のことを考えていると、ふと、私が学生時代に電車旅で訪れた尾道水道の風景を思い出したんですよね。瀬戸内海の多島美が頭に浮かんできました。それで、尾道に拠点をもとうかと考えるようになったんです」
そんなとき、青年海外協力隊に参加していた知人で、地域おこし協力隊として活動している人に話を聞く機会があったそう。地域に移住して、何か新しいことを起こして、やりたいことをする姿を見て、かっこいいな、と感じたと言います。
大橋さん「地域おこし協力隊としての選択肢も考えるようになっていました。そんなときにちょうど、尾道市御調地区で、地域おこし協力隊の募集を見つけたんです。
地域おこし協力隊のミッションは市町村によって違います。課題が設定されているか、自分で課題を見つけて解決のために取り組んでいくか。御調地区で募集されている地域おこし協力隊は、後者でした。御調地区は、農業が盛んです。これまで経験してきた農業関係の知識やノウハウを活かせるのではないか、と思い応募することに決めました」
これまで、働く場所や働く内容を決め打ちにしてこなかった大橋さん。様々な場所で様々な経験を重ねてきたからこそ、自分の力がどこで求められていて、どのように活かせられるのかが分かるようになってきたそうです。
人と人とを繋ぎ、輪を広げる
大橋さん「地域おこし協力隊の業務の7割は農業関連で、3割はPR活動や情報発信です。その中で、御調地区の何が魅力なのか?資源となっているのか?何を発展させていくか?を、自分の能力で見極めて引き出し、活動しているというイメージです。
農業関連の仕事では、会社員として働いていた経験が活きています。町内の道の駅『クロスロードみつぎ』では、農家さんが道の駅内にある野菜市に出品しているので、買う側からの視点でアドバイスをさせていただいています。農家さんに話を聞いたり、お客さんの会話を知れたり。何が足りなくて、私に何ができるのか、と考えています。
また、一年を通して、御調地区では多品目の農作物が作られており、野菜市もスーパーのように様々な農作物が並びます。そんな御調地区の農業の魅力を、より多くの人に届けるために、インターネット通販も始めました。『みつぎの三ツ星 野菜便』という名前で、野菜の詰め合わせセットを販売しています。PR施策としては、販売用のECサイトの作成の支援をしたり、野菜市のInstagramで告知をしたりしていますね。春夏秋冬の様々な種類の旬の野菜を紹介しています。
インターネットを使うようになっても、売上はまだほとんど出ていません(笑)。売上を上げるのももちろん大切ですが、御調の野菜を買ってもらったり、知ってもらったりすることを通して、関係人口を増やしていきたいですね。そうすれば、いつか御調に来てもらえるようになるかもしれないとか、きっかけづくりになると思います」
地元の高校に野菜園を作り、一緒に農作業をすることもしているそう。
大橋さん「農作業を経験すればきっと、それが家族との会話になったり、農業をしている家族を手伝ったりすることに繋がると思うんですよね。
農業って全部楽しいわけでも、作ったものが全部おいしいわけでもないんです。どちらかというと、農業はネガティブなことのほうが多い。同じく御調にも、いいところも悪いところもある。そんなことを高校生には知ってほしいな、と思います」
ほかにも、野菜ソムリエの資格を活かして、お母さんたちに食育の講座を開くなどの活動もしています。これまでの経験をすべて使って、地域おこし協力隊として精力的に活動する大橋さん。その中では、地域おこし協力隊のメリットを活かすことを心掛けているそうです。
これまで農業でいろんな経験を積んできたので、農業を軸に、『生産・加工・販売』に携わる人の輪を広げていきたいと思っています。御調町内の人たちから、国内、海外にまで広げていきたいですね。今はその種まきをしている状態です」
地域おこし協力隊として、地域の魅力を発信していくのは当たり前。だから大橋さんは、これまでなかった、人と人との繋がりを作っていくのが仕事だ、と言います。
大橋さん「現在はPR活動や情報発信の一環として、町内を紹介するお散歩動画『みつぎさんぽ♪』を作成し、尾道市の公式YouTubeへ投稿しています。映像制作を行っている妻の助言を得て集中的に作成中です。動画を見て、御調町を実際に散歩している気持ちになってほしいですね。
また、同時に現在は今年の6月に新たに協力隊員となった方とともに、御調町の話題も含めた尾道での暮らしや観光スポットを紹介するInstagram『尾道ぐらし』を試験的に始めています。旅好きの若者やグルメな方、尾道への移住を検討している方へアプローチができるよう、模索を続けています。
今後は、どんどんインターネットを活用していきたいと思っています。例えば、御調町のオンラインツアーをやってみたいです。疑似体験してもらいつつ、ライブコマースを掛け合わせて、御調のものを買ってもらう。御調の人が、直接お客さんと繋がることができます。それもまた一つの種まきになるかな、と。
そして、コロナ禍が落ち着いた未来には、実際に御調に来てもらえるようにしたいです。オンラインでは伝わり切らない、リアルだからこその良さもあるので」
地域の一住民として地域に入る
大橋さん「ほかの市町村の隊員との連携が取れない、全国で開かれるイベントや研修へ参加できない、地域行事は自粛ムードで参加できないなど、できないことが多かったんです。
しかし、私の場合、御調地区の協力隊の前任者にお話を聞いたり、前任者の作った市民団体『チームクロスみつぎ』の存在があったりしたので、それが大きな安心感に繋がりましたね。住民の方との交流の場をもつことができたので」
縁もゆかりもない地域に、その地域を盛り上げるための地域おこし協力隊として移住する場合、まずその地域へ入り込んで人との繋がりをつくっていかなければなりません。しかし自治体によっては、隊員の人数が少ない、新しく配置された、などで地域の方への地域おこし協力隊の認知度が低い、といった問題があります。それによって、活動を始めるときの周囲の温度差が出てきてしまうそう。
大橋さん「行政職員ではなく、地域で活動されている方や自治会長、地域支援員など住民の方と関わる場が絶対に必要だと思いますね。
地域おこし協力隊の任期は最大で3年間です。任期が終われば、本当に地域の人になる、という感じでしょうか。今も住んでいるので、地域の住民ではありますが(笑)。今、市民団体に個人で入って地域の活動しているので、今後もそういったことは続けていきたいです」
生活の土台を作っていきたい
大橋さん「地域おこし協力隊の一年目は、仕事の9割が決められたものだったり、その地域に慣れるためのものだったりします。二年目は、その割合が半分に減って、三年目に、自分のやりたいことがメインになるイメージです。
私は将来もずっと農業に携わり、農業を自分でやってみたいとも思っています。いずれは農業指導や農業者育成など、農業教育に関係した仕事をしたいです。農業の楽しさや大変さを伝え、同時に、食や農業の魅力を伝えていきたいですね。だからこれからは、次の生活の土台作りをやっていきたいと思っています。
あと、今年の秋に、新しい家族が増える予定です。妻、そして生まれる子どもとともに、御調町の魅力である『里山』、尾道らしいしまなみ海道や多島美の『里海』など、四季折々の自然の豊かさを楽しみたいと思います。そして御調町での暮らしを今後も体験し発信していきたいです」
地方移住に正解も不正解もないけれど、自分にとっては正解だった、と語る大橋さん。都会・地方、のどちらの場所に住むか、というのではなく、自分の経験が活きる場所を拠点にする。そして自分なりに精一杯やって生活を楽しむ。それがその人にとっての正解になってくるような気がします。
取材・文:宮武由佳